昨日はぷーさんと20日ぶりに会って〜
ゆっくりほんわかした一日を
過ごすことができました
送られてきた写真の自分が全て笑顔で
すごく楽しかったんだな〜って思った次第です
こんにちは〜〜〜
高野山の旅の続きです〜〜
精進料理の遅めの朝ごはんを食べて
さあさあ 行くよ〜って歩き始めたら
あ ちょっとだけ紅葉してるねって・・・
なんだか赤い実もあるね〜なんだろ〜??
って のんびり歩いてたら
また奥之院行けへんで〜ってことで
やっと着いた
奥之院一の橋!!
奥之院は高野山の信仰の中心で弘法大師様が入定されてる聖地です
正式参拝はここ一の橋から参拝するよ
一の橋は正式には大渡橋(おおばし)と言って御廟までの道のりには3つの橋があるけど
高野山に流れる御殿川(おどがわ)にかかる一の橋は最も大きい橋だよ
一の橋から御廟まで約2kmの道のりには約20万基を超える諸大名の墓石や祈念碑 慰霊碑の数々が樹齢千年に及ぶ杉木立の中に立ち並んでいるよ
さあ 2kmの道のりを雨のなか歩くよ〜〜
杉木立がいい感じなのです
司馬遼太郎文学碑です
高野山はいうまでもなく空海がひらいた。
山上は不思議なほどに平坦である。
そこに一個の都市でも展開しているかのように 堂塔 伽藍 子院などが棟をそびえさせ
ひさしを深くし練塀を連ねている。・・・・・
と始まってるのですが 本当にその通りのことを思ってた自分がいてめちゃ腑に落ちた・・・
そして・・・最後はこう締めくくってます
この文章もま〜さ〜に〜で・・・さすが司馬遼太郎だ〜って
私に褒められたって嬉しくもなんともないだろうけど
同じことを思えた自分がなんか嬉しかったりして
歩き進めるとあちこちにかわいいお地蔵さんもいてるの
薩摩島津家のお墓
これこれ
ちょっと裏側から撮ったので どなたのかわからないんだけど〜
変わってるな〜って思って・・・
そして この弘法様は ちょっと怖そう
お武田信玄・勝頼公のお墓ですぞ〜
こんなかわいいハートマークのもあった〜
この当時でもハートあったんだな〜って
ずんずん進むよ〜〜
こんな感じで灯籠(大好物)立ち並んでるのです
お 石田三成のお墓〜
返す返すも小早川の優柔不断さがなかったら関ヶ原はどうなってたかな〜っていつも思ってしまう
そして〜汗かき地蔵
常に衆生の苦を代わって受けて汗を流しているんだって・・・
私たちの苦を代わって受けてくださってるんだね〜って話してたら
横に井戸がありまして・・・
姿見の井戸
江戸時代には この井戸を覗き見て自分の姿が水に映らなければ3年以内の命であるという説が広がったそうで・・・
勇気を出して覗く的なこと書かれていてさ〜
なのになかむらちゃんが す〜っと覗きに行きまして・・・
「あ 映った」って
よかったね〜って言いながら
わては怖くて行けんぞ〜って思ってたら
まゆみんも覗いて
「あ 映った〜」って
大丈夫だよ〜って言われて覗いたら・・・
映ってるやんか〜〜
めちゃホッとする自分はまだまだ生きていたいんだな〜って思いました
だってさ〜まだまだ楽しまなくちゃだもんね
そして 前田利家のお墓〜
利家といえば藤ヶ谷くんだし〜(信長コンツェルトの役ね
)
なぜか親近感
浄土宗 法然上人のお墓
豊臣家のお墓
やっぱ立派ですな〜
なんか大河見てるとめちゃムカつくけども
いい感じだな〜って眺めてたら
あ 御廟が見えてきたよ〜
この御廟橋から先での写真撮影は禁止だよ
や〜っと2km到達です〜〜
御廟・・・
ここはね今でも肉身をこの世にとどめ深い禅定に入られており
世界平和と人々の幸せを願い
私たちへ救いの手を差し伸べていらっしゃるという
入定信仰を持つお大師様の御廟所です。
1207年続けられてる儀式の一つ生身供(しょうじんぐ)
御供所にて調理された食事は1日2回あじみ地蔵での味見を経て2人の僧が白木の箱に納めて御廟へと運んでいきます。御廟橋を渡って燈籠堂の中へ食事をお供えした後読経して戻っていきます。
このお料理は毎日色々メニューを考えてパスタにしたり中華にしたりもするそうです。
姿としては見えないんだけど 弘法大師空海は確かにそこにいらっしゃるってこと。
そこには今までもこれからも変わらない厚い信仰が息づいているってことですよね。
ってめちゃ長くなったやんか〜〜
わての備忘録でもあるのでしっかり復習しながら書かせてもらってまして
すんませ〜〜ん
まだまだ続くのですが〜この辺で〜
今日はパパ氏の月命日なので〜お寺さん見えるので早めに総本部へ行きまして〜
そのまま今週のお泊まり保育で〜〜す
みんな〜!!
顔晴れ〜!!