お久しぶりの荒川祐二です☆

※久しぶりに書いた超長文です。最早エッセイです。



『うちの社員をレクサスに乗せる』。



そう強く決意したのは、いつの頃だったろうか。

ある程度知って頂いている通り、僕はゴミ拾い活動をきっかけに出した本『半ケツとゴミ拾い』と、プロデューサーの山本時嗣さんとの出会いをきっかけに、作家として、2008年(22歳)から10年以上仕事をさせて頂いて、

また一方で、2010年(24歳)からこちらも10年以上、飲食店の経営者の仕事もしている(現在36歳)。


俗に言う『二足のわらじ』であるが、かといって、どっち付かずになるわけではなく、両方とも大きな問題なくこなしてきた。


ただ作家に関しては、『1人でも多くの人に一歩を踏み出す勇気を与えたい!』や、『日本の神さまの真実の姿を伝えたい!』など、


大きく具体的な夢や目標があった一方、

ラーメン屋の経営の方は、『自分についてきてくれているスタッフを、出来る限り幸せにしたい』と、


作家に比べると、どこかフワッとした思いを持って経営し、それもあながち間違ってはいなかったものの、

ゆるい理念ゆえか、作家としては累計10万部を越える一方、
ラーメン屋に関しては、長年2店舗以上の成長を見せることはなかった。

ただ正直な所を申し上げると、それでも良いと当時思っていた自分もいて、

『まぁ家族は養えるし』、

『業界水準で言うと、スタッフのお給料も悪くないし』と、

これ以上を望んでいなかった自分が、当時いたのもまた事実だった。


しかし、そんな自分の考えが吹き飛んだのが、およそ2年前(2020年)のこと。

そう、『新型コロナウイルス騒動』だった。


今でこそ過ぎ去ったことになろうとしているものの、

2020年4月当時、初めての緊急事態宣言が日本全国に発令された時。

いきなり飲食店は20時までの時短要請をされ、それに伴い人心はパニック状態に陥り、街はほぼロックダウン状態。


飲食店というのは業界の構造(薄利多売=例えたら経営者が現場に立って、ようやく30~40万の利益が出る所が多い)的に、普段からキャッシュの蓄えがないところが多く、

言い方を変えるなら、こういった緊急事態や不測の事態が起きた時に、非常に脆い業界である。


この初めての緊急事態宣言の時に、うちの店舗も言われるがままに時短要請に従ったものの、

この当時補償の話などは一切なく、みるみる減っていく売上に、遅れてやってくる3月の平常時の支払いや人件費などが一気に重なり、


わずか2ヶ月であっという間に、会社の現金が底を尽きかけた。

この時僕は、パニックになった。


会社を潰すことで命を絶ってしまう人の多くは、会社が潰れてからではなく、『潰れるか否か』という段階で、命を絶ってしまう人が多いという。


それは何よりも、これから先の未来が見えない不安や恐怖が急速に襲いかかり、


同時に自分の家族や従業員の生活を思い、『自分が死ねば、借金や家のローンも解消され、何とかなる』と、ある種正常な判断が出来ないパニック状態に陥り、衝動的に命を絶つ。


この時僕は、命を絶とうとまでは考えなかったけど、『このままでは会社が潰れる!』という当時の恐怖は筆舌に尽くしがたく、最早正常な判断が出来なくなっていた。

その結果陥ってしまったのが、スタッフに対する不信感だった。


『なんでこんな大変な時にコストカットもしてないんだよ!』、『普通こんな時は緊急時の対応をするもんだろ!!』と、

現場を見ずに、数字上やシフトだけを見ての判断でスタッフを疑い、一方的に怠慢だ、やる気がないと決めつけ、問い詰めた。


『こんな非常事態に、こんな仕事をするなら、もう必要ない』と、その時現場を任せていて、夫婦でうちで働いてくれていたあるスタッフに僕は言い放ってしまった。

それが、完全なる過ちだった。


恐怖やパニックに陥っていたのは僕だけではなく、もちろんそれはスタッフも同じで、彼らは彼らなりに必死に耐えて頑張っていた所に、

本来助けてほしい、守ってほしかったはずの経営者からの、冷酷な言葉。


しかもその夫婦で働いてくれていたスタッフは、15歳から二人ともアルバイトでうちで働いてくれて、そこから10年以上、社員になり、結婚し、役員にもなり、『祐二さんに喜んでほしい』と言って、ついてきてくれていたスタッフだった。


