安保法制の衆院特別委員会審議で目に余ったのが、安倍首相の異常なハイテンションと態度の悪さだ。

 初日の27日、安倍首相は野党の質問に直接答えず、ダラダラと持論を述べるばかりで、身内の委員長にまで注意されていた。そのため、28日は冒頭で「簡潔に答弁する大切さを踏まえ、留意する」と陳謝させられたのだが、その後も反省ゼロ。それどころか「ヤジ」まで飛ばし、再び陳謝させられたのである。

 28日は民主党が“答弁ベタ”の中谷防衛相に集中的に質問する戦略を取ったことから、安倍首相は答弁の機会をなかなか与えられず、授業中に小学生が「ハイハイ」と乗り出して手を挙げるような身ぶりで、イライラを募らせていた。途中、勝手に立ち上がって、答えだす場面まであった。

 そして、民主党の辻元清美議員の午後の質問の時である。閣僚席に座ったまま「早く質問しろよ。演説じゃないんだから」とヤジを飛ばしたのだ。前日に自分が答弁で5分以上話し、注意されたのをタナに上げて、である。

 辻元議員はブログで〈立法府の委員の質疑を、行政府の長が妨げるということは、三権分立や民主主義の基本がわかってないといわざるをえません〉とカンカンだった。

 安倍首相は今年2月に衆院予算委で「日教組はどうした」とヤジって、品性が問われたことを忘れたのか。そのくせ、先日の党首討論の際は、傍聴する野党議員からヤジを飛ばされると、「騒がないで」「安住さん(民主党国対委員長代理)、注意して」と文句を言っていた。本当に自分勝手などうしようもない男だ。

「民主党は安倍首相に対し、『懲罰動議』を出すべきです。吉田茂首相の『バカヤロー解散』のきっかけになったのは、1953年の予算委での『バカヤロー』発言でした。吉田首相が答弁席から帰りがけに吐き捨てた言葉に野党が激怒、議会軽視の表れとして懲罰動議を出した。その結果、可決し、吉田首相の不信任案も可決、解散となったのです。懲罰動議は安倍首相のイメージダウンになるでしょう。いまのだらしない自民党では造反者は出ないでしょうが、採決を記名投票でやれば誰が安倍首相を擁護するのか一目瞭然になる。民主党はここまでナメられていいのか。懲罰動議を出すべきです」(政治評論家・森田実氏)

 希代の悪法を成立させないために、民主党はもっと攻撃的になっていい。

参考URL:http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/160289
 閣僚の政治資金の使途のずさんさには、開いた口がふさがらない。日刊ゲンダイは、安倍内閣のほぼ全ての閣僚の1件1万円以下の「少額領収書」(10~12年)の写しを入手している。これまで、安倍首相、麻生財務相、宮沢経産相のデタラメ支出を報じたが、イイ加減な大臣はまだまだいる。今回は竹下復興相だ。

 本紙は、竹下大臣の資金管理団体「永田町政経調査会」の少額領収書の写しに関して、10~12年分に加え13年分も入手。中身を精査して驚いたのは、“ひとり飯”が疑われる領収書が山のように出てきたことだ。

 10年5月1日付の領収書を見ると「餃子の王将 学芸大前店」で、14時25分に「餃子」と「ミソラーメン」に計861円支出しているのが分かる。人数は「1名」と明記されているから、事務所の関係者がひとりで遅めのランチでも取ったのだろう。その他にも、そば屋、コンビニ弁当、高級レストラン、中華料理店などが続々。“ひとり飯”とみられる領収書は、4年間で計69枚、総額は約6万6000円に上っていた。他の大臣より抜きんでている。

 見過ごせないのは、これらの支出が全て「組織活動費」に計上されていること。総務省は組織活動費について、行事費や渉外費、交際費など「政治団体の組織活動に要する経費」と定義付けている。「餃子の王将」で“ひとり飯”が許されるわけはないのだ。

 竹下事務所に問い合わせると、担当者はこう答えた。

「竹下議員が組織活動に関わる会合に参加している間、同行した職員やスタッフは外で待機する場合がある。その際の飲食代は、1人分だとしても組織活動の一環として考えている」

 おいおい。民間企業に当てはめてみて欲しい。例えば、会議や出張などで同行した上司が会合に出席している間に、部下がひとりで取った食事の代金が、「渉外費」「交際費」として認められるだろうか。そんな領収書、突っぱねられるのがフツーだ。その点を問いただすと担当者は、「うーん……。それでも組織活動に関連する以上は、組織活動費として計上するものと考えている」と苦しい答え。

 竹下事務所のスタッフの“ひとり飯”の原資には、自民党本部を通じて国民の税金も含まれている。あまりに非常識な金銭感覚には呆れるしかない。

参考URL:http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/160219
医師は大学最高の頭脳と証され、東大医学部は理系のエースであり、医師免許はアイデンティティーの象徴である。片や弁護士も大学最高の頭脳と言われ、東大法学部は文系のエースであり、司法試験は葵の御紋として生涯の食い扶持を保障するものになる。

しかし、双方共に誰かが創造した物を常に更新して熟知し、医師は薬剤等を医学書を片手に叩き込み、弁護士は常に更新され改正される法律を六法全書を戸棚の片隅に置いて適応する。

両者とも共通しているのは、共に医師免許を持ってもいない製薬会社が造ったものを一生涯追い続け、管理する立場に置かれ、弁護士もまた司法試験はおろか小学校卒レベルの代議士によって立法された法律を追掛け管理運用する立場なのだ。

立法府に属する代議士は国の条約や過去に国家が受諾した宣言文章を読んでいなくても総理大臣にまでなれる。だが、その国会という場で造られる法律は、司法試験を経て裁判官や検察官、そして弁護士等になった者達は、その文章を元に喧々囂々の議論を交わし、国の行く末を運営し、官僚はその行政を内閣と共に執り行なう。だから故に憲法は国会を名目上国権の最高機関としているのは、制度上まさにそういう仕組みだからに他ならない。

さて、そんな理系/文系の最たる者の中にあっても、クリエーターには成れない者達は、知識と権威とお金によって一生使われる立場なのだが、万人はその管理運営する側に憧れ目指す。夢のある者は代議士であれ製薬会社であれ、創造する側に回る。プログラマー等もしかりで、創造しない物はシステムの更新に乗り遅れた瞬間からドロップアウトが待っている。 様々な分野で何かを造り上げた者が、最終的には血みどろの出世競争とは次元の違う所に行く。

医師と法律家が食いっぱぐれない一つの要因として、民法に代表される様に明治から更新が全くない事と、弁護士会と利権談合の巣窟である医師会が、お互いに免許や資格の更新手続を怠っている点だ。

プログラマー等の世界ではそうはいかない。数十年前には最先端でバブル景気を味わった人々は、今のOSにはついて行けず、一旦ベルトコンベアーから乗り遅れると、もうはや下手に旧世代型のプログラミングが頭に入っている人程、ついて行けなくなる。

明確にドロップアウトする事が分かる職種が居る反面、完全に社会の中の歯車の一部品として一生をかけて磨き上げた知識と教養と学歴を、自分よりもそういう意味では劣る連中が創造した物を運営管理する事でおまんまが食えている人々。気が付かない方が幸せな事は、まだまだこの世の中には沢山あるようである。