発達障害の旦那 嫁の言い出したらキリがない話 | 私の旦那は発達障害

私の旦那は発達障害

『発達障害』のあれこれを、発達障害(ASD➕ADHD)と、診断されている旦那ネスケの場合として、その嫁が語る。、

発達障害(ASD+ADHD)と、診断されている
旦那ネスケの嫁ネスケ子です。


 いつも読んでくださりありがとうございます。

昨夜の記事では、愚痴を吐き出しまして今日はすっきりとしていました。
皆さま、コメントありがとうございます!

ぼちぼち更新していきたいと思っています。
これからも、よろしくお願い致します。


 

 

 

 

 

お腹すきました。

 

 

こんばんは!

 

 

 

今日の記事は長いです。

文字だけです。

 

 

 

 

 

※今から書くことは、私個人が思っている事(考えている事)
そして、ネスケと、私の場合です。

 

 

 

昨日吐き出したついでに、常日頃思っている事を書きます。

 

先日も「嫁の思っている事」という記事を書きましたが。

 

今日は

「嫁の言い出したら切りがない事」です。

 

 

突然ですが

 

ネスケは

一人でいる事は、苦ではないと思います。

 

 

家にずっとこもっていることも、苦ではない。

 

むしろ、家に籠って誰とも会わなければ、心身ともに快適な状態になると思う。

 

 

 

そして、ネスケの特性は

 

「一人でいるなら、困ることも、誰かを困らせることもない」

 

 

 

私が、今まで書いてきた記事も

 

これら(記事で書いてきた事)、ネスケが一人でいるなら何の問題のない事です。

(多少は、問題があるかもしれないけど)

 

 

ただ、この世の中

 

誰とも関りをもたずに生きるという事は、まあ無理だと思います。

 

 

在宅で、仕事をすることになったとしても、多少は誰かしらとのやり取りがあると思う。

 

 

そして、今のネスケは

 

私という他人と、生活を共にしている以上、ネスケは人と関わらなくてはならない。

 

「他人」というワードは、ネスケが引っかかるかもしれないけど。

 

 

 

言ってしまえば

結婚したとはいえ、生まれも育ちも違う、血の繋がりもない、他人です。

 

 

縁あって、入籍し、「家族」となりました。

 

 

もう一回言いますが

 

生まれも育ちも違う、血のつながりもない、(元)「他人」です。

 

 

同じ環境で育った場合なら

 

「習慣」などは、ほぼ同じになるかもしれない。

根本的な考えなども、近いものがあるかもしれない。

 

 

でもね、考えてください

 

血のつながりのある、家族だって(親子・兄弟)

考え方は、違います。

 

これは、性格・人格が違うから。

 

 

私は、母親となんて喧嘩ばかりです。

 

喧嘩する理由もたくさんあると思います。

 

 

でも、考え方の違いじゃないですか?

 

意見の違いから、喧嘩って起ると思う。

 

 

 

ただ、気に入らないとか、機嫌が悪いなんていうのもあるけど…。

 

 

 

で、家族間でも喧嘩するとしたら、夫婦なんてやっぱり喧嘩するのは当たり前だと思う。

 

なかには

「私達、結婚してから一回も喧嘩したことありません」という話も聞く。

 

 

でも、私の中でそういう夫婦は

「超絶レア夫婦」って、思っています。

 

 

 

基本、「喧嘩して当たり前」って思っています。

実際、私の両親は喧嘩が多かったけど、仲良しだったし。

 

 

喧嘩=仲が悪い という事でもない。

 

以前のネスケは、喧嘩が多い事を

「俺たちはトラブルが多い」

と言っていた。

 

 

 

何が言いたいかって

 

その、「喧嘩して当たり前」という考えでも

 

ネスケとの喧嘩は

「当たり前」ではない事が多い。という事が言いたい。

 

 

 

「喧嘩なんて当たり前だよー」

 

うん、私もそう思う。

 

 

 

「男なんてみんなそうだよ」

 

いや、なんか違うの

 

 

 

「家の事も手伝ってくれて優しいじゃん、それくらいいいじゃん」

 

それとは、違うのでは?

