(※吉備聖約キリスト教会とカルバリーチャペルロゴス東京のメッセージを合せてアップして居ります。下記プログラムは男山教会のものです)


前奏
招詞 ヨハネの手紙一 1 章 5~17 節
詩編歌 1301節深き淵より 
開 会 祈祷
主 の 祈り(週報裏面) 
十戒・祈祷(週報裏面)
子ども説教
子どもと親のカテキズム問 77
「神さまの贈り物」
こどもさんびか
キリストのへいわ[改 34(いのち)]
牧 会 祈祷
讃 美 歌 23番
聖書 
ルカによる福音書21章20~28節(新約 P152) 
ダニエル書7章9~14節(旧約 P1392)
説教 
「贖いの時は近い
〜キリストの主権のもとに帰る日」
宮武輝彦
祈祷
讃美歌 164番 
使徒信条
聖餐式
感謝のささげものと執り成しの祈祷
頌 栄 543番 
祝 祷
《教会一日修養会準備祈祷》
報告

聖書📙
ルカによる福音書21章20~28節

ダニエル書7章9~14節

(口語訳聖書)


讃美歌〜♫🔔


(週報裏面)


202433日 礼拝説教 中心聖句


そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。 

ルカによる福音書2127


夜の幻をなお見ていると、見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み 権威、威光、王権を受けた。

ダニエル書713,14


はじめに

パレスチナの人びとのため、平和の祈りをささげた今日、主の終末の声に聞く。

「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい」とは、A.D.70年ローマのティトス帝によるユダヤ戦争におけるエルサレム滅亡の警告。主イエスは、ご自身の十字架刑の後、40年後の出来事を予告された。「そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない」と命じる。それは、「書かれていることがことごとく実現する報復の日だから」。主イエスはすでに、「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる」(ルカ2110,11節)と警告された。エルサレム滅亡の予告は、律法と預言者の実現(成就)、「報復(復讐)」とは「神の怒り」(23節)。そこでは、信仰の内実と忍耐の目的が問われる。「敵を愛し、自分を迫害する者ために祈りなさい」(マタイ544節)との祈りは、戦争の渦中においてどのように求められるのか。第一に求められる祈りの態度は何か。目に見える現実を読み解く眼差しをわたしたちは誰に求めるのか。もし、神に求めるのなら、わたしたちが信じている信仰はどのように吟味されるのか。これらの問いは必然的に真剣な当事となる。主は「忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい」(ルカ2119節)と命じられた。

「それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ」とは、今時の戦争においても繰り返される嘆き。当時において、100万人のユダヤ人が殺され、10万人が捕虜になったと伝えられる(ヨセフス)。葬る人のない墓場と化するほど悲惨なことはない。歴史は繰り返される。が、「異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる」。「それから、太陽と月と星に徴が現れ」「地上では海がどよめき荒れ狂」い、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る」。さらには、「人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失う」。「天体が揺り動かされるから」と告げられる。だれが、この神の怒りと裁きに耐えられようか。「主が来るという約束は、いったいどうなったのだ。父たちが死んでこのかた、世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わらないではないか」とのあざけりは、「終わりの時」に現れる、「欲望の赴くままに生活してあざける者たち」の声(ペトロ二34節)。神が裁かれる時、自ら滅びを招くのは、神をおそれず、かえって、神を非難する、「不信心な者たち」。しかし、当時の戦禍の中にでも、今時の戦禍の中にも、神の憐れみによって、神の約束とその実現を待ち望む、「聖なる信心深い生活(聖なる態度と敬虔)」に生きなければならない者たち(同311節)が残されている。

「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。」

このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放(贖い)の時が近いからだ」とは、世の政治的支配が終わり、神の王国が完全に現れる日。ただ、神の憐れみによって、贖われた民は、キリストの栄光を見て、完全な贖いを知る。

おわりに・受難の後、復活・昇天された主は、今日、すべての人、国々を治めておられる真の王。イエスを主とあがめる教会の礼拝は、終末の時、世の光として主の栄光をたたえる


