第9章を読んで、

私が受け取ったことを一言にまとめると、

 

 

と思ったら、

8章に続きがあった(笑)

 

 

8章では、

腰骨を常に立てておくことの意味、効果が書かれているのですが、

それに加えて、

女子は、膝頭からくるぶしまでの間、

両脚をキチンと合わせておくて、絶対にあけないように。

 

 

 

で、9章で伝えていることは、

 

 

 

女子の家庭教育で大切なことは、

一、家事を手伝わせること

二、外出を控えめにすること

 

女の子は結婚したら主婦として家庭の太陽に、

母として家庭教育の責任者になるので、

男の子より厳しく育てること。

 

 

 

議論を呼びそうなまとめ方をしてしまったけど、

9章を何回読み直してもこうなるんだよね。

 

 

 

本書にはこうあります。

 

 

元来男は外で働くもの、女は家を守るものと言うことは、

いかに世の中が変わっても

根本的には変わらぬ男女の受持ちの相違であります。

 

今日では、女でも外で働く人も少なくないですが、

しかしそれは本当ではないと思うのです。

 

つまり子どもを生みわが子を育てることが男の役目とならない限り、

男は外で働き女は内を守るというこの人類の根本原則は、根本的には変わりはないわけです。

 

ですから、

女の子には、外出好きな女にしないように育てることが大切で、

それというのも外出好きな女というものは、何といっても出費の原因となるからです。

 

ー引用「家庭教育21か条」

 

 

「なるほど!そうか!合点がいった!」

というのが、私の正直な感想だ。

 

 

私自身、外出好きで出費の原因だ。

 

 

そして、娘も外出好きで出費の原因だ。

 

 

母からは、

「小さい頃、父がいろなん所に連れて行ってくれた

あなたには方向感覚や社交性が身についたのかもね」

と言われていた。

 

 

ちなみに、私と母は真逆だ。

おもしろいほどに。

 

 

今でも母に、

「どこか行きたいところないの?」と聞いても「ない」

「何か食べに行かない」と聞いても「行かない」

 

 

家にいるのが好きらしい。

それで幸せらしい。

 

 

私からしたら、ずっと家にいて人生楽しいのか?と思ってしまうけど、

それはこういうわけだったのか!

 

 

母が幼い頃は、女の子が頻繁に外出する時代ではなかったのだろう。

今ほど交通も便利じゃないし、豊かでもないしね。

母の母、私のおばあちゃんは主婦だったし。

 

 

実は私も、結婚したら主婦になりたいと思っていた。

 

 

大学を卒業して海外営業で世界を飛び回っていたけど、

子どもは3歳までは手元で育てたいと思っていた。

 

 

それは「専業主婦がいいわよ」と言っていた、

母の背中を見ていたからなのかもしれない。

 

 

 

外出は楽しいし、

家族で出かけるのも楽しい。

 

 

子どもたちにはいろんな世界を見せてやりたいし、

いろんな経験をさせてやりたい。

 

 

でも、森先生の言ってることも分かる。

 

 

この記事を書いてる前日に、大谷選手の結婚発表があったけど、

大谷選手の結婚相手は、家を守る女性のような気がしている。

 

 

山口百恵

工藤静香

山田優

 

 

第一線で活躍していた女性が、

結婚、出産のタイミングで家庭に入っていき、

家庭が円満(そう見える)なのは、

 

 

元来男は外で働くもの、女は家を守るものと言うことは、

いかに世の中が変わっても

根本的には変わらぬ男女の受持ちの相違

 

 

を知っている賢い女性なのかもしれない。

 

 

我が家を振り返ってみても、

私が「夫に負けないくらい働きたい!」「家事は分担!」と思っていた時よりも、

 

 

夫と張り合う、比べることをやめて、

本当は、「守られたい」「養ってもらいたい」「子どもと一緒にいたい」

と思っている気持ちを認めてからの方が、うまくいっているような気がする。

 

 

 

 

7章で、わが子をどういう人間に育てたいか?を親が決めよ!

という話しがあったが、

 

 

私は娘に、幸せな結婚をして欲しいと思っている。

素晴らしい男性の伴侶にふさわしく、

家庭教育を全うする母親になれるよう育てたいと思っている。

 

 

 

今は、女性が働く時間を確保するために、

家事や育児をいかに効率よくこなすとか、外注するとか、

そんな話しが多いけど。

 

 

女性に男性と同じことを求めること

男性に女性と同じことを求めること

が、どちらにとっても幸せなことなのか考えてみたい。

 

 

同じことを求める、同じことができるのであれば、

神は男と女を創る必要があったのかな?

 

 

私は、違うことには意味がある思うから

男女平等とかイクメンとか世間の雑音を傍に置いて、

 

 

男性”性”としての幸せ

女性”性”としての幸せ

 

 

をそれぞれが自分に問うてみて欲しいな、と思う。

 

もちろん私も。