『そこまで言われるなら、僕はもう身を引きます』。

『大好きだったから、その言葉は辛すぎます…』。

この言葉を彼が泣きながら発した時、僕は自分の過ちに気付いた。


しかし一度吐いてしまった言葉を取り消すことも、許されることが出来るはずもなく、去ろうとしていく彼らを止めることなど僕には出来ず、

そんな時に間に入ってくれたのが、本社の社長をしている兄とそのスタッフの兄的な存在だった、本社のマネージャーさんだった。


その時に、一通り話を聞いた兄が僕に言った言葉で、今でもハッキリ覚えているのが、


『100%お前が悪い。

スタッフを信じられへんくて、なにが経営者や』という言葉。


その後、何度かに渡る兄やマネージャーさん、彼らを交えた折衝のもと、彼が会社を辞めることはなくなったものの、僕にとってこのことは、一件落着で済ませていい問題ではなかった。


『何を思い、何のために会社を経営をするのか』。

そのことに対する明確な答えがなければ、これから先には進めない。いや、進んではいけない。

強く、そう思った。


スタッフさんや従業員さんにとって、社長やリーダーというのは、唯一の存在であり、その社長が成長を放棄するということは、彼らの未来を閉ざすこと、どこに進めばいいかわからなくしてしまうことと、同じでもある。


リーダーが『これでいい』と満足してしまうことは、自分についてきてくれているスタッフに対して不誠実であり、

彼らを思い、彼らの幸せを本気で願うならば、経営者として会社を『成長』させなければいけない。


それが社員やスタッフ、従業員に対する、社長としての『誠実さ』である。


そう思った時にバチンと、僕の中で意識が変わった。


『まずは社員みんなを社員旅行で沖縄に連れていく』。

『うちの社員をレクサスに乗せる』。


この時描いた、具体的な目標がそれだった。


その後コロナで傾きかけた会社も、国のコロナ緊急融資や様々な支援もあり、業績は回復し、

昨年2021年には、3店舗目の出店。
おかげさまで、その3店舗目が大成功してくれたこともあり、まず1つ目に思い描いていた、『社員みんなを社員旅行で沖縄に連れていく』という目標は、昨年秋に実現。



そして今年4店舗目のオープンと共に、
あの時思い描いた、





『うちの社員をレクサスに乗せる』。

この夢が、昨日叶った。




もちろんその最初の社員とは、彼のことであり、昨日その夫婦を連れてレクサスの納車に行ったその時、

ピカピカの新車を見て、さすがに僕はウルッと来て、泣きそうになってしまった。

その後みんなに車を見てもらおうと、そのまま会社に乗っていくと、うちの兄や本社の社員さん、スタッフの皆さんが待ってくれていて、
皆さんの2階から身を乗り出しての嬉しそうな顔を見ていると、確かにあの時思い描いていた、いや、それ以上の光景が、そこにあった。
2つ目の目標を達成し、もちろんここで終わるわけはなく、今経営者として僕が思い描いていることは、


『来年5店舗目を大阪に出店し、年商5億、経常利益1億の会社にし、再来年には沖縄に出店し、その翌年には海外に出店する』。

そして同時に、

『社員さんたちの雇用環境をドンドン良くしていき、まずは最低年収500万。そして同じように高級車に乗れるスタッフや、1000万円プレイヤーを次々に生み出していく』。


飲食業界というのは、所謂『3K(キツイ、汚い、危険)』と言われており、

月の休みは1、2回で、1日12時間以上の長時間労働なのに、お給料も手取りで20万円に満たないなど、悪しき習慣が未だ残っている所もある。

そんな業界の風習を変えたいなどと、大それたことは一切思わないけど、


せめて、『自分についてきてくれているスタッフやその家族の人生を、もっともっと幸せにしたい』。

そう思い、僕は今、経営者としての日々を過ごしている。


成長を放棄していたあの頃より、共にみんなで未来を見て成長していける今の方が、遥かに楽しく、充実していて、

また1つ、
大きな夢が叶った昨日。

さらにこれから大きな未来へと、歩んでいく。

僕は今、幸せです。
【最後にお知らせ】

よく『荒川さんの飲食店で働くには、

どうしたらいいですか?』という、

問い合わせを頂きますが、


実際に僕のブログの読者さんや、

オンラインサロンのメンバーさんの、

ご子息などのご縁でうちで働き、


今では責任者として、

活躍しているスタッフさんたちも、

いらっしゃいます。


もしご自身や、

ご自身のご家族などで、

ご希望であれば、

0325@arakawayuji.comに、

・お名前
・生年月日
・ご連絡先電話番号
・質問、自己PRなどあれば

を添えてメールをください。


詳細条件等をお伝えし、

やり取りの中で良いご縁になれば、

共に働く仲間になって頂けたら幸いです☆

(勤務地は大阪になります)。