母が亡くなってから
毎日700件程ブログに
アクセスがあり
驚いています
【2月13日火曜日】
告別式が終了したので
次はいよいよ火葬場での
出棺となります
霊柩車の助手席には
白木位牌を抱いた
自分が乗り込み
その真後ろには遺影を
抱いた伯母が乗り込み
出発しました
後続車には
従兄弟のM君が運転する車で
伯父・伯母・
伯母の娘のYちゃんが
乗り込み
次の後続車には
従兄弟のT君が運転する
車で奥さんのHさんが
乗り込み
最後尾は兄が運転する
自家用車で母の大親友の
Sさんが乗り込み
ゆっくりと火葬場へと
向かいました
途中で大通りに出たのですが
青信号になったばかりで
4台の車列は離れずに
走行することができました
霊柩車の運転手さんが
今迄青信号で車列全体が
通過出来たことは一度もなく
いつも後続車と
離れてしまうと
仰っていました
(絶対に母が協力したのです)
火葬場に着くと先着の
車がたくさん停まっていて
火葬場は大混雑していました
寒い時期は亡くなる人が
多いらしいです
告別室には親族一同が集まり
母の白木位牌と遺影が
御住職の指示で
テーブルに置かれました
89歳の伯母が
“これで本当の別れになるね”
と呟きました
母の棺が運ばれて来て
台の上に棺が置かれると
静かに火葬炉の奥の方へ
棺は入っていきました
火葬炉の扉が閉まる瞬間
皆は黙って扉のほうを
見ていました
御住職と福住職が悲しげな
読経をあげ始めました
暫くして我々一同全員
控室に移動しました
精進落とし
(しょうじんおとし)
と呼ばれる会食を
始めるためです
福住職が
『いつも私の左隣りには誰も
座りたがらないんですよ』
と言うので自分が座りました
1番右奥が福住職
福住職の左横にゆかみん
福住職の真正面に兄
美味しかったです
美味しかったです
1時間程して皆が
食べ終わると
収骨室に親族一同が
集められました
兄と自分だけは先に呼ばれて
母の遺骨を確認しに
行きました
母は抗がん剤治療を
長年続けていたので
骨が残るか心配でしたが
“かなり残っています
骨が丈夫だったのですね”
と言われました
確認が終わり収骨室へ
親族一同で待っていると
母の遺骨が運ばれてきました
係員の説明を受けながら
2人1組でお骨を拾い上げ
ました
“頭の骨がこれだけ
残っている方は非常に
珍しいです”
と言われたのには
正直驚きました
母は頭痛持ちで
頭を毎日痛がっていたので…
最愛の母の火葬が終わり
火葬場を出る時は
伯母が位牌・自分が遺影
兄が遺骨を抱いて
車に乗り込みました
その後は
各自が自宅やホテルへと
戻って行きました
兄と自分は葬儀会社の
Nさんから
通夜と告別式で使用して
残ったお花を4つの花束に
して頂戴し
母の大親友のSさんを
車に乗せ自宅へ戻りました
母からの生前遺言で
大親友のSさんには
小田急百貨店で買った
このSV925アクアマリンの
ネックレスとイヤリングを
形見分けで手渡しました
こちらもゆかみんが
使わないと思って
Sさんに形見分けしたら
大変喜ばれました
他にも服やらバッグやら
欲しいものを持っていって
もらいました
母の大親友の80歳のSさん
この日は遅くなったので
SさんとSさんの旦那さんへ
『味の民芸』でお弁当を買い
香典返しとは別に
今日のお礼に手渡しました
その後兄と2人で
ケーヨーD2へ買い出しに
再び花瓶を買いました
これと同じ花束を一つ
Sさんにプレゼントしました
母のお部屋は
白いお花だらけに…
今晩は
祭壇がまだ作れないため
母の遺骨は介護ベッドの
上に置きました
このあとゆかみんは
セブンにスマホ写真の
印刷に出かけました
明日は親族を山形と
新潟に見送るために
宿泊先ホテルへ行きます
そして一旦収まった
不思議な現象は
17日の母の誕生日に
再び起こります
一通り母の葬儀に関する
ことを書き上げたら
ブログは休止するため
忘れないうちに
書き上げるために
急ピッチで
連投しています
いつも励ましてくれた
大切なブロ友さん達の
幸せをいつも願ってます