10時間睡眠
大学主催のOB会に行ってから
モンゴル料理屋さんでご飯食べて
家に着いたらなんか脱力感満開で
入浴してから2時くらいに眠りにつきました
で・・・翌日起きたのが、正午

まぁ、休日だったからいいんですけど
こんな長い長い睡眠は久々でした。
今までだと、1日24時間のうち10時間も寝てしまったら、
起きた時に大変な自己嫌悪に陥ってたでしょう。
しかし、ごく最近になって、これでOKと
思えるようになりました
元ライブドアの社長、堀江貴文さん曰く
睡眠時間は削るべきではない。
8時間寝てしまうと、1日の3分の1も無くなると思うが
それでもまだ16時間もある。
その16時間をいかに有効に使うかが重要だと
おっしゃっていました。
有名なことではありますが、
睡眠には浅い睡眠(レム睡眠)と
深い睡眠(ノンレム睡眠)があって、
1~2時間サイクルで繰り返しています。
浅い眠りの時に海馬という脳の部位で
短期記憶の長期記憶への固定化が行われるので
睡眠を怠ると、脳が自動的に物事を整理してくれなく
なるので、睡眠は重要な役割を果たしているんですね
確かに、睡眠中に見る夢って、
登場人物も時系列も空間もムチャクチャですからね。
私は、その中で得るヒントや閃きもありました
実は、大学時代に作った映画の原作も、
夢から得たのがあります。
なので、枕元にはいつもペンとメモ帳完備してますよ
ホームカミングデー in宝塚
今週の19日日曜日。
私の母校、宝塚造形芸術大学(現・宝塚大学)で
初のOB交流会的なイベントがあると聞きまして
17年ぶりに行ってきました。
大学を卒業して、もう17年の月日が経つんですね
奈良からJRで梅田まで出て、阪急電車に乗り換え
雲雀丘花屋敷(ひばりがおかはなやしき)駅に到着。
ホームから一旦地下に降りて改札に向う風景は
学生時代と変わらない懐かしい空間でした。
改札を出ると、いつもバスが停まっています。
普通の学生はここからバスで15分くらいかけて
山の上に建つ大学まで行くのですが、
バイトして授業料を支払うだけでイッパイイッパイ
だった私は、そんな物に乗るわけもなく、
4年間、山の上まで走って行ってました
雨の日も風の日もカンカン照りの暑い日も。
デザイン道具や楽器などを持ってる時なんかは
負荷倍増ですが、関係ありません。
金髪をなびかせて走りましたよ
(笑)
現在はバスに乗るお金はありますが、
そんな思い出にひたる為にも同じコースを歩くことにしました。
駅から30メートルくらい歩いて、第一コーナーを右折すると
目の前にいきなり急な登り坂が現れます。
ここを気合でダッシュします
まだまだ急な登りは続きます
中間地点くらいで、ちょっと振り向くと
駅のある町が見下ろせます
まだまだ急な登りは続きます。
途中、近道をするための裏道階段もあります。
その階段を登り切ると・・・
大学の建物が見えました。
でも、まだ結構な距離があるので走ります。
およそ、20分で大学に到着しました。
思えば遠くへ来たもんだぁ~♪ by海援隊
ちなみに大学生時代は10分くらいで登り切り、
駅を同時に出発したバスに勝ちました(笑)
体育会系のヘヴィメタです。
さて、懐かしい校内に到着すると
当日は大学祭ということもあり、
模擬店もチラホラ、イベントもチラホラ。
そこは素通りして懐かしい教室付近に行くと
いきなり、1つ上のT川さん夫婦に会いました。
T川さんの奥さんも先輩で仲良くさせてもらってました。
私が、『T川さん、久しぶりです』 と声をかけるも
こいつ誰や・・・という顔をされましたが、10秒後。
『あぁー、なんや。金髪ちゃうからわからんかったわ』と…
アラフォーになって金髪ロン毛なわけないやろっ
ちょっと話して、1人でふらっと元食堂へ行くと
ばったり会ったのは、逆井宏先生でした。
逆井宏先生と言えば、みなさんもご存知の
公衆電話ボックス(愛称:丹頂ボックス)、
キッコーマン卓上醤油瓶、
ヤマハオートバイYA-1型(SRX)、
その他、ヤマハピアノやエレクトーン等・・・
日本の有名な品物のデザインを手がけておられる巨匠です。
そんなデザイン界の巨匠が、私を見て
『おぉー、久しぶりだねぇ』 と覚えていてくれたのです。
逆井宏先生はプロダクトデザインで私はインテリアデザインで
先生の生徒でもなかったのですが、学費の元を取ろうと
色んな授業にこそこそ出席していたのですが、
それにしても、そんな出来事は約20年前の話ですよ。
