南極料理人
恐ろしいほど豪華なキャスト(もう堺雅人となら結婚してもいい)&音楽が阿部(どのアベって、ユニコーンのアベだ)そして主題歌もユニコーン、というだけでももう居てもたってもいられなかった例の映画。
インフルエンザは怖いけど、あんまり長くやってないだろうなあ、とチラリと思ったせいで発作的に観に行った。
紀伊国屋が入っている某ショッピングセンターに付属した映画館なので参考書やらも見ることが出来るし……というのは勿論言い訳であるが、その時購入したZ会の“現代文キーワード読解”はそれなりに良書だったので好し。
さて映画の内容について。 ※あまりネタばれにならないように書くつもりだが、先入観無しで観たいタイプの人は読まないほうがいいかもしれない
ジャンル分けするとしたら、別に笑い声が入っているわけではないが“料理系シチュエーションコメディ”だと思う。
どっかんどっかん笑わせるタイプではなく、ニヤニヤクスクス笑ってしまう類だ。
シットコムといえば三谷幸喜だが、彼の“いたたまれない笑い”とは少し違う。
三谷氏の、あの逃げ出したくなるギリギリのいたたまれなさが魅力であることは否定しないが、あれは体力を使うので(笑うのも眠るのも体力が必要なのである)息抜きとしては正直しんどい物がある。
※三谷氏を否定しているわけではない。彼の作品は王様のレストランを至上として、やっぱり猫が好き時代からほぼ網羅しているどころかエッセイまで買っている。要するに、観すぎて飽きているような気もする。
が、この南極料理人は極寒(平均気温がマイナス50度)・超閉鎖空間(逃げたら死ぬ)・男だらけ(しかも変人)というシチュエーションながら、なんだか“暖かく・温かく”なってしまうのである。
普通に考えれば気が狂ってしまう状況だというのに、まあ、事実多少狂ってしまっている気もするのだが、それもなんだかほほえましい“おかしさ”になっている。
実話を元にしているので、本当はもっとドロドロピリピリしていたのかもしれない。でもやっぱり、この
おいしいごはん(と酒)
が何となく解決してくれていたんじゃないだろうか。チームに料理人を入れる、という発想は見事過ぎる。これで食事がずーっとつまらないものだったら、ドームふじに辿り着くまでの行程で大半がギブアップしているに違いない(キャタピラで20日間かけて行くそうである)。
そしてその料理人を堺雅人が演じている。目だけ笑っている人のイメージがいまだに強いが、彼は本当にいい表情をする。ついでにへそも見れる。
月並みな表現だが、涙あり笑いあり、といういい映画だった。
ひとつ注意する点があるとすれば、お腹がすいた状態で観てはいけない。私は、観終わったその足でラーメン屋に行ってしまった……。
ごはんにしよう。―映画「南極料理人」のレシピ/飯島 奈美

¥1,365
Amazon.co.jp
2時間映画を見る間に、例えばDuoなら2周も出来てしまう。過去問も1年分は解けてしまう。映画なんていつでも観れる――それは半分正解だと思う。
息抜きが必要だから映画を見るのではなく、本当に観たいものだからその映画を観に行く。そこに後悔は無い。“ああ、勉強していればよかった”と思うような息抜きなら、するべきではない、と私は考えている。
インフルエンザは怖いけど、あんまり長くやってないだろうなあ、とチラリと思ったせいで発作的に観に行った。
紀伊国屋が入っている某ショッピングセンターに付属した映画館なので参考書やらも見ることが出来るし……というのは勿論言い訳であるが、その時購入したZ会の“現代文キーワード読解”はそれなりに良書だったので好し。
さて映画の内容について。 ※あまりネタばれにならないように書くつもりだが、先入観無しで観たいタイプの人は読まないほうがいいかもしれない
ジャンル分けするとしたら、別に笑い声が入っているわけではないが“料理系シチュエーションコメディ”だと思う。
どっかんどっかん笑わせるタイプではなく、ニヤニヤクスクス笑ってしまう類だ。
シットコムといえば三谷幸喜だが、彼の“いたたまれない笑い”とは少し違う。
三谷氏の、あの逃げ出したくなるギリギリのいたたまれなさが魅力であることは否定しないが、あれは体力を使うので(笑うのも眠るのも体力が必要なのである)息抜きとしては正直しんどい物がある。
