はじめに(このblogについて)
新しいPCを買ったので、blogでも始めてみようという試み。
そこで“どんなblogを作るか?”が問題になった。
場所については、以前気まぐれにとったこのアメーバブログのアカウントがあったので考える必要はなかった。
が、やはり問題は内容だ。ただの“日記”“覚書”であるなら、blogである必要性はない(壁にでも向かって喋っていればいい、とは誰の弁だったか)し、テーマを絞りに絞り
お料理ブログ☆
みたいなものにしたとする。確かに料理は好きだ。家でサグチキンカレーを簡単に作るレシピ♪みたいなものを載せるのもいいだろう。
だがここには大きな問題がある。
お料理ブログ☆
には、やはり写真が必要だと考えているからだ。
とくにレシピブログである場合、完成品は勿論のこと、工程や材料における写真は必須である。“食べやすい大きさったって、どのぐらいよ?”とか、“ほどよく煮詰まったらって、これでいいのか?”“少々って何やねん!”と、実物を食べたことのない料理を作るのに必要な≪加減≫についての情報がそこにはあるからだ。
……で、これ、作りながら撮るんですよね?
私は(少し悩んだが、一人称はこれでいこうと思う)、料理とは
・段取り力(何をどういう順番で作るか)
・平行的な処理能力(効率的に進めようとすると、ながら作業が多い)
・身体イメージによる空間把握力(握っているのは凶器であり、目の前にあるのは煮えたぎる油である)
・味覚における想像力(入れすぎたらどうなるか?)
など、かなりの能力を要する作業だと考えている。慣れている人は無意識にやっているが、初心者やモトの能力がちょっと欠けている人の場合、なんだかとても苦労してしまう。
そして私は後者に該当するので、
途中で中断する
という行為が大の苦手なのである(途中以外どこで中断するんじゃ、というのはおいといて)。
これが
材料をそろえまーす(ピロロン♪)
きりまーす(ピロロン♪)
フライパンに油をひいて炒めまーす(ピロロン♪)
などとやっていたら、確実に途中でフライパンに携帯を落とすか、フライパンを携帯に落とすかするだろう。そうに決まっている。ただでさえ野菜室でハサミを冷やしがちなのに(おそらく野菜をパッケージしているビニールを切り、野菜を取り出した瞬間にハサミの存在を忘れるからだろう)、携帯を台所に持ち込む時点で死亡フラグである。
……つまり、料理ブログはおろか、ひょっとすると何かの途中で画像を載せる類(それはグルメブログを代表とした大半の“紹介”系である)は向いていない事になる。
そしてやはり、「料理ブログにしようかと思ったが、途中で写真を撮るのが面倒なので」と書けば済むところをこれだけ無駄に書いてしまうあたり、私には文字だらけなblogのほうが良いだろう、と考えた。
どんなblogを作るか。
あまり雑多な感じにはしたくない。何でも書ける、という状況は、何も書かない、になりがちだ。
そもそも芸能人などの“書き手”や、ご当地情報などの“情報”に興味が無い限りblogなんてそう読まないものだ(少なくとも私は)。
じゃあ、そもそも何故、blogを書こうと思ったのか――
私は、それなりに特殊な立ち位置にいる。
そして少し特殊なことをやろうとして(或いは既にやって)いる。
それらはあまり語られないものだ。
同じ立場にいて、同じようなことをしている人は沢山いる筈なのに。
……いや、あんまりいないのかもしれないけど。
※勿論、見つけられていないだけという可能性が一番高い
少なくとも、私だったら、“私のような”事をしている“書き手”には多少興味がある。どうしてそうしようと思ったのか? どうしてそうなったのか? そこから何故、そこに至ったのか?
この人はこの先、どうなるのか?
そして情報だ。例えばこの立場にいる人は、やはり情報を欲している。効率的なやり方は? 不安なことがあるんだけど? これはどうしたらいい? ほんとうに、これでいいの?
