私が施術の道に入った時、施術と心理について学びました。

私は2つ大好きな話があり、これが私の施術のベースにある考え方なので紹介させて頂きます。


まず1つ目は、『レインメーカー』 ユング(スイスの精神科医・心理学者)

干ばつの続く村にレインメーカー=雨乞い師である老人が呼ばれました。

老人は静かな小屋を要求しそこに三日籠ったら四日目には猛吹雪になりました。

村人が老人に尋ねたところ、

「私はものごとが秩序のなかにおさまっている、よその土地から来た。ここでは、ものごとが秩序からはずれ、本来あるべき自然のあり方になっていない。つまり、この土地はタオからはずれている。

今こうしてこの村に来たことで、私自身もものごとの自然な秩序からはずれてしまった。

だから私は、自分がタオの中に戻るまで、三日間待たねばならなかった。

すると、おのずから雨がきた」


「タオ」=「道」

道(どう・タオ・Tao・みち)とは、中国哲学上の用語の一つ。人や物が通るべきところであり、宇宙自然の普遍的法則や根元的実在、道徳的な規範、美や真実の根元などを広く意味する言葉である。道家や儒家によって説かれた。※Wikipediaより


これは、自分自身が自然のあるべき状態でいることの大切さを教えてくれています。

自分をタオに戻す事を意識すると変化は周りに起きてきます。

自分自身の佇まい、存在、場を整えることなどが周囲に変化を起こしていきます。

目の前の問題を解決しようとするのではなく、まず自分自身を整えることで目の前の問題が解決していくということです。


これを施術に置き換えると、お客様を何とかしようとするよりもまず自分自身を整えることが大切ということです。

茶道はお点前の工程そのものが自分自身を清め整えていき、それが客のおもてなしになるのです。

ゆいまーるの施術も、それそのものが自分自身を清め整えていき、それがお客様を整えていくものとなるという考え方の元続けています。



2つ目は、『ミルウォーキーのアフリカスミレの女王』 

ミルトン・エリクソン(精神科医・心理学者)

ある鬱状態の女性の事を相談されて、エリクソンは女性のお宅に伺いました。

エリクソンは3つの事に着目しました。

その女性は

①鬱で孤独であること。

②信仰心が熱く教会に通っていること。

③大変繊細な植物であるアフリカスミレを育てていること。

エリクソンは女性にアフリカスミレを大量に育てて、教会関係の家族の子供が生まれた時、洗礼を受けた時、病気になった時、婚約する時、結婚する時、バザーの時、不幸があった時にアフリカスミレを贈って欲しいと伝えました。

女性は大量のアフリカスミレを育てるのに忙しく、鬱になる暇もなかったのです。

そして女性が70代でなくなった時、教会には何百人もの人が参列し、女性は「ミルウォーキーのアフリカスミレの女王」という称号で呼ばれました。


これは解決志向のお話で、鬱を治すことよりも、女性の強みを活かすことで結果的に鬱ではなくなってしまったというお話です。

問題そのものを解決しようとするのを「問題志向」と言うのに対し、

問題を問題視して何とかしようとせず、強みに着目しそちらを活かす方法です。


問題が解決したからと言って幸せになるとは限らないのです。

問題を持ったまま強みを活かす事で幸せになり問題が問題でなくなり解決するのです。


これを施術に置き換えると、痛い部分を直接ほぐして良くしようとするのが問題志向です。

痛い部分=動かしたくない部分と見なし、痛みの部分はそのままにして、動く部分からほぐしていくのが解決志向です。

確かに痛みが治まることで痛みからは解放されますが、マイナスからゼロになるだけで、すでにゼロの部分がプラスになっていく訳ではないです。

スポーツ選手のケガを見ても、ケガの部分を良くすることだけではなく、今まで使えていなかった本来活かすべき部分を使うことで、ケガをする前よりもより高度な動きが出来るようになるように思います。

ただし、やはり痛みは辛いものですし、問題志向も解決志向もどちらも大切です。


ちなみに、普段人の役に立つために頑張ってきた方がケガや病気をした場合、早く良くなるようにすることも大切ですが、人の世話になることが大切だったりします。

ケガや病気をした自分、他人に迷惑をかける自分を責めるのではなく、「助けてもらえる存在」という事を体験する時がきていると解釈してみてください。


このようにセルフケアのアドバイスのみならず、心理的なアドバイスもしています。