※三谷氏を否定しているわけではない。彼の作品は王様のレストランを至上として、やっぱり猫が好き時代からほぼ網羅しているどころかエッセイまで買っている。要するに、観すぎて飽きているような気もする。
が、この南極料理人は極寒(平均気温がマイナス50度)・超閉鎖空間(逃げたら死ぬ)・男だらけ(しかも変人)というシチュエーションながら、なんだか“暖かく・温かく”なってしまうのである。
普通に考えれば気が狂ってしまう状況だというのに、まあ、事実多少狂ってしまっている気もするのだが、それもなんだかほほえましい“おかしさ”になっている。
実話を元にしているので、本当はもっとドロドロピリピリしていたのかもしれない。でもやっぱり、この
おいしいごはん(と酒)
が何となく解決してくれていたんじゃないだろうか。チームに料理人を入れる、という発想は見事過ぎる。これで食事がずーっとつまらないものだったら、ドームふじに辿り着くまでの行程で大半がギブアップしているに違いない(キャタピラで20日間かけて行くそうである)。
そしてその料理人を堺雅人が演じている。目だけ笑っている人のイメージがいまだに強いが、彼は本当にいい表情をする。ついでにへそも見れる。
月並みな表現だが、涙あり笑いあり、といういい映画だった。
ひとつ注意する点があるとすれば、お腹がすいた状態で観てはいけない。私は、観終わったその足でラーメン屋に行ってしまった……。
ごはんにしよう。―映画「南極料理人」のレシピ/飯島 奈美

¥1,365
Amazon.co.jp
2時間映画を見る間に、例えばDuoなら2周も出来てしまう。過去問も1年分は解けてしまう。映画なんていつでも観れる――それは半分正解だと思う。
息抜きが必要だから映画を見るのではなく、本当に観たいものだからその映画を観に行く。そこに後悔は無い。“ああ、勉強していればよかった”と思うような息抜きなら、するべきではない、と私は考えている。
はじめに(このblogについて)その2
※今見るとハズカシイものですが、一応開設当時のものを残してあります。
ということで、このblogは
20代後半の私(蕪)が、10代とは多少違ってしまうであろう視点で高認や大学受験を経験しながら得た様々な事柄について書く
というblogになる予定だ。
具体的には
・各教科の勉強(何を何時間やった、というものではなく、“理解したこと”を書く予定である――著作権を侵害しない程度に)
・勉強にどことなく関係ありそうな、日々の雑感
を基本としていく。
他、高認受験術(実際に受けた人からすれば“あんなもんに受験術なんかいるか!”と思われるかもしれないが、受けていない人や本当にイキナリ受ける人には必要なものである)について、色々と書きたいことがあるので少しずつまとめていくつもりだ。それらに付随する(あるいは、その手前に必要な)学習に対する姿勢などについても書いていきたい。端的にいえば、ニート/ひきこもりからの脱出についてである。ただし“進学”という点においてのみに焦点を当てるので、最大の問題である“就職”については、私には想像でしか語る言葉を持たない。
このblogの目的はある種の(マニアックな)情報発信と、自身の思考訓練及び思考整理にある。どうも私はアウトプットが冗長な傾向があるので“心おきなくたっぷり書きたい”を満たすべきか、“短く、わかりやすく”の訓練をするべきかはいまだに悩んでいる。
ウェブ日記、などと呼ばれていた頃は“長い・段落文体”みたいなものが割と多かったのだが(もちろんフォントいじりのような……いや、もう昔話に過ぎるか)、最近のblogは携帯端末で読むことを前提としているせいか
こんな感じで
こんな
感じなんだけど

こんな感じです
というものがとても多い。読者の立場で携帯から見ていればあまり気にならないどころか好ましいと思うこともあるのだが、自分で書くとなると何かソノ、だめ、脳が拒絶するのでアカンのである。
大体この密度で書いている文章に絵文字と改行をちりばめていたら長すぎるというか多すぎる。でもなー文字みっちみちじゃ見る気も起きないんですぅみたいなのもわからないでもないしなー。
と考えて中途半端に改行が入っている次第である。
どうすればいいんだろう。
