ちなみに、まちづくリひろしま(第34号)」の巻頭文章はこちら↓↓
いただいたお題をもとにいろいろ考えた末、“まちとアート”というタイトルで、文字数に悩まされつつ書きあげました笑
□ 巻頭言
まちとアート アーティスト 石原悠一
「まち」は、専門性を持った多くの人々の分業が入り組み、重なり合い成り立っている。人々が暮らす行為の集合体が、一連の脈絡を持って相互作用し合うことで、ある種の多細胞生物のような様相を呈しているのだと思う。
私は2014 年からカンボジアでアートとサッカーを通した交流を続けている。現在、首都のプノンペンは高層ビルの建築ラッシュ。大規模な土地の造成が行われ、都市開発が急速に進んでいる。某日本製高級車が多く走り、バイクもピカピカなものが多い。子ども達と“Happiness”
というテーマで絵を描くと、一眼カメラやスポーツカーなどの最新のモノを描く子どもも増えてきた。
カンボジアは、2004 年から2007 年までの4年間、GDP 成長率10%を超える高い経済成長を記録。2011 年以降は約7%である。タイの約3%やシンガポールの約2%、日本の1%前後を考えると、やはり高い値だ。さらに、内戦の影響もあり、人口は30 歳未満が60%、40 歳未満であると75%(2015 年推計)を占めている。若年労働力が充実している国なのである。(出典:IMFWorld Economic Outlook Database)
これらにより日本の外務省ホームページには、カンボジアは“堅調な縫製品等の輸出品、建設業、サービス業及び海外直接投資の順調な増加により、今後も安定した経済成長が見込まれている。”と書いてある。ただ、高層ビルの建築途中で企業が撤退し放置されていたり、郊外にはまだ広大な大地が広がっているため古い建築を取り壊さず、すぐ横に新しいものを建てていたりしている場所もある。経済的自由主義の流れで、いずれそこもどこかの誰かによって再開発されるのだろうか。貧富の差は広がり、消費に走る生活様式が影を落とす。ちなみに、近年バイクがピカピカなのは、高圧洗浄機でバイクを洗う商売が路地裏などに登場したからである。人々はきれいに掃除されたバイクが走っているのを見て、公共に対する意識が刺激されたはずである。新たな価値観の広がりと、バイクを洗えば稼げると知った人との相乗効果によって、急速に都市を走るバイクがきれいになっていた。凄まじい速度で経済発展することで、急速なミーム(情報伝達における単位)の変化が起こっているのである。
広島では、ここ何年も跡地開発についてスポーツ競技場や商業施設、医療施設、広場などの大型建築を中心に議論し、そのようにマスメディアも市民に伝えてきた。郊外型大型商業施設や競技場などでの経済活動は、限られた時間内にとても大勢が集まり強力に行われる。そのため、経済効果としては満足しやすいのかもしれない。オルテガ・イ・ガセット*1の“充満の事実”である。
しかし、“多様性”がキーワードとして挙げられることの多い昨今において、経済性を考えつつも都市の多様性を求めるときには、やはりジェイン・ジェイコブズ*2の言う混合一次用途の必要性等々の考え方が重要なのではないかと思う。都市開発のダイナミックな変化は、創出と利用のバランスにより、安定したものとなる。これには、市民のフォロワーシップも欠かせない。
では、社会の中における広義でのアーティストという存在はどのような役割を担うのか。
私はそれこそが、多様な価値観の緩やかな共存に関わるものだと思っている。アーティストは多少の違いはあれ、社会に存在する様々なファクターを対象に、分解、濾過、再構築などを繰り返して身体性と精神性を行き来しながら熟考し、言語を含めたいろいろな方法で美しさを求
めた表現をする。
そしてそれにふれる人々は、その多様なアート(表現物)によって感性を磨き、視野を広げ、結果的に多様な価値観を建設的に受けとめ合うきっかけを得ているのではないだろうか。社会のバランスに目を向け、市民のフォロワーシップを促すためにも、アートの力は有効だと私は思う。アートが街中にあるということは、単に景観美のためだけではないのである。
*1.ホセ・オルテガ・イ・ガセット:1883-1995。スペインの哲学者。“生・理性”“歴史理性”の体系化を進めた。著書には「大衆の反逆」「人と人々」「ドン・キホーテに関する思索」などがある。
*2.ジェイン・ジェイコブズ:1916-2006 年。アメリカ合衆国ペンシルベニア州生まれ。都市活動家、都市研究家、作家。「都市の原理」「都市の経済学-発展と衰退のダイナミクス」「アメリカ大都市の死と生」など著書多数。