我が子の子育てを日本の発展と世界の平和に役立てたい。

「家庭教育再興計画」準備中

たなゆかです。

 

 

それでは、今日から21日間かけて、

 

「わが子の人間教育は両親の責任!家庭教育21カ条」

 

読み進めていきましょー。

 

第一章

「子育ての責任は母親にあり」

 

 

森先生、、、

さすがにこの始まりは、衝撃的やすぎませんか?

 

私は大丈夫だけど、

ここでパタン!とこの本を閉じるママは多いだろうなーと

思いながら読み進めたよね。

 

 

この章で言いたいことは、

 

学校教育には限界があって、

人間教育は家庭でしかできない、

家庭での教育の責任は母親にある

 

ということ。

 

私ごときが森先生の主張をまとめるのははばかられるけど、

それでもまとめる(笑)

 

それは、

私自身の備忘録のためであり

私の書いた文章が、一組でもどこかの親子に役立つと信じて。

 

 

この章をもう少し丁寧にまとめてみるね。

 

人間が教育される場は3つ、

・家庭

・学校

・社会

 

学校は知識を授けるとことで、

人間教育を中心には置いてはいない。

 

だから、

学校に人間としての教育を期待してはいけない。

 

そりゃそうだよな。

一人の先生が、30名の生徒一人一人に人間的な教育は無理。

理解度も受け取り方も違うんだから。

 

人間が基本的に一度に、一人しか産めないのは、

一人の人間を真の人間に育て上げるのは、

一対一でしかできないということの現れなのかもしれないな。

 

小学校1年生の長女のクラスを見ていても思う。

入学した時点で、子どもの素養というのは結構仕上がってしまっているな、と。

良くも悪くも。

 

この結果の原因は、

7歳になるまでの家庭教育にあるんだ、と思うとしっくりくる。

 

もちろん私だって完璧な家庭教育ができてる訳ではなくて、

子ども達が社会で問題を起こすこともある。

 

そういう時は、

「私の家庭教育の至らなさが故、不徳の致すところです」謝罪し、

家庭での自分の在り方を見直すことを心がけている。

 

 

 

ここで、

人間教育って何?って話しになるんだけど、

 

私は、

人間教育を”知恵”を授けること

と理解した。

 

物事の加減や程度、釣り合いや相手を思いばかる心。

 

例えば、お茶をいれる時、

 

・コップの8分目まで

・夏は冷たいお茶、冬は冷たいお茶

というのは知識で、

 

冬だけど

この人は走ってきて汗をかいてるので

冷たいお茶の方がいいかも知れない

 

小さい子どもはこぼすかもしれないから

少なめに入れよう

 

というのが知恵だろうか。

 

渡部昇一さんの「家庭教育再生論」にも、知恵について書いている。

 

母の知恵は学識によらない賢さ

知識は豊富でもそれを支える知恵の賢さがなければ何もないのと同じ

母の知恵、「こうすればこうなる」という計算ではない

 

いやー渡辺先生、あなたにも痺れます!(笑)

 

めちゃめちゃ頭はいいけど、

人として何かが欠落してる人

(この人に思いやりの心はないのか?と思う人)

に出会うと不思議でならなかったけど、

こういうことかと納得。

 

知恵は机上では教えられない。

 

知恵は教科書に収まらないし、

体系立てて教えられるものではなく、

その場、その場で会得していくものなんだと思う。

 

思い返せば、

私自身、母と過ごす時間の中で、

伝承してもらった知恵が

私の人生に大きく影響しているような気がする。

 

 

 

そして、もう一つ。

家庭における知恵を授ける人間教育の責任者は母であるらしい。

 

男は家族を養うために、

外の厳しい世界で戦ってるからだそうだ。

 

今の時代は、女だった外の世界で戦ってるでしょ!?

と言い返したくなったけど、

 

 

この話しは2章に続いていくので、

次の記事で深く触れていきますね。