と考えたが、まあ、それほどアクセス数を狙っているわけでもないので、“ただでさえ読者を選ぶ内容なのに、あろうことか大変読みにくい”でもいいか、と思わなくもない。今のところは。
更新は不定期で、コメントは承認制になっており、トラックバックも現在停止している。アメブロの使い方がよくわかっていないのでペタやら読者登録もよくわかっていない。
もうなんだかよくわからなくなってきたが、これから充実させていくのでどうぞよろしくおねがいします。なのです。
ということで、このblogは
20代後半の私(蕪)が、10代とは多少違ってしまうであろう視点で高認や大学受験を経験しながら得た様々な事柄について書く
というblogになる予定だ。
具体的には
・各教科の勉強(何を何時間やった、というものではなく、“理解したこと”を書く予定である――著作権を侵害しない程度に)
・勉強にどことなく関係ありそうな、日々の雑感
を基本としていく。
他、高認受験術(実際に受けた人からすれば“あんなもんに受験術なんかいるか!”と思われるかもしれないが、受けていない人や本当にイキナリ受ける人には必要なものである)について、色々と書きたいことがあるので少しずつまとめていくつもりだ。それらに付随する(あるいは、その手前に必要な)学習に対する姿勢などについても書いていきたい。端的にいえば、ニート/ひきこもりからの脱出についてである。ただし“進学”という点においてのみに焦点を当てるので、最大の問題である“就職”については、私には想像でしか語る言葉を持たない。
このblogの目的はある種の(マニアックな)情報発信と、自身の思考訓練及び思考整理にある。どうも私はアウトプットが冗長な傾向があるので“心おきなくたっぷり書きたい”を満たすべきか、“短く、わかりやすく”の訓練をするべきかはいまだに悩んでいる。
ウェブ日記、などと呼ばれていた頃は“長い・段落文体”みたいなものが割と多かったのだが(もちろんフォントいじりのような……いや、もう昔話に過ぎるか)、最近のblogは携帯端末で読むことを前提としているせいか
こんな感じで

こんな
感じなんだけど

こんな感じです

というものがとても多い。読者の立場で携帯から見ていればあまり気にならないどころか好ましいと思うこともあるのだが、自分で書くとなると何かソノ、だめ、脳が拒絶するのでアカンのである。
大体この密度で書いている文章に絵文字と改行をちりばめていたら長すぎるというか多すぎる。でもなー文字みっちみちじゃ見る気も起きないんですぅみたいなのもわからないでもないしなー。
と考えて中途半端に改行が入っている次第である。
どうすればいいんだろう。
と考えたが、まあ、それほどアクセス数を狙っているわけでもないので、“ただでさえ読者を選ぶ内容なのに、あろうことか大変読みにくい”でもいいか、と思わなくもない。今のところは。
更新は不定期で、コメントは承認制になっており、トラックバックも現在停止している。アメブロの使い方がよくわかっていないのでペタやら読者登録もよくわかっていない。
もうなんだかよくわからなくなってきたが、これから充実させていくのでどうぞよろしくおねがいします。なのです。
はじめに(このblogについて)
新しいPCを買ったので、blogでも始めてみようという試み。
そこで“どんなblogを作るか?”が問題になった。
場所については、以前気まぐれにとったこのアメーバブログのアカウントがあったので考える必要はなかった。
が、やはり問題は内容だ。ただの“日記”“覚書”であるなら、blogである必要性はない(壁にでも向かって喋っていればいい、とは誰の弁だったか)し、テーマを絞りに絞り
お料理ブログ☆
みたいなものにしたとする。確かに料理は好きだ。家でサグチキンカレーを簡単に作るレシピ♪みたいなものを載せるのもいいだろう。
だがここには大きな問題がある。
お料理ブログ☆
には、やはり写真が必要だと考えているからだ。
とくにレシピブログである場合、完成品は勿論のこと、工程や材料における写真は必須である。“食べやすい大きさったって、どのぐらいよ?”とか、“ほどよく煮詰まったらって、これでいいのか?”“少々って何やねん!”と、実物を食べたことのない料理を作るのに必要な≪加減≫についての情報がそこにはあるからだ。
……で、これ、作りながら撮るんですよね?
