前奏
招詞
ローマの信徒への手紙 8章18〜21節
詩 編 歌 65編 2節
罪の力強し、されど神は
開 会 祈祷
主 の 祈り(週報裏面)
十戒・祈祷(週報裏面)
子ども説教
スコットランド教会新カテキズム
「土の塵から造られた人間」
こどもさんびか
きょうはひかりが[改 2(3,4 節)]
牧 会 祈祷
讃美歌 187番
聖書
使徒言行録20章7〜12節
列王記下4章30〜37節
説教
「夜中の説教〜復活の日を覚えつつ」
宮武輝彦
祈祷
讃美歌 500番
使 徒 信条
聖餐式 配餐(パン・杯)
感謝のささげものと執り成しの祈祷
頌 栄 544番
祝祷
報告
聖書📙
使徒言行録20章7〜12節
列王記下4章30〜37節
(口語訳聖書)
讃美歌〜♫🌲🔔
(週報裏面)
2024年8月4日 礼拝説教 中心聖句
週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。
使徒言行録20章7節
そしてエリシャは寝台に上がって、子供の上に伏し、自分の口を子供の口に、目を子供の目に、手を子供の手に重ねてかがみ込むと、子供の体は暖かくなった。
列王記下4章34節
はじめに
肉体の弱さを覚える中で、主の霊によって新たな力を与えられ、賛美を捧げたい。
1
「週の初めの日」とは、トロアスに合流した集会の最終日。聖霊降臨の日以来、その日がいつであったかの記録。もっとも、パウロは、週日、絶えず「神の国について」福音を語り続けていた。特に、「週の初めの日」(マタイ28章1節,マルコ16章2節,ルカ24章1節,ヨハネ20章1節)に復活された、主イエスの復活の日が強く覚えられている。「わたしたち」パウロとルカたち一行は、「パンを裂くために集まって」いた。多分、皆の仕事が終わって夕方、夜の時間からの集会。真の預言者イザヤは「悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて 虐げられた人を解放し、軛をことどく折ること。更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え さまよう貧しい人を家に招き入れ 裸の人に会えば衣を着せかけ 同胞に助けを惜しまないこと」を「わたし(主)の選ぶ断食」(イザヤ58章6,7節)について、それが、外面的な行いではなく、主が、第一に求めておられる御心を、その心構えと本当の隣人愛において告げた。「パンを裂く」とは、聖餐のみならず食事も共にし、皆で、主の命と恵みを分かち合った。
2
「パウロは翌日出発する予定(つもり)で人々に話した(自ら徹底的に説いた)」。ついには、「その話は夜中まで続いた(延びた)」。トロアスはかつてマケドニア州へ向けて出発することになった「主の幻」をパウロが見た分岐点。この時も滞在期間は長くはなかった。パウロは十分に話すために寝る間を惜しんで語り続けて、聞く者たちを熱心に夜を徹して話を聞いた。「わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた」。そこに集まって人たちはごく少人数ではなく、部屋いっぱいの人がいた。その一人「エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた」。医師ルカ自身がそのことを確認した。
3
「(しかし、)パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。『騒ぐな。まだ生きている(彼の命は彼の中にある)。』パウロの祈りは、復活と昇天の主の御手の中にある。転落死となれば一大事。また敵の目からすれば何らかの誹謗中傷の口実を与えかねなかった。「そして、また上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。」ここで「パンを裂いて食べ」と繰り返す。ここでは明らかに聖餐とは別の食事。また、話も、イエスを主キリストと論証することの外、パウロの手紙のように、奨励と慰めを与える言葉を伝えたと思われる。パウロの熱心は、主の熱情による。「人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた」。生き返った青年は、再び、階上の部屋に連れて帰り、大きな力添えを与えた。それは、パウロが伝え続けた「主は生きておられること」を証しする機会となった。
おわりに
土の塵から人間を創造された「主なる神」は、「その鼻に命の息を吹き入れられた。人(アダム)はこうして生きる者(魂)となった」(創世記2章7節)。人間は神の霊の息吹によって生きる存在を与えられた者。エリシャの祈りは、主に聞かれた。エリシャの口と目と手が、その子供に重ねられた時、子供の体に生気が回復したように、主の霊が働くとき、罪人の口と目と手が、主の熱情を証しするものに変えられる。ただ、復活の主の霊の働きにより、祈りと信仰による従順の道において証されることを覚えたい(ローマ1章5節,16章26節)。
(Mynote)🖋
二〇二四年八月四日(日曜日)、
(子供メッセージ)
『スコットランド新教会カテキズム』
「主(しゅ)なる神様は、人間を何から造られましたか。」
「土の塵から造られました。」
初めにアダムを造られた。形作られ、神様に命の息を吹き込み、
(公同礼拝)
『使徒行伝』(第二〇章七〜一二節)
『列王記下』(第四章三〇〜三七節)
この両個所では先ず、
『使徒行伝』では、
それだけパウロのメッセージを聴いて居る人達も、
そして大騒ぎのもと三階から一階へ降りて行き、
「落ちた若者が亡くなった!」
と大声で言う聴衆に向かいパウロは、
「騒ぐ事はない。まだ命がある」
と言って聞かせ、そして、また上がって行って、
詰りその若者・ユテコは生き返った様に生きて居り、
現代でも週の初めは「月曜日」と定められて居る。聖書(神様)
また教会と聞いて、どんな事を連想するだろうか?
詰り聖書の内容・神様が全ての人に教えた内容が今、
クリスチャンは自分に関係なく、
人には人なりの肉体的・精神的な弱さがある。この弱さ・
ここでの大事は、眠ってはならない・休んではならない・
聖書の教え・神様の教えより他の娯楽の方が楽しく、
邪教がこの世には存在し、その邪教でも同様な事を教え、
現代に於いて、神様に依る奇跡がどの様に捉えられるか?
自分の在り方・内実を何度でも振り返って確認し、
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【最寄りの教会検索用】☕️
Table Caffe〜🌲🏕☕️
(お暇な時にぜひどうぞ😊☕️)