先日の出張施術。 施術後にお点前頂戴しました。 この日の掛軸は『本来無一物』という禅語。 大徳寺聚光院の住職の書です。 意味を検索していたら分かりやすいものが。 ~~~ ~~~ ~~~ 昔の中国で、禅の先生が弟子たちに、それぞれの悟りの境地を書いて張り出すようにと命じました。 最上席の兄弟子の答案は次の通りです。 ①吾が身は「悟り」が宿る樹 ②心は「悟り」を映す鏡台 ③塵埃(煩悩)が少しでも付かぬように ④怠らずに拭わなければならぬ。 末席の弟子であった慧能は、これと正反対の答案を出しました。つぎの通りです。 ①悟りが宿る「樹」という実体は無い ②悟りを映す「鏡」という実体も無い ③もともと何も無いのだから(「本来無一物」) ④塵埃が付くことも無い 上席の弟子の答案は性悪説です。 慧能は性善説です。 数学の試験のようにどちらかが正解、他は誤答といいうものではありませんが、禅の考え方としては慧能が良いとされました。 ~~~ ~~~ ~~~ 確かにどちらが正解という事はないですが、私個人としては前提を性善説にしておきたいと思いました。 でないと、常に自分を磨き続けなければならないと自分を追い詰めてしまうし、磨かない事に対して罪悪感が生まれるから。 禅語って深い。 #茶道#禅語#本来無一物#性善説#thewayoftea

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