私は(少し悩んだが、一人称はこれでいこうと思う)、料理とは
・段取り力(何をどういう順番で作るか)
・平行的な処理能力(効率的に進めようとすると、ながら作業が多い)
・身体イメージによる空間把握力(握っているのは凶器であり、目の前にあるのは煮えたぎる油である)
・味覚における想像力(入れすぎたらどうなるか?)
など、かなりの能力を要する作業だと考えている。慣れている人は無意識にやっているが、初心者やモトの能力がちょっと欠けている人の場合、なんだかとても苦労してしまう。
そして私は後者に該当するので、
途中で中断する
という行為が大の苦手なのである(途中以外どこで中断するんじゃ、というのはおいといて)。
これが
材料をそろえまーす(ピロロン♪)
きりまーす(ピロロン♪)
フライパンに油をひいて炒めまーす(ピロロン♪)
などとやっていたら、確実に途中でフライパンに携帯を落とすか、フライパンを携帯に落とすかするだろう。そうに決まっている。ただでさえ野菜室でハサミを冷やしがちなのに(おそらく野菜をパッケージしているビニールを切り、野菜を取り出した瞬間にハサミの存在を忘れるからだろう)、携帯を台所に持ち込む時点で死亡フラグである。
……つまり、料理ブログはおろか、ひょっとすると何かの途中で画像を載せる類(それはグルメブログを代表とした大半の“紹介”系である)は向いていない事になる。
そしてやはり、「料理ブログにしようかと思ったが、途中で写真を撮るのが面倒なので」と書けば済むところをこれだけ無駄に書いてしまうあたり、私には文字だらけなblogのほうが良いだろう、と考えた。
どんなblogを作るか。
あまり雑多な感じにはしたくない。何でも書ける、という状況は、何も書かない、になりがちだ。
そもそも芸能人などの“書き手”や、ご当地情報などの“情報”に興味が無い限りblogなんてそう読まないものだ(少なくとも私は)。
じゃあ、そもそも何故、blogを書こうと思ったのか――
私は、それなりに特殊な立ち位置にいる。
そして少し特殊なことをやろうとして(或いは既にやって)いる。
それらはあまり語られないものだ。
同じ立場にいて、同じようなことをしている人は沢山いる筈なのに。
……いや、あんまりいないのかもしれないけど。
※勿論、見つけられていないだけという可能性が一番高い
少なくとも、私だったら、“私のような”事をしている“書き手”には多少興味がある。どうしてそうしようと思ったのか? どうしてそうなったのか? そこから何故、そこに至ったのか?
この人はこの先、どうなるのか?
そして情報だ。例えばこの立場にいる人は、やはり情報を欲している。効率的なやり方は? 不安なことがあるんだけど? これはどうしたらいい? ほんとうに、これでいいの?
