こんばんは、唯です。

 

朝起きた瞬間から、
なんとなく胸が重い日がありました。

 

 

ちゃんと寝たはずなのに、
体の奥に薄い疲れが残っている。

 

そんな日が、少しずつ増えていました。

 

 

季節の変わり目だからかな。
年齢のせいかな。
ちゃんと休めていないのかな。

 

 

そう思って、
お茶を丁寧に淹れてみたり、ヨガをしてみたり、
早めに布団に入ってみたりもしました。

もちろん、それで少し楽になる日もあります。

 

 

温かい飲み物を飲めば、ほっとする。
早く眠れた翌日は、少し体が軽い。

 

 

でも、しばらくするとまた、
同じところに戻ってしまうのです。

 

 

今朝は調子いいかも。
そう思っても、スマホを開いた瞬間、胸がざわつく。

 

 

誰かの楽しそうな投稿。
前向きな言葉。

軽やかに仕事を進めているように見える人たち。

 

 

本当なら、ただ眺めて終わればいいはずなのに、
どこかで胸がきゅっと縮んでいました。

 

 

「私も、もっとちゃんと発信しなきゃ」
「もっと明るく見せた方がいいのかな」
「このままじゃ、また置いていかれるかもしれない」

 

 

スマホを閉じても、頭の中だけが休まらない。

 

 

それはSNSだけではありませんでした。

 

 

頼まれごとをされると、断れない。
本当は少ししんどくても、「大丈夫ですよ」と言ってしまう。

 


誰かの機嫌が悪いと、自分が何かしたのかもしれないと考えてしまう。

 

 

発信でも、人間関係でも、家の中でも。

 


気づけば私はずっと、


「感じのいい私」でいようとしていました。

 

 

 

  休めば戻ると思っていました

 

その頃の私は、疲れている理由を、

 

体力のなさや年齢のせいにしていました。

 

 

でも本当に疲れていたのは、

 

体だけではなかったのだと思います。

 

 

誰かに嫌われないように笑って、


頼まれごとを断れず、


発信でも「明るくて前向きな私」を続けていたこと。

 

 

そこに、一番エネルギーを使っていたのです。

 

 

  「優しい人」でいるほど、なぜか消耗していく

 

人に優しくしているはずなのに、
なぜか自分だけが疲れていく。

 

 

気を遣っているはずなのに、
なぜか大切にされている感覚が薄くなっていく。

 

 

繊細さは、本来とても大切な力です。

 


でも外側に向け続けると、
自分を守る力ではなく、自分をすり減らす力になってしまう。

 

 

そのことに、私はずいぶん後になって気づきました。

 

 

 

  疲れていたのは、「努力不足」ではありませんでした

 

その頃の私は、

自分に何かが足りないのだと思っていました。

 

 

もっと勉強しなきゃ。
もっと発信を整えなきゃ。
もっと明るくならなきゃ。
もっと人に好かれる言葉を使わなきゃ。

 

 

そうやって、足りないものを探していました。

 

でも、どれだけ足しても、なぜか楽にはならなかったのです。

 

 

むしろ、学べば学ぶほど、
「まだできていない私」が

目立って見えるようになりました。

 

 

あの頃の私に必要だったのは、
新しいノウハウを足すことではありませんでした。

 

もっと頑張ることでも
もっと明るく振る舞うことでもなく、

その手前に、ずっと見落としていたものがありました。

 

そこに気づくまで、


私は同じ疲れ方を何度も

繰り返していたのだと思います。

 

 

 

  「温度」という考え方に触れたとき

 

そんなとき、ある静かなアトリエで、
「温度」という考え方に出会いました。

 

 

チョコレートが温度によって、
艶や口どけを変えるように、
人の心にも、その人に合った温度がある。

 

 

正直、最初は少し不思議でした。

 

 

でも私は、その言葉に触れて初めて、


自分の疲れ方を


努力不足や弱さだけで片づけなくてもいいのかもしれない、


と思えました。

 

 

ここで私が説明しきるより、
必要な方には、
アトリエから届く手紙をそのまま

読んでもらった方が早い気がします。

 

 

もし今、
「私も少し強火で頑張りすぎていたのかもしれない」
と感じたら、静かな時間にこちらも受け取ってみてください。

 

 

 

  不調になる前に、自分の温度に気づく

 

それからの私は、
何かを大きく変えたわけではありません。

 

 

朝のルーティンを増やしたわけでも、
新しいノウハウを学び直したわけでも、
急に強い人間になれたわけでもありません。

 