(Mynote)🖋
二〇二四年三月三日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。本日は聖餐式である。
(子供メッセージ)
『子供と親のカテキズム 問七七』
「第八戒で神様は私達に何を求めて居られますか。」
「私達の持ち物は、私達の体もお金も時間も、全て神様からの贈り物です。神様は、それ等を感謝し、ふさわしく管理し、神様の栄光の為に用いる事を求めて居られます。神様の贈り物を自分勝手に使ったり、他の人のものを盗んだりしてはいけません。」
イエス様の元に続々と、数えきれない程の群衆が集まって来た。そのときイエス様は群衆に教えた。「もっと欲しいと思うその心に注意しなさい」。欲望には果てが無い。その欲望は罪に通じる事がある。罪を為し続けるなら、何も無い、乏しいほうが良い。「もっと欲しい」と求めてやまない人にこう言う。「あなたの命は今夜取り去られる」。その事(寸先の未来の事)を人間は知る事が出来ない。死んで天に上る時、その地に置き去った宝は誰の物になるのか?金や地位・名誉・ステータスはその地に置き去られ、天に持ち帰る事は出来ない。そして全ての人には寿命があり、やがてこの地を去る。人の摂理を覚えた上で、大事を見失っては成らない。その大事は信仰に在る。
(公同礼拝)
『ルカによる福音書』(第二一章二〇〜二八節)
『ダニエル書』(第七章九〜一四節)
この両箇所は、世の終わりに就いて記されて居る。
「十の角(つの)はこの国から起こる十人の王である。その後に又一人の王が起こる。彼は先の者と異なり、且つ、その三人の王を倒す。彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、且つ、いと高き者の聖徒を悩ます。」(『ダニエル書』第七章二四〜二五節)
この「あとに来る、先の者と異なる王」とは反キリスト者であるとされ、六百六十六の獣の数字を持つ者である。
この『ダニエル書』(第七章九〜一四節)でも世の終わり・終末・再臨の時に起こる様々な事の預言がされて居り、「人の子」とはイエス・キリストの事であり、その人類・地球の最後の時にイエス様が再びこの地上に降りて来られる。これを再臨と呼び、救われる者と、裁かれる者とに分かれる。この事は必ず起こり、今がその段階に在る。「私はすぐに来る」と神様、イエス様が全ての人に教えた以上、全ての人はその最後の時に備え、常に信仰の目と心を覚ましておかねば成らない。この最後の日とは神様の怒りの日であり、これ迄ずっと不信仰に歩み、神様に反き続けた人々が裁かれる。
「エルサレムが軍隊に包囲されるのを見たならば、その時は、その滅亡が近付いたと悟りなさい。その時、ユダヤに居る人々は山へ逃げよ。市中に居る者は、そこから出て行くがよい。又、田舎に居る者は市内に入ってはいけない。それは、聖書に記された全ての事が実現する刑罰の日であるからだ。その日には、身重の女と乳飲み子を持つ女とは、不幸である。地上には大きな苦難があり、この民には御怒(みいか)りが臨み、彼等は剣(つるぎ)の刃に倒れ、また捕えられて諸国へ引き行かれるであろう。そしてエルサレムは、異邦人の時期が満ちる迄、彼等に踏み躙られて居るであろう。また日と月と星とに、しるしが現れるであろう。そして、地上では、諸国民が悩み、海と大波との轟きにおじ惑い、人々は世界に起ころうとする事を思い、恐怖と不安で気絶するであろう。諸々の天体が揺り動かされるからである。その時、大いなる力と栄光とを以て、人の子(イエス様)が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。これ等の事が起こり始めたら、身を起こし頭をもたげなさい。あなた方の救いが近付いて居るのだから。」(『ルカによる福音書』第二一章二〇〜二八節)
今、パレスチナでは、イスラエルとハマスとの戦争が起きて居る。ハマスはイスラム過激組織でありテロ集団とされ、そのイスラムのメッカはイランであるとされる。詰りイスラエルは今、イランと戦争して居るのであり、そのイランは(聖書で「ゴグ」として現れ、その「ゴグ」が現在までに「ロシアである」と解釈される上)ロシアと同盟して居り、イスラエルはロシアと、ロシア(ゴグ)に付く全ての同盟国と対峙して居る事になる。そのロシア側の軍隊の多さ、また地形から、イスラエルは今、多数の軍隊に包囲されて居る傾向に在る。
昔から「パレスチナは世界の窓である」とされ、パレスチナで起きて居る事を見るだけで、今世界で何がどの様に起きて居るかが分かると言われる。
「聖書のお話、遠い地で起きて居る戦争」などと、自分達には一切関係ない、こう理解し安心して居る者達も多いだろうか。しかし明日どうなるか分からないと言うのが人間であり、今パレスチナ、イスラエル、ウクライナ、ロシア、イランなど、戦争を勃発させたり戦争に関係して居る全ての国の事を、自国の事として受け留める事が大事にある。これは隣人を愛する事に繋がり、聖書に記された預言を吟味し理解して知り、その内容を常に心に置き留める事になるからだ。
イエス様は全ての人に、はっきりこう教えた。
「あなたの敵を愛し、その人達の為に祈りなさい」と。イエス様は自分が十字架に付けられ、愈々殺されると言うその時に、その自分を殺そうとして居る全ての人達の為に神様に祈った。「父よ、彼等をお許し下さい。彼等は何をして居るのか、解らずに居るのです」と(『ルカによる福音書』第二三章三四節)


聖書は全ての聖徒に、忍耐する事を教えて居る。イエス様も同じく改めて、弟子達を始め全ての人々に忍耐して「命を勝ち取る事」を教えた。
十戒に在る守り事を、今の時代、一体どれだけの人が本気で守ろうと努力し、その事を少しでも長く心に留めて居るか?人はこの十戒に在る一つをすら、守る事が出来ない者である。だからこそ、常に守ろうと努力する事、その継続が大事に成る。
隣人を愛する事。今パレスチナに起きて居る事、ウクライナに起きて居る事、もっと身近に日常の難儀に遭って居る人達の事、自然災害や健康で悩んで居る人達の事を、どれだけ自分の事と同じく受け留め、感じ、悩み、励まし、その人達を愛せるか。今は不法が蔓延り愛が冷める時代とも言われる(『マタイによる福音書』第二四章四〜一三節迄を参照)。

この時代の中で隣人を愛する事は、全ての人にとって至難となるか。ここにも忍耐が必要となり、信仰に依る愛と平安と満たしが必要となろう。

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