この前 しんさんの転職のことを書いてから
もしかして自分の経験が 誰かの役に立ったり 誰かのパワーになったりするのかな
って思って
自分の過去のことを書いてみようと思いました。

仲良しの友達は知っているけれど
他の人にはあんまり詳しく話したことはありませんでした。

『私が男を作って離婚した』

なーんて噂までたてられました((笑)

あることないこと、ないこと、ないこと、ないこと、 言われたくさん傷つきましたけど。
おかげで強くなれました。

他人っていい加減。
人の不幸は蜜の味、なんでしょうね。



まずは離婚に至った経緯など。
また長くなります 興味ある方だけどうぞ。



高校卒業後 医薬品卸の会社に就職し
3年勤めて 寿退職した。
21歳で1回目の結婚。

22歳で長女 出産
26歳で次女 出産

30歳で再び働き始め
33歳の時 離婚。
離婚の原因はひとことで言えば『お金の問題』

結婚する前から前の夫には借金があった。
若かった私は 何も知らずに『好き』だけで結婚し
一緒に暮らしてわかったことだけど
クレジット会社からの請求書がたくさん届いてた
それでも 私には関係ないことだし とあまり深く考えてなかった。
最初聞いたのは、親の借金の肩代わりをしただけだと言っていた。金額も少なく、一時的なものだと。
(郵便物の中身は見ていないし まさかそんな多額の借金があるとは・・)


しかし、気づけば娘たちにかけていた学資保険も契約者貸付で枠いっぱい
毎月 何通も送られてくるクレジット会社からの請求書…


ようやく私もコトの大きさがわかって
何度か話し合い、
「とにかくコツコツ返すしかないんだから もう借りないで!
お願いだから サラ金とかにだけは手を出さないで!!」とお願いした。



一度 借金をひとつにまとめて
月々の返済を楽にするために銀行で一括して借りて
いったん カードの借金は全部返済したのだけれど
結局返済したから また借りれるんですねーー。
そんなこと 考えもしませんでした、私は。

結果的に まとめた銀行の借金と また新たに次々カードで借り入れする借金が増え
ひとつにまとめて楽になるどころか 倍以上に膨れ上がってしまったのです。


ここには書ききれないほどのことがいっぱいある

借金が借金を呼び 自転車操業の日々
何に使ったか聞いても 借金を返すために借金をするということだったらしい。


もともとパチンコが好きで
のちにわかったけれど、競馬で一度当たったことがあり
それから競馬もしていたようです。


車を売って そのお金でひとつでもいいから返済しようよ!と言うも
車がないと困る と 聞き入れてくれなかった。

じゃー どうすんの!?
もう、会話にならない。
前向きな話にならない。

収入は同じなんだから、どっかでお金をやりくりしなきゃいけないんだよ!
わかってんのか??


とうとう前夫(A氏としよう)は もうお金を借りるところがなくなり
私に(お金を借りるための)名義を貸してくれと頼んできた。

俺の名前ではもうどこも貸してくれない…と泣きついてきました。

あとでわかりましたが 無名のサラ金などにも手を出していたようです

すでに私名義のクレジットカードでキャッシングがしてあり
今思うと なんで クレジットカードを預けたのか?
と思うんだけど この頃の私はほんとーにそういうことに疎かった。
カードでお金が借りれるなんてこと 知らなかったのだ。
恥ずかしい話だけども。
そして 夫だから信用して渡してしまってた。


預けていたカードは限度額いっぱいキャッシングしてあり
今度はサラ金で名義を貸してほしいと頼まれた。
夫婦だから 私が助けてあげないとこの人はどうしようもないんだ。。。
困ってるんだ…
私しかいないんだ…


そう思うと断れず 一緒にサラ金に行った。
小さなビルの狭い暗い階段を上がった2階にあった。
こんなところ入るのを 誰かに見られてやしないかと思うと とても怖かった。

私名義のカードを作り その場ですぐそのカードはA氏の手に。
(今思うとなんて恐ろしいことをしたんだろうと 自分のバカさが情けなくなる)

「もう2度とこんなことイヤだからね!」 私は吐き捨てるように言った。

借金が借金を呼ぶ生活は ますますひどくなっていった。

そして 再び!また 名義を貸してほしいと言ってきた。

また!?? 「2度としないって言うたやろっ!」
「そこを何とか頼むわ~」 と言われた。

いったいこの人はいくら借金があるんだろう?と
その時になって やっと自分の置かれている現実と向き合うことになる


調べたところA氏にはざっとわかるだけで消費者金融やクレジット会社に400~500万ほどの借金があった。
(住宅ローンとは別にです)