(3,4年生になると全く別の部屋だったので)
覚えて頂いてて光栄でした
さて、ホームカミングデーという名のOB交流会の時間も
近づいてきたので、ぼちぼちと会場に行きましたが、
1991年卒業の1期生~2010年卒業の20期生が
集まっていたのですが知らない顔ぶればかり。
そりゃ、同期だけでも全員知らないのに、
20年分が一同に集まったって全然わからん・・・。
間もなく、学長の挨拶とともに会は始まり
フリータイムとなりました。
こういう状況も考えていたので、交流会用の名刺を持参し
先輩後輩の人脈を作ることに専念しようと試みました。
まず初めて名刺交換したのは、一級建築士のS家さん。
少し話したところで1人の女性が横から入ってきましたが、
この方はS家さんの奥さんで同級生だったとのこと。
S家さんは口数の少ない方でしたが、その奥さんは気さくで
『さっき友達と、あこにイケメンおるなぁーって言ってたんやで』と
ありがたいお言葉を頂きました
(笑)
ちなみに、この夫婦は1期生の方でした。
それから知らない人に数人声をかけて名刺交換をしていると
また1人の女性が声をかけてくれました。
『あれっ? おのぴーやん』
その懐かしい声の主は、現在でも毎年年賀状を頂いてる
かわごえゆきこさんでした。(通称ゴエちゃん)
ゴエちゃんは1つ年下で、イラストレーターとして活躍中。
モンゴルが大好きで、約2年間向こうで放牧民と生活してました。
こんな書籍も出版されています。
そして、来年のカレンダーももらいました。
ゴエちゃんと立ち話をしていると、
まぁ、次々に懐かしい面々が登場しました。
『きゃーーー、おのぴー、金髪ちゃうやーーーん。』 とか
『何か、めっちゃ若返ってない~?』 とか・・・
みんな後輩ですが、そんな感じのノリです。(笑)
後半になって、飛び入り参加していた
同期のO矢とトーシャ(2人とも社長)に会い話できました。
こんなにたくさんいる中で、同期は3人だけか・・・。
イベントは閉会し、現役生徒の展示作品を
見学してまわりましたが・・・
はぁ~っ。
小学生の作品みたいなレベルだよ。。。
学祭自体も高校の学祭みたいにこじんまりしていて
なんだか芸大の『おもろい』雰囲気がなくなりましたね。
それもまた時代でしょうか。
でも、大学から見える夜景は相変わらずキレイでした。
帰りはおなかも減ったので、ゴエちゃんと、キーランの
3人で大阪のモンゴル料理屋さんに行きました。
(※キーランも1つ年下で、私のことは知ってて
くれてましたが、私は全然知りませんでした・・・失礼)
モンゴル料理は初めてで興味深々
モンゴルの肉まんやチーズ焼き、ちぎりうどんや
ミルクティーをオーダーしました。
羊の肉も柔らかく、食感は食べやすいのですが、
どれも岩塩の味が濃くて、のどが渇きました…。
ミルクティーも岩塩入りですよー

ゴエちゃんと、キーランはモンゴルに行ってたので
『懐かしいなぁー』 とご満悦の様子でしたが、
私は、あんまりご満悦な味ではなかったです(笑)
でも、貴重な体験をさせてもらって良かったです。
来年あたり、私の同期前後も含めて
同窓会を企画しようかなぁーと思いました
天国のリリーちゃん
今週の16日の夜中、私が好きなタレントの
松井絵里奈さんの愛犬ぽんちゃんが
天国へと旅立ちました。
絵里奈さんが小学生の頃から過ごしてきたし、
家族の誰かが亡くなるという経験を初めてしたので
体の力が抜けてとめどない涙が流れたとのこと
でも人生ならぬ犬生を全うしたようなので
寂しい気持ちもありますが、それがやがて
感謝の気持ちに変化したようです。
温かく賑やかな松井家で育ててもらって幸せな
生涯だったと思います。
実は、私も22歳の頃に同じ経験をしました。
愛犬の名は、リリーちゃん。
ブラックコリーの女の子です
私が10歳の冬、雪がちらつく日に
車の後部座席に乗って我が家にやってきました。
リリーが来るまで、ペットは飼ったことがなく
しいて言うと、川や田んぼで捕まえてきた
フナ、金魚、ナマズ、泥鰌、ザリガニといった
野生の魚類ばかりでした。
もう黒くてロコロコしたちっちゃい体で
はしゃぎまくっては、私や弟や妹の服に
穴を開けてしまうヤンチャ振り
でも遊び疲れると、ストーブの部屋にある
私の学習机の上で丸くなって寝てました
やがて、月日は経ち、
ロコロコしたちっちゃい体はあっという間に
小学生の私と変わらないくらいになりました。
