※眷属とは、神仏のお遣いで
修行している存在
✨🐅🐇🐀🐂🐉✨
(龍🐉さんをきっかけに)現在は
眷属の孔雀🦚さんとメインに
動いていまーす✨
⬇
眷属の孔雀とは?
※この1年で1000人以上の方に
守護とメッセージを届けてきました。
しばらく、ブログの更新が
出来ずにすみませんでした。
私は、日本の神話も
歴史もほぼ知識がないのですが
神仏の存在を知って以降、
自分の感覚のまま動き
導かれるままに
出逢った皆さんと
ここ数年、
沢山の神社仏閣を巡らせて
頂きました。
。。。
その中で…、
フト疑問に思った事達が
🌱🌱🌱
今回、私の中で沢山の情報と共に
繫がり始めました。
皆さんにとっては、
こんな事知ってるよー!
って、事かもしれませんがw
私の中で、
疑問や違和感のあった事が
答えの様にピッタとハマり!
まるで頭は…
ダビンチコードの様な状態です🗺
ただ、何から
どうやって話していいのか
…。
文字に起こそうと考えると
思考はプツっと切れて
頭が真っ白になったり、眠くなったり
はたまは、(昨日も)
書いてたブログが保存されず
消えてしまいました。
これは、ある意味
伝える事を阻止する働きも
あると同時に、
その逆の力の働きかけもあります。
(ってか、それがほとんど)
では、何故その様な現象が
起こっているのか?と言うと、
“私の中で繫がりが浅いとき…”です。
皆さんに伝えるには
“不確かな言葉の情報になる”として
ブログの強制終了が起きたり、
紐解きの継続が、
シャットアウトされて
…寝てしまいます。
これから話す事は
皆さんビックリするかもしれません。
(既に知ってる事かもしれませんw)
とは言え、これから話す事は
何の根拠も…。
示せる証拠もありません。
なので、これから読む話は
私の夢物語か妄想。
又は、ただ1つの仮説
として聞いて下さい。
真実信仰?を
広めたいなんて事も
ないです。
面白い!?
ファンタジーとして。
聞いて頂きたい。
ただ…。それでも、私が実際に
全国各地の社寺へ行き
現地まで足を運んだからこそ
分かる由緒や伝承を得た事は
事実であり…
それらの疑問を解消するかの様に
大甕神社おおみかじんじゃ
で、色々な事が繫がりました。
前回ブログでも話した通り…
不思議なんですが
この岩山はさほど高くないんです。
大甕神社自体は、
むしろ盆地?住宅も立ち並ぶほど
この地域は、
地層が大きく隆起してる場所とは
言い難い場所です。
断層地帯でもないのに
そこに日本最古の地層が
現れるのか…?
(浅い知識なので失礼します)
とすると…もはや、
この石達は遥か昔(5億年前)過ぎて…
計測不能な石(=隕石)なのかも??
仮に、そう考えたなら…💡
巨石に変じたカカセオを
タケハヅチが蹴り砕き
その欠片が四方に散った
今回は…。
皆さんを退屈させてしまう
投稿が続くかもしれませんが
託された1つの使命として
伝え終わるまで、
書きつづらせて頂きます。
ここで、一旦話を整理し、
分かりやすくお伝えする為にも
繰り返しになりますが、
前回までお伝えしていた
大甕神社の御祭神と、その繫がりを
ワードで箇条書きさせて下さい。
今回は、箇条書きなので
そう記した話の経緯は
前回ブログをご覧下さい⬇
大甕神社の
主神:武葉槌命
(たけはつちのみこと)
またの名を、
天羽槌雄神(あめのはづちのおのかみ)
天羽雷命(あめのはづちのみこと)
倭文神(しずのかみ・しとりのかみ)
倭文神建葉槌命(しとりかみたけはづちのみこと)
つまり
織物の女神。
⬇⬇
そこから連想すりワードは
織姫
七夕伝説
天の川
七夕伝説発祥の地と言えば…
〜星田妙見宮〜
北極星
アメノミナカヌシ
(妙見菩薩)
〜君の名は。〜
宮水三葉(みやみずみつは)
罔象女神(ミツハメノカミ)
闇龗神(くらおかみのかみ)
別名
闇御津羽神(クラミツハノカミ)
闇罔象(クラミズハ)の連想も。
つまり龍神
瀬織津姫
天照大神の荒魂と言う見方では
太陽信仰
地主神:
甕星香々背男
