花壇より野路がお似合い菫咲く
( かだんより のじがおにあい すみれさく )


近辺の「桜」の蕾は昨日よりも少し膨らんできたが、開花にはあと数日かかりそうである。そこで、今日も野路や川辺に咲いている草花の一つ「菫(すみれ)」を取り上げたい。



近年、「菫」と言えば、花壇でよく見かける「三色菫(パンジー・ビオラ)」のイメージが強く、野に咲く「菫」についてはあまり注目されない。かくいう自分も、俳句をやるまであまり興味がなかった。



しかし、野辺や道端を注意深く観察すると、「菫」が固まって咲いているのを時々見かける。花色は青みの濃い紫色のものが多く、「三色菫」の園芸種のような華やかさはない。



本日の掲句は、そんな花姿を見て、「菫」は花壇でなく野路、野原などに咲く方が似合っていると思い詠んだ。対して「三色菫」の方は、野路には似つかわしくなく、やはり花壇が似合う。



ところで、「菫」を詠んだ句で最も好きな句といえば、松尾芭蕉が詠んだ以下の句である。これが詠まれた時の様子が自ずと目に浮かんでくる。

山路きて何やらゆかし菫草


 

また、気になる句としては、夏目漱石が詠んだ以下の句がある。日本の代表的な作家の句なので、これを詠んだ時の心境をどうしても知りたくなる。

菫程な小さき人に生れたし 

少し調べたところによれば、漱石は大の草花好きで、清らかで、慎ましく、俗塵に汚されない、小さな菫に理想を見出したのではないかという説がある。文豪、人気作家としてもてはやされることが必ずしも彼の本意ではなかったのだろう。尚、彼は鬱病、胃潰瘍などにより49歳という若さで亡くなった。



因みに、「菫」に関しては、過去に以下の句を詠んでいる。

【関連句】
① 道の辺に芭蕉もみたる菫かな 
(原句一部修正)
② 菫ほどに小さく生きてきたりけり
③ 荒地にて色もゆかしき菫草

 



①は、前掲の松尾芭蕉の句を意識して詠んだ句。かつて芭蕉も見たことに何かしら親近感を覚えた。
②は、前掲の夏目漱石の句を意識して詠んだ句で、漱石は小さく生きることを理想としたようだが、その点、自分は初めから小さく生きてきたので悩むこともないというのが句意。
③は、条件の悪い荒れた地においても、ゆかしい色形の花を咲かせている「菫」を見て詠んだ句である。



菫(すみれ)は、スミレ科スミレ属の植物の総称であるが、その種類は150種以上あると言われている。今は外来種の「三色菫(パンジー、ビオラ)」などの園芸種が花壇や鉢植えなどの主役となっている。

ただ、道端や野辺では、在来種の「菫」でないとどうも様にならない感じがする。


「菫」を詠んだ句は非常に多く、これまでも何句か紹介したが、今回は記事が長くなったので、新たな参考句の掲載は割愛したい。