 

 

 

 

・少しの喧嘩が大きくなったり

・伝えたい事が伝わらなかったり

・どうしてか、理解してもらえなかったり

・違う意味で伝わったり

・言っていないことを「言った」と言われたり

 

 

 

と、当たり前ではないという事が、喧嘩の原因として当たり前にあるってこと。

 

 

 

 

発達障害の事が、認知され始めたからって、みんながちゃんと知っているかと言ったら、ちゃんと知っている人なんてまだまだ少ない。

 

 

だから、愚痴を友達などに話しても、もやもやが残るだけ

 

逆に「それだけの事で怒ってるの?旦那さんかわいそう」

(こんな事すら言われて、私がかわいそ)

 

 

 

 

当事者の人が、「発達障害」と診断されているから、発達障害の事を知っているかと言ったら、それも違う。

(ネスケの場合)

 

 

 

むしろ、発達障害と診断されてからが、大変だった。

 

 

・発達障害と向き合えるか

・工夫や対策という前向きな努力をするか

・そもそも、受け入れられるか

 

だって、大人になってから診断されたとして

(ネスケの場合は30歳の時)

 

それまでの、自分の考え方が

「俺ちょっと違うかも」っていう風に思うのすら大変かと思う。

 

 

 

ここは、倫理観が社会として

道徳観が個人とすると

 

独自の、倫理観、道徳観を持っているから

(さらに長くなるから、ここは思い切って省く)

 

 

 

 

特性と言われているものが、全ての当事者の方に当てはまるものでもない、タイプ別になっているからと言って、きっかり分かれているわけでもない。

 

 

ネスケでいうなら、孤立型・積極奇異型・受動型。

 

これらのタイプから少しずつ持っている。

 

なので、「ネスケは、受動型です」とも、はっきり言えない。

 

 

 

受動型だから、こうすればいいというアドバイスも、性格や他のタイプが絡んで参考にならなかったりもする。

 

 

なので、参考にするのはいいけど

「〇〇ってあったから、その通りにしたのになんで!」

 

こういう事を言い始めたら、本当にキリがない。

 

 

 

人それぞれ違う。

 

通じることもあれば、通じないこともある。

 

つまり、臨機応変・柔軟に

 

 

なので、私は

これからも、ネスケとぶつかり合いながら、お互いにいい方法を見つけていきたい。

 

 

 

一番、思いつくことで簡単な事?

そんなの「離れる」ですよ

 

良く、ネットで

「最初から分かっていて一緒にいるなら仕方ないんじゃない?」

「自分で選んだんだから、仕方ないんじゃない?」

「結婚する前に分からなかったんですか?」

「そんなに言うなら別れればいいじゃないですか」

 

こういうのを、目にします。

 

 

最初から、辛いと思って結婚する人なんている?

 

発達障害って、接すれば接する程、「え?」って思う事が多い。

なので、結婚生活を送って「え?」ってなる。

 

私の場合は、発達障害とネスケが診断されてから結婚しましたけど

(;´・ω・)

 

 

それでも、ネスケの想いや、努力している姿を見て、私はこの人と一緒にいたいって思って結婚しました。

 

分かっていたって、愚痴言いますよ?

 

「辛い」って言いますよ?

 

 

私はネスケと生きていきたいし

ネスケも一緒に生きていきたいって思ってくれるから

 

 

 

日々喧嘩をする。

(意見のぶつかりあい)

 

 

模索の日々

(これか?あれか?こっちか?)

 

 

とても長くなりましたが

 

疲れる時だってあるさ

だって人間だもの

 

相田みつをさんの言葉でいうならば

 

 

 

『あのときの
あの苦しみも
あのときの
あの悲しみも
みんな肥料になったんだなあ
じぶんが自分になるための』

 

 

『セトモノとセトモノとぶつかりっこすると
すぐこわれちゃう
どっちかがやわらかければだいじょうぶ
やわらかいこころを持ちましょう』

 

※喧嘩をしても、私が柔軟になる

時にはネスケも柔軟になってほしい

 

 

 

 

『他人のものさし
自分のものさし
それぞれ寸法がちがうんだな』

 

※ネスケの考えと、私の考えが違うのは当たり前

 

 

『七転八倒
つまづいたり
ころんだりするほうが
自然なんだな
人間だもの』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネスケ子のおすすめの本