からたちの棘に咲きたる花白き
( からたちの とげにさきたる はな しろき )


ブログをやるまでは、歌などで聞いて名前は知っているが、実物はまだ見たことがないという植物が結構あった。今日取り上げる「枳殻(からたち)」もその一つで、唱歌「からたちの花」で、名前だけは中学生の頃から知っていた。しかし、実際に花を見たのは数年前のことである。


 

この歌は、作曲した山田耕筰が9歳から13歳まで足掛け5年間通った自営館という活版学校(勤労学校)での貧しく辛い体験を、北原白秋が聞いて詩にしたものだそうだ。
 

 

歌の1番には、「からたちの花が咲いたよ。白い白い花が咲いたよ」とあり、かつては漠然と白い大きな花をイメージしていた。しかし、実際に見て、思っていたよりもかなり地味な花だった。

歌の2番は、「からたちのとげはいたいよ。靑い靑い針のとげだよ」となっているが、この棘については想像以上のものだった。初めて見たのは、葉を全て落とした状態の裸木だが、その大きさと鋭さには恐れ入った。


 

前書きが長くなったが、本日の掲句は、その「鋭い棘」と「白い花」を対比させて詠んだ句である。何かしら、「枳殻」の情念みたいなものを感じる。「枳殻の花」「からたちの花」は春の季語。



 

尚、歌の4番は、「からたちも秋はみのるよ。まろいまろい金のたまだよ」となっているが、「金柑(きんかん)」にも似た、以下のような実がなる。果実は秋の季語。

*枳殻の実


 

更に歌の5番では、「からたちのそばで泣いたよ。みんなみんなやさしかつたよ」とあり、この頃の生活は苦しく辛かったようだ。寄宿舎の近くの「からたち」の生垣の傍で泣いたことを述懐している。

学校では、歌の背景を知らずに歌っていたと思うが、背景を知ると単に白い花を愛でる歌でないことがわ分かり、歌に対する印象もかなり変わってきた。


 

因みに、「枳殻の花」に関しては、昨年以下の句を詠んでいる。


歌で知る枳殻の花咲く築地 


この句は、あるお屋敷の築地(ついじ)沿いに咲いているのを見て詠んだ句である。
*築地:泥土をつき固めて作った塀。塀の上に瓦や板などで葺いたものも多い。「築地塀(ついじべい)」ともいう。


 

また、「棘」に着目して、数年前の冬には以下の句を詠んでいる。


からたちの棘の痛さよ冬日射す


裸木の「からたち」に冬日が射して、土塀にその影を映しているのを見て詠んだ句である。やはり棘の痛々しい姿に着目して詠んだ。


 

「からたち(枳殻)」は、ミカン科カラタチ属の落葉低木。中国原産で日本には8世紀頃渡来した。4月頃に白い五弁花を咲かせ、秋に径3-4cmほどの球形の果実を結び黄熟する。「枸橘」とも書く。


 

「からたち(枳殻、枸橘)」の花を詠んだ句はあまり多くない。以下には、ネットで見つけた句をいくつか参考まで掲載した。(過去に掲載したものを除く。)


【からたち(枳殻、枸橘)の参考句】
童子々々からたちの花が咲いたよ (北原白秋)
からたちの花のいつしか了へて無し (轡田進)
石仏に似たる農夫や花枳殻 (中島丁児)
枳殻の花散る朝の乳母車 (新田祐久)
時刻表にはさむ枳殻のこぼれ花 (横山房子)