全然女の子らしくないヤンチャ振りは変わらず、
散歩の途中で、怪力でリードを引っ張っては
逃げて、近所の畑を走り回ってしまい
私は畑に来ていたおばちゃんに怒鳴られて、
落ち込んで帰ってきた私に理由を聞いた
オカンが、そのおばちゃんに怒鳴り込み行ったことを
今でも鮮明に覚えています。
オトンは自営業だったので、リリーの餌や
排泄物の処理は主にしていましたが、
それ以上、かわいがったりはしてませんでした。
オカンは 『リリーちゃん可愛いなぁー』とは
言うものの、恐いだの汚いだのと言って
撫でてやることもしませんでした。
弟も妹も、リリーには無関心でした。
私は両親とコミュニケーションはとる方なので
だいたい何でも報告はしていましたが、
狂ったような教育ママさんでしたので、
恋愛話なんてのは高校生になってもタブーでした。
そんな中、誰にも相談できないことなんかは、
リリーと散歩しながら、話しかけたりしてました
リリーはパワフルなじゃじゃ馬だったので、
私もよく悪戯してました。
しかし、私が20歳を過ぎた頃から、
急におとなしくなり、毛並みのフサフサ感もなくなり
散歩の途中にちょっと悪戯したら田んぼにはまって
自力ではでられないくらいに衰えていました。
慌てて救出し、リリーに謝りましたが、
もしかして、もう亡くなる日も遠くないなぁ…
と思うと切なくなったものです
それから、私が大学4回生になり、
11月2日に帰宅した夜、
リリーの様子は変でした。
苦しそうというより、もうヨボヨボで
体にもそんな力は残っていませんでした。
横たわったまま立つこともできないので
水を持ってきたりもしましたが飲みません。
死を覚悟した私は、ただ静かに何度も
何度も『ありがとうな』と撫でてあげました。
そして、深夜、
リリーは静かに天国へと旅立ちました
翌朝、リリーの死に対面した我家族…。
私 『やっぱりそうやったか・・・』
オトン 『ほな、リリーを堤防に埋めに行こか』
私 『えっ?! 12年間一緒にいたのに嫌や!!』
オカン 『じゃあ、どないすんのん』
私 『ちゃんとお葬式したげようや』
両親は何でペットで葬式やねん…と不服ながらも
ペットの葬式業者に電話をしてくれました。
※もう20年以上前の奈良の田舎感覚なので、
納得のいかない両親もわかるのですが…。
葬式業者が来て、お経を唱えている途中、
近くの畑のおっちゃんが通りすがりました。
おっちゃん 『どないしたん?』
オトン 『ウチの犬が亡くなったんですわ』
おっちゃん 『そうか。んで何してんのー』
オカン 『いやぁ、葬式ごっこですわ(笑)』
おっちゃん 『犬で葬式かぁー』
その瞬間、オカンを怒鳴ったろかと思いましたが、
顔の表情を見ると、田舎のおっちゃんへの
照れ隠しのようにも見えました
私はリリーの手首に小さな数珠を通してあげて
手を合わすと、ダンボールでできた棺おけの
蓋は閉じられて、運ばれていきました。
当時の私の心境は、前夜に覚悟していたせいもあり
ただ、ぽぉ~っと何かがなくなったというような
感じでしたが、
その後、両親が買い物に出掛けたので
自分の部屋に戻り、リリーの写真や血統書を
整理していると、自分でも信じられないくらい
声をあげて泣いていました
でも、これで良かったと思いました。
就職するために実家を出て一人暮らしすることが
決定していたので、もし就職した後に亡くなったら
死に目にも会えなかったし、
オトンに堤防に埋められていただろうし…。
初七日。
私と両親の3人でお寺に行きました。
法要が終わって、お坊さんが私に声をかけました。
『おにいさん(私のこと)が来てくれてリリーちゃんは
大変喜んでいましたよ。』 と。
当時は、霊とか全く信じていなかったのですが、
私は驚きと同時に嬉しかったです
そんなリリーとのお別れから、
来月、11月3日(文化の日)で、丸17年です。
月日が経つのは早いですが、
リリーと過ごした12年に感謝しています
ありがとうな。リリー
もっとキレイな時にいっぱい写真を撮って
あげたかったなぁ~
ブログやインターネットはおろか、
デジカメや携帯電話すらなかった時代だからね
今日、部屋の中で写真を探してみたら、
リリーは年老いてるうえに、柵の中。
しかも、大学時代の私は・・・
パツキンですわ。。。
(庭の一部で放し飼いしていたので)
こんな写真しかありませんでした
何や、この毛ーはー。
どっちも、コリーか(笑)

















