数ヶ月に一度、ヘベレケの父親から電話が来る。

「ユウカ!元気か?」

第一声目は決まってこうである。

「元気だよ」

私も決まってこう返す。元気があってもなくても。


社会から見れば、私の父親はアル中、DV、浮気性、前科者。
”身内にいて欲しくない人間ビンゴ”が綺麗に揃った男である。

そんな父親から、先日また電話がかかってきた。
お決まりの第一声目、幾度となく聞かされた母への懺悔、全ての言葉に濁点がついているかのような荒い声。いつもと変わりない父である。未だ変われない父である。

しかし、この日は初めて真剣な声色で「俺もうすぐ死ぬかもしれない」と話してきた。
「ついに?」と聞き返すと「馬鹿野郎!」と笑われた。人様に「馬鹿野郎」と言う資格など最もない人間であるにも関わらず、大きな声で何度も言っていた。馬鹿だから。

なぜ、父は自分がもうすぐ死ぬと思っているのか。その理由は話そうとしなかった。私も聞こうとは思わなかった。

あんなに大酒を飲み続けて50歳を迎えたのだから、どうせ病を患ったのだろう。言われなくても分かることだが、ハッキリと言わないでくれて良かった。どうしても腹立たしくなるから。

なぜなら、父が病気で弱って死んでいく様を見た時に、きっと私は「可哀想」と感じてしまうからである。
母に手をあげ、散々迷惑をかけ、私が1歳の頃には刑務所にいたアル中のイカれオヤジの情けない死に様を可哀想だと思いたくはない。可哀想だと思う事はどこか母に申し訳ない気持ちになる。いつ何時も私を守り、作り上げ、大切に見守ってくれたのは母だから。ただ、私のこの優しさというか弱さというか、人を憎みきれない気持ちというのは絶対に母から受け継いだものである。非常に厄介な問題である。

父はこうして酔って電話をかけてくる度に「俺はお前になーんもしてやれなかったな。ごめんな」と言ってくるが、そんなことはもうどうでもいい。けれど、出来れば1つだけお願いがある。

最後はなるべくお前に見合った死に方をして欲しい。馬鹿なら馬鹿なりの死に方を。
せっかくアル中なのだから、ジョッキ片手に階段から転落とか、どうせなら致死量を飲んでみるとか。そういうくだらない死に方をしてほしい。「いい人だったのかも」とか「なんだかんだ憎めない人だった」なんて情けない気持ちを私たちに微塵も残させることなく死んでほしい。

別に今すぐ死んでほしいわけでもないし、死んでほしいと思ったこともない。
かといって、家族だと思ったこともない。本当になんだかよくわからない。

ただ、私が生後間もない娘を連れてなんとなくお前に会いに行った日。
あの日の別れ際のように、嬉しそうに涙ぐむような真似を最後にも見せるのはやめてほしい。

私が男を連れて会いに行った日。
あの日の夜の電話のように、「お前パパみたいないい男見つけろよ。それは冗談だけど、アイツパパほど男前ではねえな。でも、悪いやつじゃ無さそうだな」とか父親みたいなことを言うのもやめて欲しい。

分かりやすく嫌われ者でいて欲しい。憎めないのは疲れるから。
どうせなら最後の最後まで馬鹿野郎でいたらいい。みんなのためにもそれがいい。

あと最後に一つ言わせてもらうと、「死んだ人は誰も帰ってこないから、天国は最高なんだろうな」と言っていたが、絶対にお前は地獄顔パスである。