私は人との出会いをとっても大事にしている。



人生において自分と関わる人たち、自分の前に何気なく現れる人たちとの出会いは



偶然ではなく必然だと思っている。いや、思うようにしている。



それが自分にとってプラスになる人でもマイナスになる人でも特に何も影響を及ぼさない人でも…



だから新しい人との出会いがあったとき



どうしてこの人と知り合うこととなったのか



昔はあまり考えずに過ごしていたが最近はすごくよく考えてしまう。



少し前のことだが、とても奇妙な出来事が起こった。



自分にゆかりのある人たちと、同じタイミングで次々と偶然連絡が来たり、歩いていてばったり会ったり



同じ電車の同じ車両に乗り合わせたりしたのだ。




それまで何年も音沙汰がなかったのに約一週間の間に実に4人ほど。



4人とももちろん私としか繋がっておらず、住まいも年齢も性別もバラバラの人ばかり。



どういうわけか、皆私にとっても良くしてくれる素敵な人たち。



一年の間に違うタイミングで出くわしたり連絡がくるなら全く不思議じゃないが



えっなぜ?と思うほど短期間の間の出来事だった。



私は嬉しい反面、少し怖くもなってしまい(捻くれもので臆病者という性格のせいw)



素直に喜ぶことができず、こんな偶然が一気に重なるなんて絶対おかしい…



自分の身に何か起こるのかも…などと考え出したら恐怖でちょっと頭がパニックになった。



しかしいつもあっけらかんとしている友人に相談してみたら



「考えすぎだよ、いいじゃん久々に一気にみんなに会えて」



と軽くあしらわれてしまった(^^:)