(みかぼしかがせお)
またの名は、
天津甕星(あまつみかぼし)
天香香背男(あめのかがせお)
星神香香背男(ほしのかがせお)
天村雲命(あめのむらくものみこと)。
つまり、
星の神様で
男神。
彦星
金星
〜君の名は。〜
立花 瀧(たちばな たき)とは
高龗神(くらおかみのかみ)
つまり龍神
⚠ここは若干、
考察を深める必要があるのですが…。
ただし、龍神同士として考察した時に
繋がる発見もありましたので
一旦ここに書き留めておきます。
では、ここで並べたワードと…
それらの対の意味を
1つ1つ調べてみました。
前回話した通り、
金星(明けの明星)に対する
対立の関係は、太陽。
抑え込まれてる様子から…。
これは、カカセオが金星
とした視点の場合…
⬇
瀬織津姫を
天照大神の荒魂と言う視点では
太陽系と見る事ができるのです。
御神体同士の位置関係から、
金星は太陽系の1つの惑星としての
認識へと取り込まれたこと。
つまり、太陽信仰が優位になるように
織り込まれたことと言う意味に
繋がると感じました。
では、次に。
話しは飛んでw
織姫が登場する七夕🎋伝説と…
空に返った系🌠の話しとして
何となく似てる雰囲気でもある…
【竹取物語】や【鶴の恩返し】
どれも話しは全然違いますがw
七夕🎋伝説同様、
どうしても瀬織津姫を感じてしまう
側面があるので
あえて、この物語から連想さられる
キーワードを抜き出してみました。
織物
鶴
月
兎
では、これらのワードが
仮にも瀬織津姫と
本当に関係するものがあるか?を
考察してみました。
※鶴の考察もあるのですが
ここで一緒に話すと混乱するので
まずは、
月と兎の考察から話します。
瀬織津姫を
天照大神の妻と言う視点で見た際
天照大神【太陽】に対し
瀬織津姫は【月】という
対の関係として繫がります。
※瀬織津姫を水と捉える場合は、
天照大神は火と捉えた対で組みます。
⚠ここでの話は、【太陽と月】
と言う関係でみていきます。
すると、月の象徴で
まず思いつくのは兎🐇!
兎🐇が餅をついてる
姿と重ねたり
餅をついている、
満月🌝を意味する
「望月もちづき」からきているなど、
さまざまな説があり
月と兎はセットの存在な訳です。
では、仮に
タケハヅチ(織姫)を兎🐇
としての視点で見た際…
カカセオには
兎と対になる様な
側面があるのか?を
探りました。
すると…。
…。
ありました!
カカセオのことを
常陸地方では
カウラザメ
という名前で伝わっていました。
つまり、
サメ🦈
⬇
サメとは
ワニ🐊のこと。
※ウラカザメ→甲羅鮫のこと→
→甲羅のある鮫→つまり、ワニ🐊!
ワニは、和邇
つまり
和邇族わにぞく。
(王仁わに族も実在した)
※彼らは百済系ともいわれる
古い人たちであり、
のちには畿内の中心勢力ともなる
海族。
さて。
🐇と🐊
ときたら
出雲!
因幡の白兎
のお話ですよね!
そして、大甕神社では
由緒では何も触れてないにも関わらず…
社務所で見付けたヤバい御札💫
関係を示している事が分かりました。
ではここで、
「白兎」と「ワニ」のことを
もう少し掘り下げる為
『因幡の白兎』の話しへと戻ります。
⬇
白兎が、海を渡り因幡へと向かう際
🐇)「おーい、鰐よ、
俺の仲間とお前の仲間と
どちらが多いか知っているか。」
「俺が数えるから
海岸に向かって並んで見ろ」
と、言いつけました。
計算の苦手な鰐は一列に並び、
🐊)「兎さん、準備よし」
🐇)「あい判った、
いち、にい、さん--。」
と数えていたが、
海岸に近くなったとき…。
🐇「しめた、これで泳がずに帰れた。
お前達を騙したのだ」
と言ってしまったのです。
怒った鰐は、
兎の皮を食いちぎり、
丸裸にしてしまった。
…。
と言う、兎🐇とワニ🐊の
内容であります。
そこで疑問なのは、
野に住む白兎🐇が
海に住むワニ🐊を
騙してまで
対岸へ行く必要が
あったのか?
ワニを利用しなければならないほど
実行しなければいけないものとは?
ってか、なぜ渡りたかったか?
