【このブログはシェア、リブログ、転載大歓迎です☆】
荒川祐二&Teamスサノオです☆

 

 

 

 

 

 

まずは、

 

皆さんにお知らせを☆

 

 

 

 

 

 

先日開催された、


立ち見続出、

 

大爆笑連発の、


 

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そして、

 

今日のお話☆

 

 

 

 

 

 

先日の、

 

『伝説の出雲神在月ツアー』を終えて、

このブログを書いている今頃には、

 

間もなく出雲では、

 


出雲の地に集った、


八百万の神さまたちのお帰りを、

 

お見送りする、

 


『神等去出祭( からさでさい)』が、


行われます。

これを書いている現在、

 

まだスサノオさんたちは、


 

出雲から、


帰ってきていないため、

(※正確に言うなら、

 

神さまの御霊は無限に存在するので、


 

出雲の地にいるスサノオさんもいれば、

 

全国各地の神社を引き続き護る、

 

スサノオさんもいるわけで。

 


僕の所にいるスサノオさんも、

 

帰ってこようと思えば、

 

帰ってこれるのですが、


 

どうやら今年は、

 

アマツミカボシさんのこともあってか、

 


よっぽど嬉しいらしく、

 

最後まで出雲にいたいとのことです)

スサノオさんたちがおらず、

 

小春と影狼、


ひなたと静かな時間を過ごす中、





※小春や影狼、


ひなたは僕についている眷属なので、

 

基本的に僕から離れることはありません。

 

 

 

 

改めて今回の、

 

出雲神在月ツアーを、

 

振り返っていた。

本当に、

 

素敵な旅だった。

その旅を振り返っていく中で、

 

改めて1つ、

 

疑問に思ったことがある。

 

 

 

 

この旅の中で僕は、

 

神社以外の場所でも何度となく、

 




手を合わせて、

 

神さまに祈りを捧げていた。

『なぜ手を合わせるのだろう?』

 

 

 

 

 

 

今まで疑問に思っていなかった、

 

そのことに対して、

 


改めて深く、

 

考えてみた。

 

 

 

 

 

 

今日の、

 

お昼のブログにも書きましたが、


今まで疑問に思ってこなかった、

 

日常の些細なことに、

 

疑問を感じることが実は、

 

 

 

 

 

 

『神さまに触れる』

 

ということであり、

 

 

 

 

 

 

この、

 

『手を合わせる』という行為についても、


 

改めてその意味を、

 

考えてみたくなったのです。

それで調べてみた所、

 

『手を合わせる』という行為の起源は、

 

インド古来の礼法であり、

 

仏教を通して、

 

日本に入ってきた説が有力だと言います。

…と、

 

そこで終わってしまっては、

 

それまでだと思うので、

 


ではなぜ、


その礼法というものが、


 

『手を合わせる』という行為であり、

 

それがこうも日常にまで浸透し、


 



何千年と経った今も、


続いているのかという所まで、

 

考えてみたくなったのです。

 

 

 

 

 

 

何より日本人は、

 

神仏に祈る時だけではなく、

 


『いただきます、ご馳走さまでした』、


を言う時、

 


亡き人に向けた合掌、

 

そして何よりも、

 

出雲ツアーの時に、


僕が自然とやっていたように、

 


大いなる何かに心が突き動かされた時、

 

自然と手を合わせているのです。

そのことの意味、

 

そして僕自身が、

 

その時に、



手を合わせていた時の心境を、

 

深く考えてみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

そこにあったのは、

 

『神さまと一つになる』、

 

という感覚だったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

右手と左手というものは、

 

本来同じ肉体ではありますが、


 

それぞれが、

 

別の役割を持つものです。

 

 



 

 

右手が箸を持てば、

 

左手はお茶碗を持ち、

 

 

右手がペンを持てば、

 

左手は紙を押さえるといったように、

 

 

それぞれが、


違う役割を持つ存在が、

 


手を合わせることで、

 

『1つ』になる。

それは、

 

『いただきます・ご馳走でした』、


の場合で言うならば、

 


食材の命と、


自分の命が一つになる、

 

ということ。

亡き人の墓前で、

 

手を合わせるということは、

 


その人の魂と、

 

一体になるということ。







そして神仏や、

 

大いなる『何か』に、

 

手を「合わせるということも、

 

 

 

 



畏敬の念を込めて、

 

その存在と、

 

1つになるということ。

言葉を換えるならば、

 

『貴方は私と共にあり、

 

私は貴方と共にある』という、



人と神、


神と人、



人と人、


人とすべて、



その生きとし生けるもの、


そのすべてと自分を、



隔てる境界線を無くしていく、

 

象徴こそがこの、

 




『手を合わせる』行為である、

 

ということ。

改めて僕は今日、

そのことの意味を知り、

 




自宅の神さまスペースに向かって、

 

日頃の感謝を込めて、

 

手を合わせてみた。

 

 

 

 

 

 

…。

……。

………。

…………。

 

 

 

 





 

あ「………」

ス「ギャーハハハハハッ!!

 

お~い!ハゲ頭!!

 

帰ってきたぞ~!!」

 

 

因幡「ギャハハッ!!


楽しかったでやんす!!

 

出雲にはかわいい姉ちゃんが、

 

いっぱいいたでやんすっ!!」

 

 

道「ギャハハッ!!


ギャハッ!!

 

もう神在月最っ高!!」

 

 

塩「ギャハハハハッ!!

  

マッスル、マッスル、ムッキムキ!!」

…うるさい方たちが、

 

帰ってきました(笑)


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