前奏
招詞 イザヤ書40章1~4節
詩 編 歌 65 編 2節
罪の力強し、されど神は
開 会 祈祷
主 の 祈り(週報裏面)
十戒・祈祷(週報裏面)
子ども説教
子どもと親のカテキズム問 91
「イエスさまの支配」
こどもさんびか
こどもまねく[改 5(1,2 節)]
牧 会 祈祷
讃 美 歌 19番
聖書
使徒言行録19章8〜10節(新約 P251)
詩編95編1〜11節(旧約 P933)
説教
「主の言葉を聞く
〜心をかたくなにしないで」
宮武輝彦
祈祷
讃美歌 284番
みことばの交読文
ヤコブ1章 19~21 節
感謝のささげものと執り成しの祈祷
頌 栄 543番
祝 祷
報告
聖書📙
使徒言行録19章8〜10節
詩編95編1〜11節
(口語訳聖書)
讃美歌〜♫🌲🔔
(週報裏面)
2024年6月9日 礼拝説教 中心聖句
このようなことが二年も続いたので、アジア州に住むものは、ユダヤ人であれギリシア人 であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった。
使徒言行録19章10節
「あの日、荒れ野のメリバ(争い)やマサ(試み)でした(出エジプト17章、民数記27 章)ように心を頑なにしてはならない。」
詩編95編8節
はじめに
福音の前進を覚えつつ、地域教会の使命を、今一度、初心に帰って確かめたい。
1
「(さらには、)パウロは会堂に入って(来て)」とは、「内陸の地方を通ってエフェ ソに下って来て、何人かの弟子たちに」出会(でくわ)したとき、「聖霊」もしくは「洗 礼」を受けた事についてたずね、ヨハネの洗礼についてその奥義(福音の真実)を告げた 後、「皆で十二人ほど」が「主イエスの名によって洗礼を受け」「パウロが彼らの上に手を 置くと、聖霊が降り、その人たちは異言を話したり、預言をしたりした」後のこと。パウロ は、「三ヶ月以上、神の国(王国)についてこれらの事柄を自ら大胆に宣べ伝え、論じ合 い、説得した」。この「神の国(王国)」とは、「主イエスの支配」をその御業(十字架と 復活、昇天、聖霊降臨)において告げること。使徒パウロ自身、主の召命を身に帯びて、全 く自由に、「平和の福音」(エフェソ2章17節)を宣べ伝えた。「論じ合う」とは、聖書: 律法と詩編と預言者(書)に基づいて、神の救いの計画の実現を確かめ合うこと。「説得す る」とは、キリストの恵みの支配を伝えて、最後的な決心を促すこと。異邦人の多い都市、 エフェソで、ユダヤ人伝道において、パウロ自身神学的深まりを与えられたと想像される。
2
「ところが、ある者たちは、このパウロの説得を拒んだ((「信じようとはせず」は意 訳)」。彼らは、心をかたくなにし、宣べ伝えられた福音を拒み、「会衆の前でこの道をあ しざまに言った」(口語訳)。この「会衆」とは、必ずしもユダヤ人会堂にいる会衆ではな く、むしろ、「多くの人々」(公衆)。とすれば、ある者たちは、街の人々に、パウロの不 徳を煽ったと思われる。「この道」とは、本来、命の福音。しかし、聞く者によっては、た だの道理(神とモーセへの冒涜、習慣伝統の破壊と言いつつ)。かつて、神の民が、エルサ レムが、大きな苦難に陥ったとき、預言者たちによって、主の言葉が告げられながら、それ が拒絶された。真の預言者イザヤは、アッシリアの進軍を見て、「大路は嘆き、荒れ果て、 道行く者は絶える。人は契約を破り、証人を退け 人を人と思うこともない」(イザヤ33章 8節)と言った。エフェソの片隅で起こった出来事かもしれないが、事の真実は、罪の世を一 つの宗教(真理の言葉)において問うことに等しい。大国の軍隊のように、悪しき言葉は、 福音の力を侮り、嫌う。しかし、主の福音は、「わざわいではなく平安を与える計画であ り、あなたがたに将来と希望を与えるためのもの」(エレミヤ29章11節[新改訳])。
3
「パウロは彼らから離れ、弟子たちを引き離した」(「引き連れて」[口語訳]、「退 かせ」[新共同訳]は意訳(誤訳に近い?)。パウロは、ある者たちから離れ、弟子たちを 守った。拠点を移し、「ティラノという人の講堂で毎日論じていた」。ティアノが異邦人で あれば、哲学的議論や修辞学のための講義所を開いたか、ユダヤ人であれば、自分の家で、 私塾のようなものをもち、集会を開いていたか、定かではない。とにかく、「このようなこ とが二年も続いたので、アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが 主の言葉を聞くことになった」。エフェソの教会が、急速に、伝道の勢いを周辺世界に広げ たことを見る。ちなみに、第三回公会議もエフェソで開かれた(431年)。
おわりに
「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、神に反抗したときのように、心をかた くなにしてはならない」(ヘブライ3章15節:詩編95編)。今日主の声を聞く者たちは幸い。
(Mynote)🖋
二〇二四年六月九日(日曜日)、
(子供メッセージ)
『子供と親のカテキズム 問九一』
「『御国を来たらせたまえ』では、何を祈り求めるのですか。」
「神様の家族としての教会と私達一人一人が、
ダニエルの時の事が引用された。
(公同礼拝)
『使徒行伝』(第一九章八〜一〇節)
『詩篇』(第九五篇一〜一一節)
『詩篇』では、神様に遣わされた人がその世の人々(異邦人)
「彼等は心の誤って居る民であって、私の道を知らない」
と断定し、
詰りは、神様に遣わされた上での信仰が、
『使徒行伝』のこの箇所でも、パウロが「
そこでパウロは「弟子達を引き連れて」その会堂を出て行き、
神様の事を知る時、信仰の道に入る時には、
パウロはどの場所でも同じ福音を伝えた。
その上で「納得して信じる事」が大事に在り、
信仰の問題とは「聖書を難問にして読む事」に無く、先ず信じ、
イエス様の時がまさにそれであり、
なので、キリストの道とその栄光が現されようとする時、
パウロは「弟子達を引き連れて…」とあるが、
大事は、唯一誠なる救い主、
【男山教会ホームページ】☘️
【最寄りの教会検索用】☕️
Table Caffe〜🌲🏕☕️
(お暇な時にぜひどうぞ😊☕️)