またビックリマークが3つ、、、

 

非行の根本原因は家庭が正常ではないことに集約される

 

子どもの飛行を防ぐには、

家庭を楽しい場所にするしかない

 

そのためには、

①年頃の子をムヤミに叱らない

②子どもの前で夫婦喧嘩をしない

 

夫婦喧嘩をするなとは言わない

”子どもの前では”するな、ということだ。

 

両親の不和や喧嘩ほど、

子どもにとって家庭を不愉快にするものはない。

外向的な子は非行

内向的な子は鬱、引きこもり

 

夫婦喧嘩を避ける根本程度(秘訣)

当てを言葉によって説教、教育しようと思うな

夫婦のどちらか一方が、相手の不完全さをそのまま黙って背負っていく。

 

いや〜不公平すぎる、と思った私。

 

そこには結婚、夫婦に対する前提の違いがある。

森先生は著書の中で、

夫婦はお互いに「業」を果たすために結ばれた間柄である。

この点に腰がすわるまでは、夫婦間の動揺は止まない。

 

 

分からなくはないんだけど、

苦労すると分かっていて結婚する人はいないわけで、、、

 

好きだから結婚する!

幸せになれると思ったから結婚した!

という人が多い現代では、

「業」を果たすと言われても、、、といのも分からる。

 

そもそも「業」とは?

サンスクリット語のカルマの訳語

カルマに良いイメージがない私だけど、

カルマに良い悪いはないらしい!

 

善意と善行は良いカルマと幸福な転生をもたらし(善因善果)

悪意と悪行は悪いカルマと悪い転生をもたらす(悪因悪果)

 

生まれ変わりを信じていない人には、

そもそも受け入れ難い話しかな?

 

私は生まれ変わりを信じているので、

なんとなく

 

 

また私の話しなんだけど、

結婚って縁によるところも大きいよな、と思う、

 

私は、

自分の意志で夫と結婚したいと思ったし、

結婚すると決めた。

 

と同時に、

巡り合わせやいろんなものが重なって、

結婚に導かれていったようにも感じている。

 

例えば、

夫と出会うタイミングが違っていたら結婚はしなかったと思う。

男に頼る生き方はしない!

という価値観を握りしめていた頃の私は、

夫の魅力に気づけなかったと思う。

 

夫はまだ結婚する気はなかったけど、

実母の病気が分かって、

結婚する気持ちを固めて、時期を早めたというのもあって。

 

 

だから、

魂が、

自分の業が果たせる相手を

今のあなたなら果たしていける

と導いてくれているような気もする。

 

 

私は結婚して、8年。

「離婚してやるー!」と思ったことはある。

でも、これって相手を変えても変わらない。

結局、自分の中の課題で

課題は終えない限り、形を変えて何度もやってくる気がする。

 

課題は業なのかもしれない。

 

相手のせいにするのではなく、

自分が果たしていくと決めた時

天は味方してくれるのかもしれない

 

良い時も悪い時も

それが魂の成長につながっていると思えば

業の果たし甲斐もあるのではないか?

 

と、今回はスピリチュアル系になってしまった。