牧野家は基本的に仲が良かった。
父や母とはフランクに恋バナなんかもし、
友人が我が家に遊びにきては、みんなで遊んだ。
兄弟のいない私にとって、母は姉のような存在でもあった。
そんな中、母を一度だけ泣かせてしまったことがある。
それは中学1年、1学期の通信簿をもらった時だ。
結論から言うと…
とんでもなく成績が悪かったのだ。
ショックを受けた母は
「ママはこんなおバカな子は産んでない!!
なんで?どうしてこんなことになっちゃってるの?!」とおいおい泣き始めた。
母よ。
泣きたいのは私もだ。
ここまでおバカな子に育つ予定はなかった。
確かに、こんなショッキングな通信簿は初めてみた。
「1.2.1.2...」と数字が見事に並んでいる。
貰ったときこそ息を吸うことも忘れるようなショックを受けたが、
ずーーっと見つめていると、【通信簿】という誰もが楽しみにしている3ヶ月に一度の一大カーニバルで、数学ちゃんや国語さん、社会さんや理科ちゃんが「1.2.1.2...!」と元気に堂々と行進しているかのように思えてくる。
もはや愛らしささえ感じるのだ!
いいじゃないか!元気に行進!
レッツパーリィー!!イエーーーーーーイ!!!
……
思考が地獄の空間に引き戻される…
相変わらず母は泣いている。
なんなら怒りの度合いは増してきている…
あーあ。
父まで出てきた。こんな絶妙なタイミングで来るなよ。。
父は苦笑いでため息一つ。
家族会議になった。
議題は…
今までこんな地獄のカーニバルに招待された事がなかった私が、なぜこのタイミングで招かれたのか。
もとい、なぜこんなに成績が悪かったのか。
私は小学6年の5月にそれまで住んでいた場所から3キロほど離れた場所に引越しをした。
普通であれば学区も違うので転校になるのだが、
卒業前の一年間で転校はかわいそうだと、両親はバスを使っての越境通学をさせてくれた。
そうして守られた小学校生活は伸び伸びと、ひたすら楽しく、たくさんの思い出が出来た。
春になって進学した学区内の中学校は、公立ではあるが有名校への合格率も高く、高校受験には力を入れている学校だった。
地域一帯の学力向上意識が高く、小学校から進学塾に通信教育にと勉強をしまくっていたらしい。
入学早々に行われた実力テスト。
「学力テスト」ではなく「実力テスト」なわけだから、勉強せず真っさらな状態で受けないと逆に失礼なんじゃなかろうかと考え、スッカラカンの実力で受けた。
結果は…。お察しください。
中間テスト。
同じ轍は踏まないぜ!と勉強するも、
勉強という習慣がない人間は、勉強の仕方がわからないのだ。
「どんな勉強の仕方しているの?」と成績優秀な友人に聞くも、「そんなしてないんだよ。私もやばくて。」とお決まりの台詞。
当時の私はその友人の言葉を素直に受け取り、焦っているのは私だけではないと、安心した…のもつかの間。
謙遜の意味を知る。
結果…。お察しください。
期末テスト。
悲しくなって来るので割愛します。
結果…180人中、、下から3番目。
そう。私が小学校でホイホイと遊んであっぱらぱーな思い出を作っている間、彼女たちはコツコツと小学校で勉強の仕方をマスターし、地域の塾にこぞって通っては学力を向上させていたのだ。
完全にアリとキリギリス状態。
話は家族会議に戻る。
敗因が次々と挙げられ、
※週に3日、5時間塾に行くこと。
※試験前は試験対策で塾の授業を増やすこと。
※ただし、ピアノのレッスン、練習は減らすことは許しません。
※死にものぐるいで勉強しろ。
※3年2学期までに成績上位30番以内には入ること。
※その代わり中学3年の3学期期末テストは全く勉強しないで受けて良し。
というような約束事が出来た。
母の涙は私の中学生活を恐ろしい程に充実させた。
試験前には夜中2時に起床し、朝勉強をするという習慣も作られ、約束は全て守った。
中学3年3学期期末
音大付属の受験も終わり、進学が決まった私は約束通り何にも勉強することなくテストを受けた。
…のだが、音楽のテストが75点だったのに対し、
怒りに震えた人間がいた。
父だ。
「音楽やってる人間が中途半端な点数とるな!!」
えーーーーーー。
やると決めたらトコトンやり切る。
中途半端な事はやらない!
今でも大事にしているモットーは
こんなところから生まれたのかもしれない。
新しい生活を始められた皆様。
諦めなければ出来る事は沢山あるようです。
一緒に頑張りましょう!!