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能登半島地震の被災支援で、担当医師が派遣されて予定していた受診日よりも、1週間遅れてやってきた2024年初の受診日。




忘れもしない1月20日。

 

 


その数日前から、我が家(母とは同居しておらず、我が家は関東、母は福島市在住)は次男から始まったコロナウイルス感染で全滅し、隔離期間中で、母の通院日のことはすっかり忘れていました。

 


 

夕飯の支度ができ、さてご飯を食べようかと思っていた矢先、夕方6時頃だったかな、母からの電話で通院日だったことを思い出し、電話に出ました。

 

 

 

「そういえば、通院日だったけどどうだった?」と何気なく聞いた私。

 

 

 

母「最悪だよ。・・・・・・・・・・再発。・・・・・・・・・・・腹膜播種、ステージⅳ。」

ショックを隠せないという震え声だったこと、今でも頭に残っています。

 

 

 

 

「えっ、えっ、どうして。なんで。あれだけ検査していたじゃん。え、どういうこと?」

 

 

ショックを隠し切れない私。


動揺して、心臓がバクバク、母が一番動揺しているはずなのに、「なんで?なんで?」と少し責めるような感じで、しゃべってしまっていました。

 

 

 

その日までも腹痛や、お正月からの排尿痛などの症状が残っていたため、前回との比較のためにもCTをまた撮ったそうです。

 

 

その画像比較で、今回、腎臓に白い影のようなのものが小さく写っており、尿管を圧迫して、痛みが起きているということ。



前回はその影がなく、今回出現していることから、癌の可能性が高く、画像にも小さくしか映らないため腹膜播種の可能性があると言われたとの説明が母から聞かされました。

 

 

 

「・・・・・・・そういうことだから、できるだけ会いに来てね・・・・・・・。まだ病院にいるからまた・・・・」と母。

 

 

 

 

その一言を聞いて私は涙があふれ、電話が続けられなくなり「わかった。」としか答えられませんでした。

 

 

 

 

その後の話では、今回のCTの結果を担当医だけでなく他の科の医師にも診てもらい、慎重な判断を下してくださったということ。


外来の時間はとっくに終わっていたのに、担当医がわざわざ来て何度か話をしてくださったことなどを聞かされました。


その時点では余命については言われなかったとのことです。


 

担当医も、9割方再発はないだろうと思っていたので、驚きとショックが大きかったようだと母は言っていました。



(※再発とは言っていますが、胃がんからのものなのかはわからず。胃がん歴があるため、胃がんからではないかという見立てでした)

 

 

 

9日後、PETの検査を予約し抗がん剤のスケジュールを(SOX療法)説明され、抗がん剤をもらい、その日は終わったようでした。

 


 

私は電話を終えてから、腹膜播種について検索してみたのですが、予後が良くないことや余命などあまりにも辛い検索結果が多く、その日はご飯ものどを通らず、子供たちのことも夫に任せ、ひたすら泣いては、妹たちと電話をし、今後についてたくさんたくさん話して泣いての繰り返しでした。

 

 

 

人生でこんなにも涙が枯れるまで泣いたのは初めてでした。