かにゆかです
最近の私は、コミュニケーションについてずっと考察しておりました。
きっかけは、ある人のリハビリを担当することになったこと。
ある人というのは、詳しくは書けないのですが、私が昔ものすごーくお世話になった人です。
彼のおかげで、本当に素晴らしい子供時代を過ごすことができました。
とっても楽しい思い出でいっぱいです。
担当するって決まった時点から、本当にいろんな感情が湧いてきて、
モヤモヤ、ザワザワ、めちゃくちゃ揺さぶられました。
やりたいような、やりたくないような。
しかも、去年の暮れ頃断捨離した時に、その人との思い出の品が思いがけず出てきて、彼への感謝をめいっぱい感じることができ、感謝ワークにも思いを綴ったばかりだった。
私のリハビリなんて本当は受けたくないんじゃないか
私のことなんて忘れちゃったんじゃないか
思いを馳せるのはキリがないけど、本当は私はどうしたいの?
って何度も問うたら、
私にできることはやりたい
少しでも何か力になれるのだとしたら、やっぱりやりたい
だったので、腹を括ってやり切ろうと思いました。
断捨離した時の。
ネーミングも可愛すぎるシール❤️
実際に会ってみたら、見た目は私の知ってる彼のままで、あれから数十年も経ってるのにほとんど変わってなくてびっくりしたけど、
いざやりとりしてみたら、まるで別人のようだった。
かなり重めの失語症で、言葉がほとんど使えない状態だったから。
周りの状況をなんとか理解しようとするのに精一杯のようで、
私を「私」として認識する余裕が全くといっていいほどないように見えた。
たぶん、私をただのセラピストとしてしか認識できていなかったんだと思う。
とにかく、STとして、初回でやれることはやった。
これからもやれることをコツコツやろうと思った。
だけど、後々だんだんと、
私のことなんか忘れちゃったんだろうな。
私の知ってる彼ではなくなっちゃったんだな。
って湧いてきた。
私の知ってる彼はもういない。
すごく悲しい、寂しい気持ちになった。
そっか。
私、悲しかったんだ。
寂しかったんだ。
その上で、思った。
私は彼の居る世界を知りたい。
今の彼が見ている世界を知りたい。見たい。
だから、彼ともっとたくさん、いっぱい、コミュニケーションがしたい。
こっちが本当の願いだったんだ♡
リハビリしてる時の彼は、笑顔になったり、困ったり、苦笑いしたり。
きっとあれが、今のそのまんまの彼だ。
笑顔や困った時の表情なんて、本当に昔のまんまだった。
時に見せる悲しそうな表情も、昔のまんま。
優しくて穏やかな人柄。
やっぱり、本質は何も変わらない。
私はやっぱり、本質でコミュニケーションするのが好きだ。
だから、言葉そのものにはあまり重きを置いていないとゆうか、言葉だけを重要視したコミュニケーションには興味がない。
言葉以外の要素、非言語的な要素、つまり表情だったり仕草、話し方や声のトーン、表情、動きなどにその人らしさや在り方が如実に現れるから、
そこを大切にしたいなといつも思ってる。
あーこの人嘘言ってるな~ってのもすぐわかる。笑
そうゆう時はだいたい、言った、言わない問題に発展しやすい。笑
「自分が言った」という自覚がないから。
言葉が使えないからと言って、コミュニケーションが出来ないわけではない。
むしろ、言葉を使わない方が本質的なコミュニケーションがしやすいんじゃないかとまで思う。
だからこそ、言葉を使うのなら、言葉を大切に使いたいと思う。
相手にも自分にも思いやりのある言葉を。
この時も書いてる。
アク強めでちょっと恥ずかしいけど
それは、本当の自分から湧き出る言葉を使うということ。
つまり、本当の自分の思いを知っていること。分かっていること。
それが本当の私でコミュニケーションするということ。
その上で、相手の状況やフィールドに合わせた言い回しや表現を選ぶ。
それが、本当の意味で「コミュニケーションが上手」ってことなんじゃないかな。
そんな事を、彼とのリハビリ、コミュニケーションから受け取ることが出来ました。
本当に、私この仕事好きなんだなーってのも改めて自覚できたし。
天職と思えることが、本当に嬉しいしありがたい。
やっぱり彼は神の使い手でした
本当にありがとう♡
今日も読んでくれてありがとう♡
かにゆかでした