「髪の毛を染めるな、スカートは膝下まで」
中高生の頃、こんな校則が鬱陶しくてたまらなかったが、校則というルールは私たちに幸せをくれていたと今になって思う。
そのことには、髪の毛を茶髪にしようが、ミニスカートを履こうが、誰にも注意などされなくなってようやく気付いた。
あの頃、正論botのような先生に怒られながら、雪の降る日も短いスカートを履いていたのはきっと、人並みに規則に抗うことにカッコよさや、優越感のような幸せを感じていたから。
ミニスカートを履くことにポリシーがあったわけでも、自分の髪の色が嫌いだったわけでもない。その証拠に、校則から解放されると、私はミニスカートなんて履かなくなった。似合わない金髪もすぐにやめた。
10代の頃はただ夜中に出歩くだけでも、なんとも言い表せないフワッとした高揚感に包まれていたし、制限され、縛られた環境の中だからこそ存在する幸せというものには、気付かずも確かに感じていた。
もしかしたら、不倫や薬物なんかもそうなのだろうか。
大人になるにつれて、しがらみや不自由がなくなっていく。
誰かに怒られるなんてことも、日々、なくなっていく。
そのことをずっと寂しく思っていたけれど、子供が生まれたことによる自由への制限が、私にまた幸せを感じさせてくれている。
昔は一緒にいることがごく当たり前で、何をするでもなく過ごしていた友達と、今は会う機会や過ごす時間が減った分、会えた時はとても嬉しく、その時間を大切に過ごせるようになった。
夜中にアイスを買いにコンビニへ行くだけでも、あの10代の頃のような高揚感がほんの少しあったりもする。
昔は当たり前だったことが、今では特別になった。
「なんかいいことないかな」「幸せになりてえな」なんて毎日口にして、何かを忘れるように、何かから逃げるように朝を迎えていた毎日も、今の私からすれば特別な幸せで。
もしも、あの頃に戻れたら。
付き合う男を変えるとか、くだらん飲み会には行かないとか、Twitterなんてやらないとか、好きでもない男と寝ないとか、あの人に送ったLINEをやり直すとか。
色々、修正したいことはあるけれど、どうせ出来ないんだろうな。
現に、あの頃を幸せだったと思えているから。
自由の中にはたくさんの幸せがあるが、自由の中にある幸せに人は気付きにくく、感じにくい。
きっと、人は不自由の中にこそ幸せを見いだし、感じることができるのだと思う。
最後の写真、なんかこれ見よがしなドヤ顔でごめんなさい。