2024年2月6日火曜日

午前0時48分頃



母は静かに

息を引き取りました



亡くなる6時間前位から

呻吟呼吸と死前喘鳴の



ゴロゴロ音が今までよりも

更に大きくなり



そろそろ母の死期が

近いなと思いました



普段は19時に帰宅する

兄が大雪のせいで大幅に

帰宅が遅れていました



自分は兄が戻るまで

母の頭や指を撫でたり



胸部マッサージをしながら

返事のない母に



『大雪で帰宅が遅れている

みたいだけど大丈夫だよ』

『絶対に帰ってくるから』



と声がけを続けていました



22:30pm

兄が帰宅したため

母の傍にいてあげて

欲しいと言うと



雪の中をこんな時間まで

車を走らせてきていて

疲れているから



お風呂の後はもう寝たい

と言いました



今晩はいつもと母の様子が

違うと説得し緩和ケア医

ドクタートッシュ先生の

youtubeを見せると



兄は直ぐに携帯から会社へ

電話をし始め



『母が今夜が峠のようなので

明日は仕事を休みます』



と伝えていました



兄は深夜1時までは

自分が母親を見ていると

言ってくれたので



連日のソファでの睡眠で

身体が疲れていた自分は



交代時間の1時までは

2階自室で仮眠をとることに

しました



0:48am

兄が2階で寝ていた自分に

声がけしてきたので

そろそろ交代かなと思ったら



『おふくろが息をしていない』

と言われたため



慌てて1階の母の部屋に

降りて行きました



顔を近づけて母の顔を

覗き込んで見てみると

既に亡くなっていることが

分かりました



身体はまだ暖かく

表情は穏やかでした



SpO2計測器で測るも

検知されませんでした



血圧測定器で測ったら

ERR2と表示されました



兄と自分は別々に

母の顔にキスをし



『今迄ありがとう

お疲れ様でした』



と感謝の気持ちを母に

伝えました



兄も最初は母の手を握って

母をあの世に送り出す

準備をしていたようです


呻吟呼吸やゴロゴロした

死前喘鳴が母の呼吸から

段々と消えて



普通の呼吸に戻ったあと



兄はソファの後ろに

置いていた袋から

何かを取り出そうと

したらしいのですが



母から呼吸音が聞こえなく

なったため慌てて振り返って

母の方を見ると



既に呼吸が止まって

いたそうです



亡くなる直前に

母は一瞬目を半開きにして

天井を見たそうです



兄も自分も母が息を引き取る

瞬間に手を握って見送る

ことはできませんでしたが



兄は最期の瞬間迄

母の手を片手で握って

いたそうですが



母が息を引き取る瞬間は

ソファの後ろを振り返って

片手を伸ばしていたため

見ていないそうです…



母の手を握ったり

頭を撫でたり額や頬に

キスをするなどの

スキンシップを毎日行い



その都度

『今までありがとう』と



感謝の気持ちを

伝えていたので



自分はお見送りを

出来なかったけれど

激しい後悔はありません



雪道のなか

1:11am訪看さん到着

1:25am訪問診療の

W院長先生到着



医師の死亡診断書作成

看護師のエンゼルケア

終了後



母はパジャマから

お気に入りの普段着に

着替えました



自分もエンゼルケアに参加し

母の顔に死化粧を施しました



そして先生と訪看さんは

お帰りになりました



その後死後硬直前に1人で

母の手を組みました

お気に入りの

アメジストの指輪をはめて…



3:44am

長い苦しみから解放され

永遠の眠りについた母




4:07am

再びエンゼルケアを開始

髪と頭皮を清潔にし

母の大好きな帽子を

被せてあげました




5:57am

葬儀会社の方到着

ドライアイスで母の身体は

完全に冷たくなりました



15:45pm

大親友のSさんが

母のために枕花を持って来て

くださいました




枕花はここに設置




母に別れの挨拶に来た

大親友のSさん80歳


母が毎日痛がっていた

後頭部を優しく撫で



目に涙を浮かべる

大親友のSさん




ユーモアに溢れて

可愛らしかった母は

もうこの世にはいません



母を想うたびに涙が溢れ

ものすごい喪失感です…



83歳11ヶ月と18日を



一生懸命に

生き抜きました