 

ただ、アトリエの手紙を読んでから、
自分を見る場所が少しだけ変わりました。

 

 

スマホを開いて胸がざわついたとき。


誰かの言葉に、必要以上に反応してしまったとき。


頼まれごとを断れず、あとからひとりで重たくなったとき。

 

 

以前なら、すぐに自分を責めていました。

 

 

「私が気にしすぎなのかな」
「こんなことで疲れる私が弱いのかな」

 

 

でも、その手紙を読んでからは、
自分を責める前に、
ほんの少しだけ立ち止まれるようになりました。

 

 

それだけで、
人との距離感が少しずつ変わっていきました。

 

 

  無理に頑張らなくても、「お願いしたい」と言われるようになった

 

不思議だったのは、
自分をすり減らさないようになってからの方が、
人とのご縁が自然につながり始めたことです。

 

 

以前の私は、
もっと役に立たなきゃ、もっと良く見せなきゃと、
いつもどこかで気を張っていました。

 

 

でも、アトリエの手紙に触れてから、
発信するときの力の入り方が、

少しずつ変わっていきました。

 

 

無理に明るくしなくてもいい。
全部をきれいにまとめなくてもいい。
本当に感じたことを、落ち着いた温度で書けばいい。

 

 

すると少しずつ、
無理に売り込まなくても、
必要な人に言葉が届くようになっていきました。

 

 

その中で、
「唯さんにお願いしたいです」
と言っていただけることも、少しずつ増えていきました。

 

強く売り込んだわけではありません。


別人のように変わったわけでもありません。

 

 

ただ、自分をすり減らす優しさではなく、
自分を守りながら差し出せる優しさに、
少しずつ戻っていっただけなのだと思います。

 

 

 

  優しさは、使い方を間違えると自分を削ってしまう

 

優しいことは、悪いことではありません。

 

人の気持ちに気づけることも、
相手を思いやれることも、
本来はとても美しい力です。

 

 

ただ、その優しさを、
自分を後回しにするために使ってしまうと、
少しずつ心が削れていきます。

 

 

断れない。
顔色を見てしまう。
期待に応えようとしすぎる。
発信でも、嫌われないように振る舞ってしまう。

 

 

「優しい人」のまま、
気づかないうちに自分だけが我慢する関係に
入ってしまうことがあります。

 

 

そこから抜けるために必要なのは、
無理に強くなることではありませんでした。

 

 

 

 

  もし、今どこかに心当たりがあるなら

 

もし今、

 

「頑張っているのに、なぜかずっと苦しい」
「優しくしているのに、なぜか大切にされない」
「発信するたびに、人の目が気になって疲れてしまう」

 

そんな感覚があるなら。

 

 

それは、性格や努力不足のせいではないかもしれません。

 

自分を扱う温度を知らないまま、
ずっと強火で頑張ってきただけかもしれません。

 

 

私自身がそのことに気づくきっかけになったのは、
深夜のアトリエの主から届いた、5日間のお手紙でした。

 

 

私がこの記事で書けるのは、
あくまで私自身が気づいたことだけです。

 

 

でも本当は、
「どこで自分の温度を見失っているのか」は、
人によって少しずつ違うのだと思います。

 

 

人に合わせすぎる人もいれば、
流行に合わせすぎる人もいる。

 


家族の中で自分を後回しにしてきた人もいる。

 

 

だからこそ、
ひとつの記事で答えを急いで受け取るより、
静かな手紙として、少しずつ読んでいく方が、
私には合っていました。

 

 

その手紙には、


なぜ優しい人ほどすり減ってしまうのか、
どうすれば自分の温度を見失わずにいられるのかが、
もう少し静かに、順番に綴られています。

 

 

これは、もっと頑張るためのメールではありません。

 

「感じのいい私」でい続けて疲れてしまった人が、
自分をすり減らさずに、
必要な人と静かにつながっていくための、
最初の小さなレシピです。

 

 

何かを買う準備ができていなくても大丈夫です。


まずは、静かな時間に読むだけで受け取れるお手紙として届きます。

 

 

 

 

手紙と一緒に、
「心と体がすり減るときに共通していた、たったひとつの視点」
という小さなレポートも届きます。

 

 

お茶やヨガや早寝が悪かったわけではありません。
ただ、その前に見てあげるべき場所があった。

 

 

読み終えたあとに、
「私が悪かったわけじゃなかったのかもしれない」と、
少しでも肩の力が抜けたなら嬉しいです。