あてもなく行きつ戻りつ蜷の道
( あてもなく ゆきつもどりつ になのみち )
今日は朝から雨で少し肌寒い。なかなかすんなりと春の陽気は訪れない。
さて今日も先日行った植物園からの記事で、取り上げるのは「蜷(にな)の道」。とは言っても、何のことか見当がつかない人もいると思う。
かくいう自分もそれを知ったのは数年前。公園を散歩している時に、水草などが跡形もなく消えた池の底を見ると、迷路のような模様が見えた。(上写真参照)
これは一体何だろうと思い調べてみると「川蜷(かわにな)」という小さな貝が動いた後だとのこと。そして、これを「蜷の道」と言い、俳句では春の季語にもなっていることを知った。
本日の掲句は、そんな「蜷の道」を見て詠んだ句。それを、明確な当てもなく、行きつ戻りつ迷いながら生きてきた人生に重ねて詠んだ。
因みに、この「蜷の道」を初めて見知った時、以下の句を詠んでいる。
蓮枯れて露わになりぬ蜷の道
詠んだのは、蓮が枯れて池の底が露わに見えるようになった晩秋。
ところで、川蜷というのはどんな貝なのか。Wikipediaなどいくつかの記事から要点を整理すると、以下のようになる。
カワニナ(川蜷)は、カワニナ科に分類される巻貝の一種。東アジアの淡水域に棲む細長い巻貝で、ゲンジボタルやヘイケボタルといった水生ホタル幼虫の餌としても知られている。
*川蜷
春になると、温くなった川や、水の張られたばかりの田に現れ、底を這うようになる。ただ、実際のところ春に目立つだけて年中見られる。
成貝は殻長30mm・殻径12mmほどで、全体的に丸みを帯びた円錐形をしている。田螺(たにしよりも小さく細長い。繁殖期は春と秋で、雌は卵ではなく微小な仔貝を300~400匹ほど産み落とす。
「蜷」は単独でも春の季語になり詠まれた句もままあるが、以下では特に「蜷の道」を詠んだ句を選んで掲載した。
【蜷の道の参考句】
悉くこれ一日の蜷の道 (高野素十)
水底の雲の中ゆく蜷の道 (野見山ひふみ)
蜷の道うすうす泥をかぶりけり (大串章)
蜷の道思へば遠くへ来たもんだ (高澤良一)
蜷の道思へば遠くへ来たもんだ (高澤良一)
蜷の道はじめをはりのなかりけり ( 森田公司)