『ノドモトスギレバ、』
三陸新報社に提供いただいた号外等の新聞とパネル、中国新聞社の新聞、
3部屋に表現した映像と花による3つの作品。
本日搬出を終え、無事に終了いたしました。
ご来場くださった皆さん、本当にありがとうございます。
今回、三日間で163人の方が来場されました。
決して多かったとは言えませんが、ほとんどの方の滞在時間が30分以上であり、
中には2時間近くかけて資料の一つ一つに目を通されている方もおられました。
ご来場頂いた方とは、出来る限りおひとりおひとりと話をさせていただきました。
気仙沼にある「三陸新報社」は輪転機が使えなくなたため、車のバッテリーとプリンタを繋ぎA4で印刷した号外を12日に配布されました。
自身が危険な環境であってもなお情報を伝える。
ジャーナリストとしてのプロ意識、社会的役割への誇りのようなものを感じます。
また、各社の新聞を比較すると、新聞社による情報の差も見て取れます。
震災のみが重要だというわけではありません。
いまだからこそ、
あのとき自分は何を感じたのか、
あのとき自分は何をしたのか、
あのとき政治はどう動いたのか、
あれから何が変わり、何を残そうとしているのか、
客観的に総括してみることが重要なのではないかと思います。
あのとき僕の大切なひとがあそこにいたのです。
そして、友人のなかに広島県内に避難・移住された方々がいるのです。
おそらく、人にはそれぞれ大切な日や忘れられない日があるのでしょう。
僕にとって、「あの日」をきっかけ始まった一連の出来事がそのひとつだといえます。
日々、SNSの画面には出来事が流れ、思い出になる間もなく情報が消えていきます。
時代の流れだと有り体な表現をすればそれまでなのでしょうが、
きっとそのなかにも、忘れてはいけないものがあるのだろうと思います。
あの日のことは、三年過ぎた今でも僕には重要なのです。
今を大切に生きるという事は、
過去から学び、未来を描くということなのだと思います。
各々の心に包んだ大切な日を、
推し移る毎日を、
これからも大切にできることを願っています。
石原 悠一