こんばんは おねがい



2月7日分より

ブログは母の葬儀の後を

回想しながら書いています



2月2日の日に母の余命が

日単位になったと



訪問診療の医師から

言われましたが



そんなはずはないと思い

喪服を買いに行くことは

中々できないままでした…



【2月8日木曜日】

母が亡くなった翌々日



14:40pm頃

イトーヨーカドー到着



兄は紳士服売り場へ直行し

自分は婦人服売り場へ



『東京ソワール』で

喪服・バッグ・手提げ・

黒のハンカチ2枚を購入し



黒のタイツと黒の靴は

同じフロアの別の売り場で

買いましたが



この時も東京ソワールの

店員さんが選んでくれました



お会計は全部で96,327円



ただし東京ソワールで

買ったものはそこから全て

20%引きで購入できました



16:03pm

母の抗がん剤治療のあとに

3人でよく立ち寄っていた



イトーヨーカドー内にある

大戸屋で食事をしました



棺に入れるために

兄の写真も撮影しました



生存中の第三者の写真は

もちろん入れません…




自分が注文したのは

母が大好きだった

鶏と野菜の黒酢あん定食



癌に罹患する前は

ペロリと全て完食

していた母でした




喪服の買い物と食事が済み

エレベーターで1階へ



兄がやけにノロノロ歩いて

いたので気になり



“ずいぶん歩くの遅いわね”



と言うと



“おふくろと手を繋いで

歩いていた感じで歩いてる”



と言われ兄も母とのことを

思い出しながら生活

しているのだと思いました



16:33pm

イトーヨーカドーの

入り口を撮影



あの時元気にこの場所を

歩いていた母はもういません



ABC MARTでも靴を

よく買ってあげました




この写真は2024年1月4日

13:23pmに同じ場所で

撮影した写真です

(急逝する約1ヶ月前)




母はまだ元気に

歩いていました…



2024年1月10日迄自宅で

元気に暮らしていたのに



3日後の13日に急変して

突然余命宣告されて

その日に緊急入院…



母を含め家族の誰も

想像していませんでした…



2月20日に退院した時は

僅か1週間の入院で

歩けなくなっていて…



帰宅してから数日で

声がかすれて出なくなり



そしてまさか2月6日に

母が亡くなるとは

全く思っていませんでした



このあとケーヨーD2へ

白いお花と花瓶を買いに

兄の運転で行きました



16:40pm頃

ケーヨーD2に到着



白い菊の花と

百合の花を購入し

直ぐに帰宅しました




帰宅後自分1人で

百均へ買い出しに行き



棺に入れる手紙を

書くための便箋を買い



その足でセブンへ行き

棺へ入れるための



故人の写真をスマホから

プリントしてきました




D2で白い花瓶も買いました




21時過ぎに生けました




21時過ぎに生けました

一部ブルーを入れました




母が眠る母の自室の花は

ほぼ白色になりました

母を見守るカーミット君




イトーヨーカドー内にある

東京ソワールで買った

皺になりにくい織り方の

喪服(越前勝山織)です


税込定価68,200円

一応プレタです




ジャケットを脱ぐと

こんな感じです




東京ソワールで買った

葬式用のハンカチタオル

税込定価1枚1,100円




東京ソワールで買った

葬式用バッグと手提げ



バッグ税込定価15,400円

手提げ税込定価4,400円




ノンブランドの安い靴

5Eです

税込定価4,389円




生前母がまだまだ元気な頃



“あんたアタシが死んだら

どうするの?”



と聞かれその時は


“そうだねぇ…葬式用の

黒い服を買わないとねぇ”



としみじみと答えたら

母からは



“あんたの答えは何なの?”

“そういうことじゃなく…”



みたいなことを言われたのを

今更ながら思い出しました



とにかくこの日は

クタクタに疲れた一日でした



亡き母のことを思いながら

焼香し直ぐに就寝しました




この日は不思議な現象が

全く起きませんでした

(お通夜の日に炸裂します)



母もあちこち飛び回って

挨拶に出掛けていた

のかもしれません



湯灌・お通夜迄あと4日

告別式まであと5日