我が子の子育てを日本の発展と世界の平和に役立てたい。

「家庭教育再興計画」準備中

たなゆかです。

 

 

 

「わが子の人間教育は両親の責任!家庭教育21カ条」

 

読み進めていきましょー。

 

 

第二章

「親のいうことをよく聞く子する秘訣」

 

 

最近、

長男が全くいうことを聞いてくれなくて疲れて果てています。

 

 

一回で聞いてくれない。

優しく言っても聞いてくれない。

「いかん、いかん」と思いながらも、

ヒートアップを止められず、

最後は怒って言うことを聞かせてしまう。

 

根本解決になってないからね、

次の日も同じことが起きる。

 

それに引き換え、

割と、いや、かなり聞き分けのいい長女。

 

聞き分けがいいとそれはそれで心配になる。

 

一体、どうなればいいんだ(笑)

 

 

と、前置きが長くなったんだけど、

 

この章をまとめると、

 

 

●家庭教育の根本は躾にあり

●すべき躾は3つだけ(挨拶、ハイ!の返事、履き物を揃える)

●3つの躾は小学校に入る前までに終えること

●それ以降は子どもに”我”が出てくるから躾られない

●子どもを躾る母親も我を抜かなければならない

●我の抜けていない母親に人間教育をする資格は無い

 

 

いやーきついっす、森先生。

え、子どもの前に母親ですか、、、

 

 

ちなみに、

その”我”というやらは何者で?

どうやったら抜けるのでしょうか?

 

 

子どもに注意したり、怒ったりしながら

「私は随分、自分のことを棚に上げてるよな〜」

と思うこと、ありませんか?

 

 

●使ったものは元の場所にしまう

●明日の準備をする

●すべきことを先にする

●お菓子を食べすぎない

 

 

どれも私だって完璧にできていない。
私を注意する人がいないからいい気になってるだけ。

 

 

自分ができていないことが良いとは思っていないから、

子ども達には私のようになって欲しくなくて

注意してるってのもあるかな。

 

 

今は子どもが小さいから逆らってこないけど、

もう少し大きくなったら

「お母さんに言われたくないわ」となりそうだよなー
という危機感は感じてる。

 

 

なんかのドラマで、

「子育てなんて自分のこと棚に上げないとやってられないのよ!」

というセリフを聞いて以来、

自分のことを棚に上げる許可を出してきたんだけど(笑)

森先生は許してくれなかった。。。

 

 

「我をとる」とネットで検索すると、

いろいろ出てきた。

 

 

神社の神棚には「鏡」があって、

「鏡に映る自分自身の神を拝み、自分の行動を自覚する」ためらしい。
“かがみ(鏡)”の中の自分から

“が(我)”をとると「かみ(神)」になる。

 

 

古来、日本では、

我をなくすことが神の道に通じるとされていたそう。

天皇陛下には「私=我」がない、

だから神なのだそう。

 

 

今の私には、
我をとりきってしまうことが良いこと
だとは思えきれない。

 

 

 

だって、”我”だって大事ない?

「私はこうしたい」という自分の欲もあってもよくない?

人の為に自分を犠牲にするのは違う気がするし、

我慢のしすぎも良くないと思う。

 

 

もちろん、

「自分さえよければいい」というのも違うんだけど。

 

 

塩梅が難しい。

あなにも良くて、私にも良い

みたいな世界観は目指せないものなのだろうか?

 

 

森先生や渡部先生は、

著書の中で、

「中途半端に学歴をつけた鼻持ちならないメンドーな女」

みたいなことを書いてるんだけど、

「これって私のことだよね」と自覚あり(笑)

 

 

ちなみに、

躾3か条はこちら

 

①朝必ず親にあいさつ

②親に呼ばれたら必ず「ハイ」とハッキリ返事

③履物を脱いだら必ず揃え、席を立った必ずイスを入れる

 

 

①と②を軌道に乗せるコツは、

母親が、

・朝起きたら夫に挨拶

・夫に呼ばれたら「ハイ」と返事

を実践することらしい。

 

 

「母親の我がとれると、子どもの我もとれる」

というカラクリなのか。

ありそだな。

 

 

挨拶はOK!できます!

夫に呼ばれたら「ハイ」も、、、で、できます!やってみます!

 

返事=その後に言われたことも従う

ってことではないもんね?(え、ひねくれてる?笑)

 

 

とりあえず、森先生が言ってるから

躾3か条を自分に実践中の40歳でございます。

 

 

 

「靴は揃えるもの」

「椅子は入れるもの」

 

「○○は〜というもの」

その子の基準になるものを幼児期に獲得させてやるべき、

と息子が通う幼稚園の天野園長も言ってたな。

 

風の谷幼稚園の素晴らしさはまた別の記事で。

 

その時は「ふーん」くらいにしか聞いてなかったけど。

 

確かにそうなのかもしれない。

 

親が教えようが教えまいが、

子どもは成長の過程で、

「これはこういうもんだ」という価値観を身につけていく。

 

どうせ身につけるなら最高のものを!だよね。

 

靴は適当に脱いでOKより、揃えるが美しいし

イスは出しっぱなしでもOKより、入れる方が美しい

 

「○○は〜というもの」

ってのは、理屈じゃない。

 

理屈じゃないからこそ

一度身についてしまったら、

取り替えるのは大変そうだし。

 

 

大人だって長年かけて染み付いた習慣は簡単に変えられない。

 

 

だからこそ、

屁理屈が言えてしまうくらいの知識がつく就学前に、

「怠けたい、面倒くさい」という我欲が出てくる就学前に、

躾きってしまうことが大切、というのは解せる。

 

 

うん、解せる!

やるわ!森先生!