母が亡くなってから

毎日700件程ブログに

アクセスがありますが



昨日は800件ありました



ブログを始めたきっかけは

大腸がんに罹患した

母の闘病生活を主に

書いていたのですが



今迄元気だった母が

先月に突然末期がんになり

内容が終末期医療へと

変化しました



今自分のこのブログを

読んでいる方々は

ブロ友さんを除き

 

同じような状況の方々

なのでしょう…



【2月14日水曜日】

12日のお通夜と
13日の告別式が終わり

山形から来た伯父家族と
新潟から来た伯母家族を
見送るためと


お部屋の代金を支払うため
車でホテルへ向かいました



母との会話で時々出てきた

ニザエモンさん

母とはどういう関係???



伯母に質問するゆかみん

伯母89歳 伯父85歳



親族で記念撮影



親族達は山形と新潟に

帰りました



お通夜と告別式に

皆で泣いていたのが

嘘のようにこの時は

皆でたくさん笑いました



親族のお見送りが
済んだ後は家に戻り
 

気晴らしに午後から
ガーデニングを
再開しました


母のあとを継ぎ
ガーデニングを趣味にして
本当に良かったと思います


太陽に適度に当たり
土をいじり植物に触れると
癒されます



花柄摘みを済ませました




約1時間30分かけて東側

ヤブラン3鉢の枯葉も取り

ポリゴナムの樹形も

少し整えました



お通夜の日は

母の棺はこの場所(東側)を

通り斎場へと向かいました




もうすぐ春なんですね…

今年はチューリップが

20球根咲く予定なので

母に見せたかったな…



食は細くなったけれど

2024年1月13日迄自分で

朝お風呂に入り

自分の足で歩けていた母が



2024年1月13日から

1週間の緊急入院で太ももの

筋肉が全く無くなって

歩けなくなり



2024年1月20日に

自宅に帰って来てから

7日目の1月26日の夕方には

声が出づらくなり



日毎に体調が目に見えて

悪化していった



癌というものは

末期になるとこんなにも

急に悪くなるのだと



初めて癌の恐ろしさを

実感しました


老衰のように徐々に

弱るわけではなく



ある日を境に体力と食欲が

真っ逆さまに落ちていき



そして1月23日の

緊急入院から25日後の

2024年2月6日の深夜

母は突然亡くなりました



ただし母は最後は穏やかに

息を引き取りました



兄とも話したのですが

抗がん剤が打ち切りに

なったとしても



伯母のように

あと1年は大丈夫だろうと

思っていました



伯母は胃がんステージ4で

終末期の癌ですが


余命1年宣告もハズレ

ちょうど1年が過ぎましたが

食欲は全く落ちていません



お薬は飲んでいますが

週3日働いていますし

体調はまだまだ良さそうです



母のことを思わない日は

1日もなく



何かをしながらも母を思い

毎日何度も涙ぐんだり

していますが



その時にやるべきことは

キチンとやっています



それが母に対する

供養だと思っています



夕方は母の大親友だった

Sさん宅へ遊びに行きました



会葬礼状に印字された

QRコードの使い方が

分からないと言われ

やり方を教えてきました



QRコードの使い方を

マスターしたSさんの

80代の旦那さんは



生前の母の映像を

じっと見つめていました…



帰りに柔らかいあんぽ柿を

おみやげにいただきました




明日2月17日は

母の誕生日です

84歳の…



母はこの日を

どんなに待ち望んで

いたことか…。



そしてまた不思議な事が

再び次々と起こりました



兄が飛び上がって

喜びました



ブロ友のMさん(eMaさん)

巻き込んで??



Mさんの話しは兄にも

話しました



母だろうと言ってました…



ユーモアに溢れていた

ゆかみん母