前奏
招詞 コロサイの信徒への手紙 3章1〜4節
詩 編 歌 65編 1節
シオンよ、汝の神は賛美を待つ
開 会 祈祷
主 の 祈り(週報裏面)
十戒・祈祷(週報裏面)
子ども説教
子どもと親のカテキズム問 90
「神さまへの賛美から」
こどもさんびか
つくりぬしをさんびします[改 4(2,2 節)]
牧 会 祈祷
讃美歌 228番
聖書
使徒言行録19章1〜7節(新約P251)
イザヤ書44章1〜5節(旧約 P1132)
説教
「主イエスの御名によって
~洗礼の奥義と聖霊の働き」
宮武輝彦
祈祷
讃美歌 199番
使 徒 信条
聖餐式 配餐(パン・杯)
感謝のささげものと執り成しの祈祷
頌 栄 543番
祝 祷
報 告
2024年6月2日 礼拝説教 中心聖句
パウロが、「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」と言うと、「ヨハネの洗礼です」と言った。
使徒言行録19章3節
わたしは乾いている地に水を注ぎ 乾いた土地に流れを与える。あなたの子孫にわたしの霊を注ぎ あなたの末にわたしの祝福を与える。
イザヤ書44章3節
はじめに
今日、恵みの時、救いの日、聖霊の恵みによって、洗礼の日を思い起こしたい。
1
「アポロがコリントにいたときのこと」とは、先に一度、エフェソの会堂で教えた、アレキサンドリア生まれのユダヤ人との経緯。パウロとアポロは、同時に居合わせなかった。しかし、パウロの派遣によって、主の宣教が継続される。後にパウロは、「わたしは植え、アポロは水を注いだ」(コリント一3章6節)とコリントの教会へ手紙を送ったように、共に、神の業に仕えた。また、プリスキラ(プリスカ)(妻)とアキラ(夫)のように、アポロに、キリストを伝え、アポロについて推薦状を送った兄弟たち、同労者として尽力した者たちもいた。「パウロは、内陸の地方を通ってエフェソに下って来て」とは、アンティオキアから三度目の伝道旅行において、先に、福音を伝えた「ガリラヤやフリギアの地方を次々に巡回し、すべての弟子たちを力づけた」(18章23節)。このように、キリストの福音は、困難の中で、主の召命と教会の励ましによって、前進していく(フィリピ1章12節参照)。
2
「何人かの弟子に会い」とは、そこで、出会(くわ)した「ある弟子たち」。彼らに、「あなたがたは信じたとき、聖霊を受けましたか」と、パウロは尋ねた。パウロは、信仰を認めながら、聖霊の賜物を受けたか、と聞く。それは、自分の霊が新しく生まれ変わったことを証明を見たか、ということ。すると、彼らは、「いいえ、(かつて聞いた)聖霊が今ここにいると聞いたことさえありません」と答えた。事実上、彼らは、救いの確信に乏しかった。そこで、パウロは、もう一つの証しといえる洗礼についてたずねる。「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」と。すると、彼らは、「ヨハネの洗礼です」と答えた。そこで、パウロは、「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けた」と言い、「ヨハネの洗礼」が証しした御方を明らかにする。じっさい、洗礼者ヨハネは、「わたしは、悔い改めに導くために、あなたたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」(マタイ3章11節)と伝えた。キリストの洗礼の本質は、「水」ではなく、「聖霊と火」。聖霊の賜物は、神の裁きのもとで、十字架にかけられたイエス・キリストを信じる信仰と、「怠らずに励み、霊に燃え、主に仕える」(ローマ12章11節)熱心を与え、あらゆる事柄において、主の召命に応え、御心を求め、神の栄光をたたえるように仕向ける。
3
「人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた」。ヨハネの洗礼とは別(再洗礼とは言えない)。「主イエスの名によって」とは、天の王座に着かれた、生けるキリストの御名において。聖霊は、このキリストとの結合を証しする。「パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り、その人たちは異言(多分、他の国の言葉)を話したり、預言をしたりした。この人たちは、皆で十二人ほどであった」。だれもが聖霊の賜物を認める出来事が起こった。このようにして「ヨハネの洗礼」を受けた信者たちは、聖霊の賜物と、「主イエスの名による」洗礼を受け、イエスを主と証しする者(真のキリスト教徒)となった。
おわりに
真の預言者イザヤは、主の霊による祝福とその豊かさを告げた。それは、大地を潤す水のように、罪人を癒やし、キリストの救いにあずからせる。神の栄光をたたえよう。
(子供メッセージ)
『子供と親のカテキズム 問九〇』
「『御名を崇めさせ給え』では、何を祈り求めるのですか。」
「私達の生活の全てを通して神様の栄光を表され、
全ての良い事は、神様から来る。悪い事は悪魔から来て、
(公同礼拝)
『使徒行伝』(第一九章一〜七節)
『イザヤ書』(第四四章〜五節)
この『使徒行伝』の箇所では、洗礼(バプテスマ)について、
パウロはエペソにて、そこに住んで居た弟子達(クリスチャン達)
「あなた方は、信仰に入った時に、聖霊を受けたのか?」
と聞いた。すると彼等は、
「いいえ、聖霊なるものが在る事さえ、聞いた事がありません」
と答えた。そしてパウロは、
「では、誰の名によるバプテスマを受けたのか?」
と聞くと、彼等は、
「ヨハネの名によるバプテスマを受けました」
と答えた。
ここで大事な事は「神様に依る正しい聖霊を受けて居るか?」
詰り、この他にバプテスマは無く、
「ヨハネは悔い改めのバプテスマを授けたが、それによって、
とのパウロの箴言を前提にせねば、正しいバプテスマの在り方、
これは「邪教を避ける為」でもあり、
その聖霊と、バプテスマの意味・内容がどこから来て居るか?
そして更に興味深い点はパウロが彼等に、
「信仰に入った時に、聖霊を受けたのか?」
と先ず聞いた事。現代の教会でもよく「
神様が人を成長させて下さる。
『イザヤ書』では、人が神様の前に(神様の下《もと》に)
「わたしは主(しゅ)のものである」
と言える者が現代人にどれだけ居るか?一時(いっとき)
神様の語り掛けを聴く事。これは全ての人にとって大事に在る。
人の救いについて、聖霊について、正しい捉え方・
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(お暇な時にでもぜひどうぞ😊☕️)