私はまだ道の途中であり、それはかなり長い道程である。歩いてきた道を記し、その時々で感じたことを記すのは無駄ではないのではないか、と考えている。
要するに、結局、ありのまま書くことにした。
ということで、大人の大学受験、はじまるよー。
そこで“どんなblogを作るか?”が問題になった。
場所については、以前気まぐれにとったこのアメーバブログのアカウントがあったので考える必要はなかった。
が、やはり問題は内容だ。ただの“日記”“覚書”であるなら、blogである必要性はない(壁にでも向かって喋っていればいい、とは誰の弁だったか)し、テーマを絞りに絞り
お料理ブログ☆
みたいなものにしたとする。確かに料理は好きだ。家でサグチキンカレーを簡単に作るレシピ♪みたいなものを載せるのもいいだろう。
だがここには大きな問題がある。
お料理ブログ☆
には、やはり写真が必要だと考えているからだ。
とくにレシピブログである場合、完成品は勿論のこと、工程や材料における写真は必須である。“食べやすい大きさったって、どのぐらいよ?”とか、“ほどよく煮詰まったらって、これでいいのか?”“少々って何やねん!”と、実物を食べたことのない料理を作るのに必要な≪加減≫についての情報がそこにはあるからだ。
……で、これ、作りながら撮るんですよね?
私は(少し悩んだが、一人称はこれでいこうと思う)、料理とは
・段取り力(何をどういう順番で作るか)
・平行的な処理能力(効率的に進めようとすると、ながら作業が多い)
・身体イメージによる空間把握力(握っているのは凶器であり、目の前にあるのは煮えたぎる油である)
・味覚における想像力(入れすぎたらどうなるか?)
など、かなりの能力を要する作業だと考えている。慣れている人は無意識にやっているが、初心者やモトの能力がちょっと欠けている人の場合、なんだかとても苦労してしまう。
そして私は後者に該当するので、
途中で中断する
という行為が大の苦手なのである(途中以外どこで中断するんじゃ、というのはおいといて)。
これが
材料をそろえまーす(ピロロン♪)
きりまーす(ピロロン♪)
フライパンに油をひいて炒めまーす(ピロロン♪)
などとやっていたら、確実に途中でフライパンに携帯を落とすか、フライパンを携帯に落とすかするだろう。そうに決まっている。ただでさえ野菜室でハサミを冷やしがちなのに(おそらく野菜をパッケージしているビニールを切り、野菜を取り出した瞬間にハサミの存在を忘れるからだろう)、携帯を台所に持ち込む時点で死亡フラグである。
……つまり、料理ブログはおろか、ひょっとすると何かの途中で画像を載せる類(それはグルメブログを代表とした大半の“紹介”系である)は向いていない事になる。
そしてやはり、「料理ブログにしようかと思ったが、途中で写真を撮るのが面倒なので」と書けば済むところをこれだけ無駄に書いてしまうあたり、私には文字だらけなblogのほうが良いだろう、と考えた。
どんなblogを作るか。
あまり雑多な感じにはしたくない。何でも書ける、という状況は、何も書かない、になりがちだ。
そもそも芸能人などの“書き手”や、ご当地情報などの“情報”に興味が無い限りblogなんてそう読まないものだ(少なくとも私は)。
じゃあ、そもそも何故、blogを書こうと思ったのか――
私は、それなりに特殊な立ち位置にいる。
そして少し特殊なことをやろうとして(或いは既にやって)いる。
それらはあまり語られないものだ。
同じ立場にいて、同じようなことをしている人は沢山いる筈なのに。
……いや、あんまりいないのかもしれないけど。
※勿論、見つけられていないだけという可能性が一番高い
少なくとも、私だったら、“私のような”事をしている“書き手”には多少興味がある。どうしてそうしようと思ったのか? どうしてそうなったのか? そこから何故、そこに至ったのか?
この人はこの先、どうなるのか?
そして情報だ。例えばこの立場にいる人は、やはり情報を欲している。効率的なやり方は? 不安なことがあるんだけど? これはどうしたらいい? ほんとうに、これでいいの?
私はまだ道の途中であり、それはかなり長い道程である。歩いてきた道を記し、その時々で感じたことを記すのは無駄ではないのではないか、と考えている。
要するに、結局、ありのまま書くことにした。
ということで、大人の大学受験、はじまるよー。