住む場所が無くなり、仕事も無くなった父は
とりあえずそれぞれの実家に帰る事にしました。

父と母の実家は同じ市内にあったため、
父は父の実家に帰り療養。

母は母の実家に帰り、まずは仕事を探す事にしました。
母は以前取った教員免許があったため、高校の臨時職員として非常勤講師をする事にしました。
その時、私はまだ3ヶ月くらいで、おっぱいを飲んでいたので、休み時間のたびに母は保健室で搾乳し、冷蔵庫に保存していました。

そのおっぱいを、祖父が車で取りに行き、温めて私に飲ませてくれていました。
小さな軽自動車の助手席に兄を乗せ、赤ちゃんの私を籠に入れ、母の勤めている学校まで毎日通って、私におっぱいを飲ませてくれました。

しかし、半年もすると、母はおっぱいが出なくなり、途中からミルクに切り替えたそうです。

祖父は私たち家族が大変な事になったので、
当時は既に仕事を引退して年金生活をしていましたが、新しくゴミ拾いの仕事を始め、朝と夜に競艇場のゴミを拾って私達を育てる生活費に充ててくれました。
また、祖母も朝から夕方まで紡績工場でパートをして私達を育ててくれました。

母も昼間の非常勤講師だけでは食べていけないので、昼の授業が終わると、さらにコンビニでパートをして、またすぐに帰ってきて服を着替え、夜は夕方から夜中の2時頃までバーの店員をしてお金を稼いでいました。
これは、私が6歳くらいまで続いた、毎日の暮らしでした。

当時、私は母の姿を見ることはほとんどありませんでした。
そして、いつも母が恋しくて泣いていました。