私はまだ道の途中であり、それはかなり長い道程である。歩いてきた道を記し、その時々で感じたことを記すのは無駄ではないのではないか、と考えている。
要するに、結局、ありのまま書くことにした。
ということで、大人の大学受験、はじまるよー。
そこで“どんなblogを作るか?”が問題になった。
場所については、以前気まぐれにとったこのアメーバブログのアカウントがあったので考える必要はなかった。
が、やはり問題は内容だ。ただの“日記”“覚書”であるなら、blogである必要性はない(壁にでも向かって喋っていればいい、とは誰の弁だったか)し、テーマを絞りに絞り
お料理ブログ☆
みたいなものにしたとする。確かに料理は好きだ。家でサグチキンカレーを簡単に作るレシピ♪みたいなものを載せるのもいいだろう。
だがここには大きな問題がある。
お料理ブログ☆
には、やはり写真が必要だと考えているからだ。
とくにレシピブログである場合、完成品は勿論のこと、工程や材料における写真は必須である。“食べやすい大きさったって、どのぐらいよ?”とか、“ほどよく煮詰まったらって、これでいいのか?”“少々って何やねん!”と、実物を食べたことのない料理を作るのに必要な≪加減≫についての情報がそこにはあるからだ。
……で、これ、作りながら撮るんですよね?
私は(少し悩んだが、一人称はこれでいこうと思う)、料理とは
・段取り力(何をどういう順番で作るか)
・平行的な処理能力(効率的に進めようとすると、ながら作業が多い)
・身体イメージによる空間把握力(握っているのは凶器であり、目の前にあるのは煮えたぎる油である)
・味覚における想像力(入れすぎたらどうなるか?)
など、かなりの能力を要する作業だと考えている。慣れている人は無意識にやっているが、初心者やモトの能力がちょっと欠けている人の場合、なんだかとても苦労してしまう。
そして私は後者に該当するので、
途中で中断する
という行為が大の苦手なのである(途中以外どこで中断するんじゃ、というのはおいといて)。
これが
材料をそろえまーす(ピロロン♪)
きりまーす(ピロロン♪)
フライパンに油をひいて炒めまーす(ピロロン♪)
などとやっていたら、確実に途中でフライパンに携帯を落とすか、フライパンを携帯に落とすかするだろう。そうに決まっている。ただでさえ野菜室でハサミを冷やしがちなのに(おそらく野菜をパッケージしているビニールを切り、野菜を取り出した瞬間にハサミの存在を忘れるからだろう)、携帯を台所に持ち込む時点で死亡フラグである。
……つまり、料理ブログはおろか、ひょっとすると何かの途中で画像を載せる類(それはグルメブログを代表とした大半の“紹介”系である)は向いていない事になる。
そしてやはり、「料理ブログにしようかと思ったが、途中で写真を撮るのが面倒なので」と書けば済むところをこれだけ無駄に書いてしまうあたり、私には文字だらけなblogのほうが良いだろう、と考えた。
どんなblogを作るか。
あまり雑多な感じにはしたくない。何でも書ける、という状況は、何も書かない、になりがちだ。
そもそも芸能人などの“書き手”や、ご当地情報などの“情報”に興味が無い限りblogなんてそう読まないものだ(少なくとも私は)。
じゃあ、そもそも何故、blogを書こうと思ったのか――
私は、それなりに特殊な立ち位置にいる。
そして少し特殊なことをやろうとして(或いは既にやって)いる。
それらはあまり語られないものだ。
同じ立場にいて、同じようなことをしている人は沢山いる筈なのに。
……いや、あんまりいないのかもしれないけど。
※勿論、見つけられていないだけという可能性が一番高い
少なくとも、私だったら、“私のような”事をしている“書き手”には多少興味がある。どうしてそうしようと思ったのか? どうしてそうなったのか? そこから何故、そこに至ったのか?
この人はこの先、どうなるのか?
そして情報だ。例えばこの立場にいる人は、やはり情報を欲している。効率的なやり方は? 不安なことがあるんだけど? これはどうしたらいい? ほんとうに、これでいいの?
私はまだ道の途中であり、それはかなり長い道程である。歩いてきた道を記し、その時々で感じたことを記すのは無駄ではないのではないか、と考えている。
要するに、結局、ありのまま書くことにした。
ということで、大人の大学受験、はじまるよー。