広島旅行から東京に戻る2日、ホテルをチェックアウトして空港リムジンバスを待つ間、
母から出た言葉。
「あ~ひとりぼっちは嫌だな😢みんなと一緒がいいな。ダメかな。」
「うん、それは無理。貴方は自分で一人暮らしを選んだのだから。」
80歳認知症介護レベル2の母には酷なひとことだとはわかっています。
娘である私にしかわからない事なのですが(最近は息子も気づいています💦)
母は認知症を使う瞬間があり、とっても嫌な気持ちになります。
例を挙げると、広島2日目、在住の友人と夕食を一緒に✨と入った和食屋さんで、
私と彼女がアルコールを頼み、その前にもビールを飲んでいた母に
「貴方はノンアルコールにしておこうね🎵」というと、
いきなり怒りの表情を見せ、「何で❗💥私だけ?」←今年から飲ませない約束を家族としていて、私が特別にいいよ👌と言った時だけと約束しているんです。
すると、友人があやすように
「そうだよね~⤴ママちゃんも飲みたいよね~」って事でオーダー💦
翌日、母にその時の話をすると覚えていて、
「彼女、優しい人だと思ったから、少し困らせちゃおうかと思ったのよ。」と😒
………信じられない❗やはり認知症を使っているんだわ😱……と頭に来た瞬間です。
成人するまでは、母が私の憧れの女性でもありました。
何故、成人するまでなのか……母の微妙なコントロールに引っ掛かっていたのです。
そこに気づいてしまい、自分を確立し始めてからは、いつもぶつかっている私達です。
ですから可能な限りのサポートはしても、
母が生きる❗事に関しては母の課題な訳です。
私の学舎である、神楽坂にあるヒューマンギルド。
様々なアドラー心理学講座を学び、カウンセラー養成講座を受講した5年前。
初日だったか2日目だったか?
ふたりでペアになって、カウンセリングシートを埋める時間がありました。
私はとっても話しやすい男性とペアになり、
彼にカウンセラーとして幼少期の話をしていた時、
母との嫌だった記憶を消していた自分に出会いました😱
「早期回想」というその技法は、10歳までの喜怒哀楽を伴った記憶をクライアントから聞き取ります。
辛くて辛くて💦けれど、アドラーカウンセラーになる為には乗り越えなくては❗
と帰宅して、当時お手伝いに来ていた母を見た瞬間😨逃げる様に2階の自室へ🏃
夕食も摂らずにベッドで小2時間泣き張らし、疲れて寝落ち⤵
翌朝も大雪で交通網を案じたフリをして、母の顔を見ないでいい様に早めに外出。
神楽坂に向かう電車の中で、
「今は辛いけれど、必ず乗り越えられる❗だから今は母への怒りは棚上げして、
頑張って養成講座を修了しよう❗」と頬をつたう涙を拭いながら学舎の扉を開けた私でした。
そして、
その怒りや憎しみを棚卸ししたのは、それから4ヶ月が経った時でした。
最後までお読みくださり、ありがとうございました✨