きっと私はそう言って貰って少し安心したくてその子に相談したのだろう…




人間関係というのは一言で表現するのはとても難しいが



誰しもがどこかで損得勘定というものが多少働くと私は思う。



そしてそれは多少であれば全然悪いことではないとも思う。



上↑の友人とのやり取りがいい例である。



私は別に本当にこの悩みを相談したかったわけではなかったんだろう。



「そんなの全然大丈夫でしょ」



という一言が欲しかっただけだったのだろう。



わざとそう言ってくれそうな人を選んで私は話した。



自分にとって安心できるワードを求めて話したという時点で損得勘定が働いている。



そして結果その言葉に救われ、特別変わったことは幸いまだ起きずに過ごしている。



彼女もまた私の大切な人の一人で、この出会いにとても感謝している。




これからどんな人たちとの出会いが待っているのか全くわからないけど



出会った暁にはその意味をまた無駄に考えてしまうのだろう



その段階では答えを見出すことなんて絶対出来ないってわかっていながらね






私のひねくれた性格は




有名なおとぎ話のヒロインの性格までも疑ってしまうほどである。




私が愛してやまない漫画“NANA”に出てくる主人公のセリフの中に







「シンデレラのガラスの靴は、ピッタリなのになんで途中で脱げたんだろうね。




王子様の気を引く為にわざとやったとしか思えないんだけど」







というのがある。私はそれを読んだとき、なんだか妙に納得してしまった。




恋愛に多少の駆け引きは必要であるから




もし本当にシンデレラがそういった目的で片方だけ靴を階段に残し立ち去ったのだとしたら




私的にその手段は結構嫌いではない。




むしろ私でも同じように何らかの痕跡を残すだろう…笑







ここで私が言いたいのはそんな恋愛テクニックなどではなくw




世間一般的にはシンデレラを読む人たちはシンデレラに対して




そんな風に悪あがき的なことを考える性格の持ち主かもしれないという視点で




この物語を読んだりはしないだろうと思っていたのに、それを矢沢あい先生(NANAの作者)が




さらっと主人公のセリフとして適用させているところに感動した、ということだ。



もちろん、何の問題もなく素直に物語りにのめり込めるときだってたくさんある。




しかしふと稀に、天邪鬼的な思考が私の中から現れるときがあるのだ…汗










NANAにはこんな風に、私の日常感じる気持ちを代弁してくれるセリフが多く出てくる。




↑上のセリフには続きがあり、







「何をやっても空回りの一人芝居で、幸せになりそこね続けた女のひがみかな。」







と続いている。




しかしこの主人公はハタから見れば非常に充実した人生を送っているようにも見えるし




きっともっと不幸せな人はたくさんいる。




つまり幸せのものさしは常に自分の中にあり、自分でその基準を決めているんだと私は思った。







運命というものを、半分信じて半分疑っている私は




シンデレラがもし靴を置いていかずに




脱げてしまった後もきちんと自分で履きなおして帰ってしまっていたら




この物語の結末は一体どうなっていたんだろうなどと、




どうでもいい妄想を膨らませる。




それでも二人は目に見えない何かによって引き寄せられ




ハッピーエンドを迎えるのかな。




それともまた継母にいじめられる日々を過ごすことになるのかな



.*。+★.*。+★.*。+★.*。+★.*。+★

アカウントだけ作ってずっと放置していたこのブログページ。


facebookやinsragramなどと違い、


一体どこに向けて誰に向けて文を綴ったらいいのかわからず


ただの独り言にしては随分たいそうなページだし…と


なかなか始められずにいた。


でも最近特に、何かひとつのことに対して思うこと、感じることが多くそして長く…


勝手に自己完結できるものといつまでも私の中に入り込んで出て行かない思いたちとがあり


それらがうじゃうじゃ長期滞在中なので笑


ここにそれを吐き出して少しすっきりできたらというのがこの初ブログを書くきっかけとなった。


私は多少ひねくれているので、素直に受け止めればいいものを


無意識にひん曲げて考えてしまう困った傾向にあるため、日々普通に過ごすのがちょっと大変(^^:)


記念すべき初日の内容はまさにそんな性格があらわに出たある温泉旅館での出来事を綴ろうと思う。



一ヶ月ほど前、私は日本海に面する県に構えるとある温泉旅館にいた。


雰囲気はよく、紅葉シーズンだったため葉っぱも綺麗に色づき、


その見せ方がとても上手な趣のある旅館だった。

そこのオーナーさんはどうやらかの有名な詩人「相田み○を」氏を崇拝しているらしかった。


廊下の壁面や温泉の脱衣所、フロントの装飾の一部など至る所に


彼の詩を素敵な額縁に入れて飾っていた。


通された客室のドアを開けて廊下に出るとすぐに目に付くところに


あるひとつの彼の詩が飾ってあり、思わず足を止めて見入ってしまった。



「セトモノとセトモノと


ぶつかりっこするとすぐこわれちゃう


どっちかやわらかければだいじょうぶ


やわらかいこころをもちましょう


そういうわたしはいつもセトモノ」



これを見て普通は、あぁいつも尖がって生きてちゃ駄目だな。


思いやりを持って穏便・温厚に過ごすことが大事なんだな。


と気づかされ、心が和むのでしょう。


しかし私がこれを見て何を思ったかというと…



“この人皆に自分勝手なお願いをしているだけじゃん”



私は常にセトモノの方でおりますのであなたがやわらかい方になってくださいね。


と言われているようで、なんて自己中心的な詩なのだろうを思ってしまった…(x_x;)



「そういうわたしはいつもセトモノ」



この最後の一言があることによって私にはそんな風にしか感じることができなかった。


この詩が世に多く出回り、皆の心を綺麗にしているのかと思ったら


そんな風には到底思うことができない私がおかしいのか…


と若干の自己嫌悪に陥り、でもやっぱりそんな風にしか思えない!とすぐ開き直るのであった。。


物事の解釈なんて人それぞれだと、思う。


しかし一般的な考えを持ち合わせていないとき、そしてそれが頻繁に続くとき


とても生きにくい世の中だと感じてしまう。


同感してほしいとまでは言わないが、一匹狼で生きていけるほど強い人間ではないからだ…


30数年生きてきて、こんな場面に遭遇することなんてごまんとあった。


窮屈に感じることがあっても、幸い人は忘れる生き物なので今となっては覚えていないことも多い。


これからはそんな心の叫びを文字にすることによって自分の心の体重が軽くなれば…と思う^^



※もちろん楽しい内容、バカみたいなことも多々やっているので


そっちは別のテーマを設定して


綴っていこうかな…自分のペースで.。*★