ほとほと困ってA氏の両親に相談したが
「今回だけ助けたって」(名義を貸してやって) という返事だった。

私は 返す言葉がなかった。この親にしてこの子あり。。。
「今回だけじゃないんですよ」と言って電話を切った。


私は離婚する年の2月に交通事故で骨折し
車椅子生活を余儀なくされた。
働けなくなったので 当然 収入が減る。

お見舞いに同僚やら友達からたくさんお金をいただいたので
なんとかそれで しのいでいけるかな? と 退院して家に帰ってみたら
そのお金はきれいになくなっていた。借金の返済にまわされてしまっていたのだ。

その代わりに また新たな 借用書が見つかった。
そろそろ返済が終わるな と思っていた銀行のローン、
そこで新たに借り入れをしていました。 100万円。


はらわたが煮えくりかえりました。

それを 見た時 決心しました。

もう 終わりだ。
もう こんな生活はいやだ!
貧乏のほうがマシだ!
借金に追われる生活より 貧乏でもいいから 節約して楽しく暮らしたい


そう思った頃と同じくして 借金の取立ての電話がよくかかってくるようになった。
留守の間 家にも来てたみたいだ。

離婚届をもらってきて 借金を理由に離婚したい、子供たちを守るためにも離婚してくれと伝え
書類に名前を書いてもらった。


離婚するには正直 勇気がいったし これから自分ひとりで生活していけるのか?
そして子供のことを考えると辛かった。
ずっと 子供のために 離婚はしたらだめだと思って言い聞かせてひたすら我慢してきたから。


しばらく悩んでいたけど、
でも こんな仮面夫婦で 借金に追われる生活が子供にとって本当に幸せなのか?
(当時もちろん子供たちはそんなことは知りませんでしたが。)


ある日 長女に(当時5年生)
「お母さんとお父さんが離婚したらどうする?」と聞いたら
「どうするって どっちについていくかってこと?」と聞かれ
「そうだよ」 と言うと
「お母さんに決まってるやん!」と 言ってくれた
(娘は覚えてないだろうけど)

お父さん大好きっこで いつも一緒に寝ていたし
てっきりお父さんについていくと 返事があると思ったのに
お母さんに決まってるやん! その一言で背中を押された。


離婚届を出しにいくことにした。(今でもそのときの娘との会話を思い出すと涙が…(ノд・。)



自分の仕事が夏休み休暇に入った夏の暑い日  離婚届を出しにいった。

結婚してから12年たっていた。


それでも しばらくは 住む家もなく A氏のマンションに一緒に住んでいた。

食費もなけりゃ ガス代も払えず、 「電気は明日から止めます!」と通知が来た

家にあったソファをリサイクルショップに売って生きるためのお金に換えた。
実家の母が 2万円持たせてくれた。ありがたかった。


1ヶ月ほどして 住むところを探し
夜逃げや本舗さながら 
夜に 最低限いるだけの荷物を持って家を出た。
次女は ランドセルに勉強道具をつめて。

テレビと冷蔵庫はもらっていきますと言うと

どうぞ と言う返事だった。


トラックは友達が知人から無償で貸りてきてくれた。
手伝いにも来てくれた。

同じマンションに住む友達に
挨拶しにいき、事情を説明すると
涙を流しながら  「がんばってね」 と言ってくれた。
いまでもあの時 彼女と玄関の灯りの中で話したことをハッキリと覚えている。


この時 長女は林間学校に行っていて 家にいなかった
帰ってくるのは 父親のいない新しい家だ。


小学5年生という 多感な年頃に 本当に淋しい思いをさせたと思う。


林間学校に行くときは 普通に行ったのに 帰ってきたら違う家。
事情が飲み込めなかっただろうと思う。 

ほんとうにごめん。

学校へもすべて事情を説明し
もし 借金取りが学校へ来ても 絶対に自宅の住所を教えないように先生にお願いした。
(当時は今ほど規制も厳しくなくあらゆる手段を使って取立てをしてたようです)

夜逃げから数日後 林間学校から帰ってきた長女を迎えに行き新しい家につれて帰った。


母娘 3人だけでの新しい生活が始まった。


しかし 離婚しただけでは終わらない。

ほんとの正念場はここからだった。