【食といのちの調理人】小石 倫子です

いよいよ高知県安芸郡への移住が見えてきました

荷造りも後もう少しというところで、何とも言えないハプニング





右足を負傷
傷口は、さほど大きくないのですが、傷の深さがあったようで、中で炎症を起こしてみるみるうちに腫れあがり、歩くのもやっと



結局のところ
病院で処置をしてもらったものの、移住までの日々の生活は、ほぼ安静にしていた方がいいとのことで
絶望的




いやはや、
なぜこのタイミングかと



思わず叫ばずにはいられない


ギリギリまで仕事に行くつもりだったにも関わらず、
結局のところ、このまま退職
来週には、大阪最後の友人達とのお別れ会や
Facebookでお知り合いさせて頂いたところにも泣く泣くお断り



でもここはタダでは起きない。関西のおばちゃん

嬉しい楽しいばかりの妄想から一転、こういう事態になれば、高知県安芸郡では、ほぼ一人で対応しなくてはいけない

近所は5軒。果たして助けを求められるのか





それでも行くんだなぁ
と言われているような
でも私は行くよ

もう未練はない

今こんな状況下だからこそ、また知識を得ることにした

なかなか興味深い

特に里山資本主義の文献の一部に、岡山県真庭市の和田氏の取り組みとオーストリアの国あげてのエネルギー源確保の取り組みが目を引いた

どちらもこの文献の発行される前から数十年前から取り組まれているからビックリ



今まで、私自身、物質経済資本主義にドップリハマって、ある意味何の疑念も、俯瞰もせずに、ただただ目先のことに囚われて来たことに、本当に我ながら、恥ずかしい


どこかで政府や行政の方針に陳腐さを感じながらも、
何も考えずに生きて来たことに本当に恥ずかしささえ覚える


オーストリアや岡山県真庭市の取り組みを拝見させて頂き、どちらも【林業】をキーワードに永続可能な仕組みを構築している。
そう自然は、いつの時代も永続可能な資源なのだ。
自然の摂理とは、常に全てのものに恩恵をもたらし続ける、ギブアンドギフ


まさに自然農と同じで、貪ることなく、一定の秩序を守る仕組みさえ作れば、人は自然と共存共栄しながら豊かに暮らせる。
文献の中の和田氏の言葉に
田舎の行政が補助金や県や国からもらうとき、
都市部にどう言うかと言うと
【うちの町はいい町だから、何かください】と言うのではなく、【うちの町はこんなに困っている】と言うのです。本心だったかどうかは別として、自分の町を蔑めることによって補助金をもらってくる。で、補助金で作るのは、都市部にあるものの二番煎じ、三番煎じばかり。これではいつまでたってもビリだと思いました。逆境の地、過疎の地に武器は無いかと探したとき、確かに何もない。でも何もないということは、逆になんでもやれる可能性があるんじゃないかと思ったのです。
ブラボーーーーーーー











私も多くの地域を視察して感じたことは、
多くの地域が完全に自分たちの町の肯定感の低さ
限界集落、高齢者率40%以上、一次産業の衰退、農耕放棄地、若年層の流出などなど。
それは一方方向の切り口でしかない。
何もない街によく来ようと思われましたね
と
日本人特有の謙遜心から言っているのか
はたまた本心なのか





そんなに嫌なら、違う土地に行きゃいいのに

あなた今も生きてますやん


ここで私とこうして会ってるんですから


と言ってやりたくなった


魅力を感じて、遠路はるばるやってきた人に言う言葉かよ

と思うことも多々
私もこんな文献に取り上げられることは、出来るのかとは思いますが、
山口県に始まり、奈良県、京都府、北海道に新潟県と
そのうち数県からは合格すら頂きながら、辞退した
だからこそ、
私も後には引けないのです
主人を置き去りにして
年老いた父親を納得させて行くのだから
小さいながらも、慎ましく、それでいて大いに自然と戯れて、楽しくやってみたいと
時に自然の猛威に触れるのかも知れません。
時に寂しく思うこともあるのかもしれないけど、
誰に気兼ねをすることもなく、
やっていけたらいいのかと

