編集雑記『―ノーベル文学賞― 書店に平積みの紙の本』 | 紙業新報のブログ

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紙パルプ業界紙。月3回発行。の公式タワゴト、ボヤきその他(笑

こんちわ~

紙業新報です~(^^♪

 

やっぱりバレーの試合がはじまるとそっちのこと書くのが多くなりますけれど、

やはり紙パルプ業界の業界新聞の人(=わたし)がやってるんだから紙に関係すること

少しは書いとかないと、と思いましたはい。

 

なので少し前に新聞に載せたコラムをコピペして載せますね(笑)

 

 

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編集雑記

= ノーベル文学賞 =
書店に平積みの紙の本




▽カズオ・イシグロという名前はどこかで見た覚えはあるけれど、というお恥ずかしい文学知識レベルの私だが、ノーベル文学賞受賞のニュースが出て何日か経った頃、ちょうど神保町方面に行く用事があったので、三省堂に立ち寄って平積みになっているのを二冊買ってきた。文庫本の『わたしを離さないで』とハードカバーの『忘れられた巨人』だ。
▽村上春樹じゃなかった代わりと言ってはなんだが、出版界にとっては思わぬ話題だ。話では印刷所はフル稼働で増刷し、急な特需に早川書房の担当者は昼夜分かたぬ大忙しとなったようだ。もしやと思い私が買った文庫の奥付を見てみたら「二〇一六年一月二十一日 五十四刷」だった。どうせなら受賞後の最新の刷がほしかった……
▽久々に湧く出版界。しかしいっぽうで反省もあるようだ。イシグロの諸作について「こんなに魅力的なコンテンツがありながら、ノーベル賞になるまで出版関係者は誰もがノーマークだった」と。つまり、賞を取るまでほったらかしで、優れた作品を自らの手で掘り起こして売り出すチャンスを逸していた、ということだ。厳しすぎる見方とも思ったが、紙による出版が激しいダウントレンドにある中、それほどの気構えがないとやっていけないという危機意識の表れというべきか。
▽2010年10月8日付のAFPネットニュースで、同年のノーベル文学賞受賞者、ペルーのマリオ・バルガス・リョサ氏の記事が目に入った。氏はニューヨークでの受賞記者会見で、書籍の電子化が進んでいく時代に対して「新しい技術によって、本の中身が陳腐化するような事態にならないことを願う」と語っている。「わたしにとって『本』とは『紙の本』のことだ」。
▽デジタル化が進展し、身に馴染んだ紙の本が減っていく喪失感。私どもの年代では共感しやすいこうした感覚は、あるいは世代的なものかもしれないが、そうでもないのかもしれない。又吉直樹『火花』が大ヒットしたときにも書いたが、いいものが出れば、人々はやはり紙のものを手に取り、欲するのだ。

 

 

 

以上どえす。

 

ウチもメディアといっても業界新聞なので、業界を応援するような記事を書くようにはしてますね。

 

以前、いろいろ書きましたけれど笑

 

TOBとか(笑)、D王のカジノ事件とか(笑)わら
 

創業者の松浦が強気で、しかも晩年は「俺もう誰も怖くないんだよ」とさびしげにつぶやいてました。

松浦なくなってからは私だけだとあんまり強気に書けませんものね~

 

なかには「もっと書いちゃえよ」とか「なんで書かないの」とかたきつけてくださる方(笑)もいましたが、

そこは斟酌してくだちゃい(*^^)v(^^♪

 

んなわけで上記のような穏当な記事ばっか書いてる今日この頃でした~またバレーボールのこと書きたいなぁ~わら

 

それでわ