2024年4月14日 礼拝説教 中心聖句
イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。
ヨハネによる福音書21章12節
あなたがお与えになるものを彼らは集め 御手を開かれれば彼らは良い物に満ち足りる。
詩編104編28節
はじめに
情報洪水の中で、今日、復活の主キリストの平安の中に、神の言葉に聞きたい。
1
「このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさった」とは、まぎれもなく弟子たちが見たことの証言はたくさんあることを証しする。「弟子たちの前で」とは、弟子たちが本当に見、聞いたことがどれほどの深い記憶と慰めに満ちているかを物語る。「多くのしるし」とは、いわゆる奇跡に限らず、イエスご自身が、神の子にして安息日の主であり、当時の神殿にまさって、三日目に復活されたお方であることを告げる御業。「それはこの書物に書かれていない」とは、福音書自体がもつ目的を示唆する。それでは、福音書の目的は何か、「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシア[キリスト]であると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるため」。福音書は、単なる伝記・証言集ではなく、神自ら、「受肉」された、永遠の「言」、神の独り子イエスを啓示する「神の言葉」。その目的は、神とキリストの栄光(1章14節)。聖書信仰は、その栄光を見、復活のイエス・キリストを「わが主、わが神」と告白する。
2
「その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された」。それは、「死者の中から復活た後」「三度目」のこと。そこには、「 シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル(多分バルトロマイと同じ)、ゼベダイの子たち(ヨハネとヤコブ)」「ほかの二人の弟子が一緒にいた」。
シモン・ペトロが、『わたしは漁に行く』と言うと、彼らは、『わたしたちも一緒に行こう』と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。」弟子たちは日常の働きで糧を求めて生きる。夜明けで、霧か何かで、岸に立っておられたイエスの姿を確認できなかった。岸から「イエスが、『子たちよ、何か食べる物があるか』」と呼びかけると、「彼らは、「ありません」と答えた」「イエスは言われた。『舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。』そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、『主だ』と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキス(約90m)ばかりしか離れていなかった」。ペトロの、主への愛は、不器用ながらも、誠実に示された(!?)。
3
「さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった」。「その上に魚がのせてあり、パンもあった。イエスが、『今とった魚を何匹か持って来なさい』と言われた。シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。イエスは、『さあ、来て、朝の食事をしなさい』と言われた」。「弟子たちはだれも、『あなたはどなたですか』」と尋ねようよしなかった。「主であることを知っていたから」。「イエスは来て、パンを取って弟子たちに与え」「魚も同じようにされた」。弟子たちは大きな感動の中、主イエスの備えられた朝の食事の時をともにした。主の全面的な愛は、その日の糧を与え、今日の生活に備える。
おわりに
神に造られた生き物は、神に自分の食物を求める。人は自分の仕事をし、生き物にまさって、食卓を整える。主の御手が開かれているなら、今日、その中で共に憩いたい。
(子供メッセージ)
『子供と親のカテキズム 問八三』
「『十戒』は罪を気付かせる為だけにあるのですか?」
「いいえ、『十戒』は、父なる神様の愛の親心です。私達は、
隣人を愛する事が大事である。先ず『十戒』の基はそこにあり、
(公同礼拝)
『ヨハネによる福音書』(第二〇章三〇〜第二一章一〜一四節)
『詩篇』『第一〇四篇一三〜三〇節)
この『ヨハネによる福音書』の箇所には、イエス様が甦られた後、
「舟の右の方に網を降ろして見なさい。そうすれば、
と教えられ、その前に左側に網を降ろして何も取れなかったのに、
この舟のエピソードにしても奇跡と見て良いであろう。
そしてイエス様が愛して居られた弟子が、ペテロに「あれは主(
福音は先ず、独りで居る時にその誰かが聞くよりも、
イエス様はこの前に、
「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人達が愛する以上に、
と聞かれた。そうイエス様から聞かれたペテロは応えて、
「主よ、そうです。私があなたを愛する事は、
と言い、それに対してイエス様は、
「私の小羊を養いなさい」
と教え、このやり取りが三度なされた。
「私に従って来なさい」
と言ったのである。
この様に三度、イエス様がペテロに聞いた理由は、この前に、
この時も弟子達がこの後、『使徒行伝』
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