が、疑問になりました。
白いウサギについてですが、
現在良く見かける白い兎は
明治になって輸入されたもの。
本来在来種である
日本の野兎は茶色で、
冬毛になると保護色となり
白毛になります。
神話の中で、大国主命は
蒲の花(初夏)を敷いたのだから、
在来種であれば
兎が白いとは考え難いのです。
つまり、
因幡の白兎とは
…。
因幡に渡った
白(外来)からの兎
を指しています。
では、
その兎🐇についてですが…
※鰐🐊が和邇族(海族)対し…
兎🐇は宇佐族
で農耕民族
を表しています。
ちなみに、
因幡は➡出雲・鳥取のこと。
要するに、
因幡(出雲・鳥取)の
宇佐族🐇は
(農耕民族は)
海族🐊を騙して
やってきた
と言う解釈に繫がります。
と言う事は…、白兎の背景には
「ウサ族🐇」と「ワニ族🐊」の
部族対立があったことを
示していたのです。
そこで行きついた資料は、
鳥取大学の教員が発表した
地域文化調査報告書でした。
by.調神社の御手洗場のウサギより
さて、ここからは…私の考察ではなく、
調査報告資料に基づくお話しです。
⬇
大陸や半島からの、渡来人が
(国を追われ…、新たな土地を求め…、
或いは流れ…)着いたのが、
北部九州や山陰海岸
そして越前等である。
名高い海の民には、のちに
安曇族や宗像族などと
呼称される人達が活動し、
航行権を握っていた。
それは日本海の
対馬(黒潮)海流とも関係していた。
こういう人たちは当初、
和邇族といわれている。
ワニ🐊。つまり…
和邇・王仁族が実在し、
百済系ともいわれる古い人たち。
(のちには畿内の中心勢力ともなる)
同時に、海を自由に往き来する人、
一部は漁業、一部は交易に従事したり、
あるいは海賊であった。
従って、北部九州には
宗像族や安曇族などの
古い海人族🐊が。
それに対峙して
宇佐族🐇もいた。
大陸や半島から紀元前には
既に稲作がもたらされた訳ですが
そうした伝播者を
農耕者という意味で
菟狭族うさぞく🐇
と呼んでいました。
ただし、移動するのに農耕族には
海を渡る術は
もっていなかった。
海人族の世話になった。
ウサギが海を渡るということは、
陸の作物、
あるいは技術を担う者達の
移動を意味している。
弥生時代のある時期に
大陸から、或いは半島経由で
稲作がもたらされ、
人口も爆発的に増加した、
そういう時代に
農業の伝播に寄与した人たちがいた。
又、半島と九州を結ぶ線には玄界灘の
「沖ノ島」があり、
ここには
「宗像大社」の沖津宮がある
(宗像市に辺津宮、筑前大島に中津宮、
宗像大社はこの三社の総称)。
つまり、
海民🐊の宗像族と
特別に関係があり
沖ノ島は「海の民の移動」
に関して重要な位置にあった。
比較的安定した
対馬海流が流れており、
この海流に乗ると、
日本海側、
特に島根県の隠岐諸島や
出雲地方に辿り着く。
時化や天候不順でも
対馬海流の流れに乗り、
渡来系の人々が、
島根県の隠岐諸島を経由し
出雲や因幡にやってきた。
「隠岐の島」と解釈するのは
出雲族の存在があったであろう。。。
農耕民が移動し
海民との間で
悶着があったのは、
一度や二度のことではなく
ときには、大きな事件があった。
ウサギ(族)が皮ごと剥がされて、
瀕死になったということは
⬇
農耕族のある時の壊滅を意味した。
(出雲族の象徴・オホアナムチは)
山陰において出雲族が
農耕族との抗争の調停を担当しました。
そして、 農耕族🐇の復活は、
大国主命に象徴される
出雲族によってもたらされたのです。
それはつまり、出雲族が
宇佐族の農業や職能🐇の優遇をした。
それで、出雲あるいは山陰が栄えた。
ウサギは兎神🐇になるが
祀られたものであり
言いかえれば、
宇佐族🐇の復活であり、
多分、宇佐神宮として
海民の影響力の強い九州に
位置づけられた 。
(宇佐神宮と出雲大社の神前での拍手は
四拍手で特異)。
九州の海民🐊、宗像族に対抗して、
大分に宇佐宮🐇を作ることにより、
海の民との対決。
あるいはその後の融合・融和を図った。
海民🐊はその後も活躍し健在し…
一般化した農耕民🐇よりも、
各地に海部・和爾🐊・安曇・渥美・安積
などとして、痕跡を残している。
宇佐族🐇たちも
それぞれに発展していったであろう。
弥生時代の稲作の成果は
🐇実績であり史実である。
この調査報告資料から…
以前、参拝した筥崎宮の
八幡様(宇佐🐇の神様)が
何故、日本の本土ではなく
海を向いていたのか?
さらには
半島へと繋がるラインであった事を、
新たな理由でも繫がったのでした。
つづく。