高校生の頃、母親から「あんた一度でいいからアルバイトしてみな!」と説得され、渋々探すことになったアルバイト。
履歴書を何枚も書くのはイヤだし、何度も面接を受けるのもイヤ。そんなやる気ゼロの女子高生が"近所で確実に受かりそうな店"という条件を元につけた、初のアルバイト先はインド料理屋だった。
店の窓にデカデカと貼られていた「アルバイト募集中!」の文字と、応募資格が"日本語が話せる女性であること"のみだったのが決め手である。
従業員は全部で5人。私以外は全員インド人とバングラデッシュ人で、日本語を話せる従業員はサイフルさんという、自分の自撮りを待ち受けにしている、ヒョロッヒョロの店長だけ。
マカンさんというめちゃくちゃおいしいナンを作るおじいさんに関しては、30年間も日本にいるのに「こんにちは」「ありがとう」「アツイ」「水」「中辛」しか日本語を話せないし、英語も全く話せない。
しかし、私は店の中でマカンさんのことが一番好きだったし、懐いていた。だって、まかないをこっそりチーズナンに変えてくれるから。
そんな風変わりな人たちと楽しく働き始めたある日のこと。
人一人入りそうなドデカいヴィトンのトランクを持ったパキスタン人が店にやってきて、豆カレーを貪るや否や、バイト中の私に熱〜い視線を投げてきた。
この店で働き始めて以降、情熱的なチャラ男たちからちょっかいを出されることには慣れていたので、特に気にしていなかったのだが、店長のサイフルさんがニヤニヤしながら私の元へやってきた。
「あのパキスタン人のお客さんユウカのこと好きね〜」
「あー、そうかなぁ?インド料理屋で働いてる日本人の若い女が珍しいから、ちょっかい出そうとしてるだけだと思うよ」
「でも、あのお客さんユウカと話したいと言ってたから、私が通訳するから話そう!」
そう言って、私はお客さんの元へ連れて行かれた。
「こんにちは」
「コンニチハ〜」
とりあえず互いに挨拶を交わし、お客さんと店長の会話が済むと、店長は私に質問を始めた。
「えっと、ユウカは彼氏いる?ってお客さんが聞いてる」
「いないよ」
「オッケー。ユウカはパキスタン好き?」
「好きとか嫌いの次元で考えた事ない」
「ジゲンってなに?」
「あぁ、気にしないで!パキスタン好きだよ!」
「オッケー。歳は17歳?」
「そうだよ」
「オッケー!」
店長がお客さんに今の会話を伝え、また店長が私に質問を始める。
「ユウカはパキスタンやドバイに行ったことはある?」
「もちろんない」
「オッケー。お客さんがユウカと付き合いたいって言ってる」
「・・・?」
「ラクダも二頭あげるよって言ってる」
「え?ラクダ!?」
「もう少しの時間考えてもいいと言ってる」
「・・・よく分からないけど分かった」
「なにがわからない?」
「あぁ、気にしないで!分かった!考えるね!」
「オッケー!!!」
それからというもの、私はバイト中にパキスタン人の妻になることを真剣に検討していた。「ラクダ二頭あげる」ってなんなんだ。とんでもない大金持ちなのか?もしかして、石油王!?
ブルジュ・ハリファが見えてきたぞ。
パーム・アイランドも見えてきたぞ。
妄想がどんどん膨らみ、さっそく親や友人に相談した。欲しいと思ったことなど一度もないのに、バーキンを調べてみたりもした。
その数日後、パキスタンと日本のハーフの男友達にもこの話を聞いてもらった。すると、彼は「なにを悩んでいるの?」と真面目な顔で尋ねてきた。
たしかにそうだよな。ただの小娘が石油王からのお誘いを断ろうなんて千年早い。生意気にもほどがあるよな。自分で自分を叱っていると、彼は続けてこう言った。
「あのさ、ラクダ二頭の価値知ってる?日本でいうところの、150ccの原付バイク2,3台分だよ?」
頭の中でブルジュ・ハリファが音もなく崩れていく。パーム・アイランドが波にのまれていく。とてつもないスピードで心が日常へと戻された。
そうか、私の人生は150ccの原付バイク2,3台と引き換えられようとしていたのか。ここ数日間、私は150ccの原付バイク2,3台で人生を遠い国へ捧げるか真剣に検討していたのか。150ccの原付バイク2,3台で・・・
恥ずかしくて仕方がなかった。この日からラクダが嫌いになった。よく見たらラクダってブサイクすぎるし。
そしてなにより、"150ccの原付バイク2,3台分"という例え方をした友人を憎んだ。せめて、軽自動車で構わないから、"車1台分"と言って欲しかった。
それでも全然恥ずかしいけど。