母が亡くなってから
毎日700件程ブログに
アクセスがありますが
昨日は800件ありました
ブログを始めたきっかけは
大腸がんに罹患した
母の闘病生活を主に
書いていたのですが
今迄元気だった母が
先月に突然末期がんになり
内容が終末期医療へと
変化しました
今自分のこのブログを
読んでいる方々は
ブロ友さんを除き
同じような状況の方々
なのでしょう…
母との会話で時々出てきた
ニザエモンさん
母とはどういう関係???
伯母に質問するゆかみん
伯母89歳 伯父85歳
親族で記念撮影
親族達は山形と新潟に
帰りました
お通夜と告別式に
皆で泣いていたのが
嘘のようにこの時は
皆でたくさん笑いました
花柄摘みを済ませました
約1時間30分かけて東側
ヤブラン3鉢の枯葉も取り
ポリゴナムの樹形も
少し整えました
お通夜の日は
母の棺はこの場所(東側)を
通り斎場へと向かいました
もうすぐ春なんですね…
今年はチューリップが
20球根咲く予定なので
母に見せたかったな…
食は細くなったけれど
2024年1月13日迄自分で
朝お風呂に入り
自分の足で歩けていた母が
2024年1月13日から
1週間の緊急入院で太ももの
筋肉が全く無くなって
歩けなくなり
2024年1月20日に
自宅に帰って来てから
7日目の1月26日の夕方には
声が出づらくなり
日毎に体調が目に見えて
悪化していった母
癌というものは
末期になるとこんなにも
急に悪くなるのだと
初めて癌の恐ろしさを
実感しました
老衰のように徐々に
弱るわけではなく
ある日を境に体力と食欲が
真っ逆さまに落ちていき
そして1月23日の
緊急入院から25日後の
2024年2月6日の深夜
母は突然亡くなりました
ただし母は最後は穏やかに
息を引き取りました
兄とも話したのですが
抗がん剤が打ち切りに
なったとしても
伯母のように
あと1年は大丈夫だろうと
思っていました
伯母は胃がんステージ4で
終末期の癌ですが
余命1年宣告もハズレ
ちょうど1年が過ぎましたが
食欲は全く落ちていません
お薬は飲んでいますが
週3日働いていますし
体調はまだまだ良さそうです
母のことを思わない日は
1日もなく
何かをしながらも母を思い
毎日何度も涙ぐんだり
していますが
その時にやるべきことは
キチンとやっています
それが母に対する
供養だと思っています
夕方は母の大親友だった
Sさん宅へ遊びに行きました
会葬礼状に印字された
QRコードの使い方が
分からないと言われ
やり方を教えてきました
QRコードの使い方を
マスターしたSさんの
80代の旦那さんは
生前の母の映像を
じっと見つめていました…
帰りに柔らかいあんぽ柿を
おみやげにいただきました
明日2月17日は
母の誕生日です
84歳の…
母はこの日を
どんなに待ち望んで
いたことか…。
そしてまた不思議な事が
再び次々と起こりました
兄が飛び上がって
喜びました
ブロ友のMさん(eMaさん)
も巻き込んで??
Mさんの話しは兄にも
話しました
母だろうと言ってました…
ユーモアに溢れていた
ゆかみん母