私はプロの占い師としてお金を頂き始めて今年で16年目になりますが、静岡県浜松市で「結喜」(ゆうき)という名前を使って完全に独り立ちして鑑定し始めたのが2008年10月になります。
そうなんです。明日で「結喜さん」はついに10周年を迎えるのです。そして「結喜さん」がお客様から認められ、社会的にも受け入れられたのが2008年11月です。「結喜さん」として生きてきたこの10年間、プライベートでは毎日が波乱万丈で生きることがめちゃくちゃ大変だったのに、占いの仕事だけは本当に大好きすぎて「光陰矢の如し」状態です。(ちなみに来年は占い歴30周年記念になります。)
↓↓↓ 結喜/記念すべき2008年11月のお客様の声です。 ↓↓↓
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【2008年11月/お客様の声・占いの感想】
<N様>
今帰りました
結喜さん本当にありがとうございます
結喜さんがいてくれると、とても心強いです
これからも僕みたいに悩み・心に迷いのある人たちの見方でいてください。
明日ベーシックスタイルのカットのテストがあるんですが気合い入れて頑張ります
ご丁寧にメールくださって本当にありがとうございます。
<H様>
おはようございます。
きのうは長々と話してしまい申し訳ありませんでした。
次の方にも申し訳なかったです。先生に的確なアドバイスをいただき、今しなければいけないことがよく分かりました。気持ちも軽くなりました。本当にありがとうございました。
<S.T様>
結喜様
結喜さん、今日はありがとうございました。両足はとても、軽いです。まさかへびが絡まっているとは、夢にも思いませんでした。
主人に今日から一ヶ月間、お風呂にあら塩と清酒を入れて入ってもらう事を、話しました。詳しい話は、まだしてませんが。 本人は、「分かったよ。それで体が少しでも楽になればいいよね」って言っておりました。
静岡から沼津まで、帰ってくる間中ずっと、祈りの事や、主人にうらみや事などの念を送っている方々に対して、私になりに色々考えました。そして、彼らに感謝と愛の祈りのエネルギーを送り続けようと決めました。
私達夫婦は、主人が癌告知を受けるまで、バラバラの夫婦でした。とても冷めた夫婦でした。
でも、主人が倒れて初めて分かった事 、気付いた事が沢山ありました。
そして何よりも、癌のお蔭で家族が一段となって向き合えた事。
そんな事を思っていたら、相手の方々に対して、恨む気持ちよりも「私達家族に大切な事を気付かせてくれてありがとうございました」という気持ちの方が、大きかったのです。
結喜さんと出会えた事、とても嬉しいです。 これからもよろしくお願いします。
最後の最後まで、諦めずに頑張ります。また、会いたいです。
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アメブロは2010年から開始していますが、「結喜さん」としての活動は2008年からです。こうして改めてお客様からのメールを見ると、当時もお客様の気持ちに寄り添いながら鑑定出来ていたんだなぁと感無量です。
鑑定方針は今も昔もまったく変わりません。数年前にご来店いただいたお客様達から「数年前にも結喜さん、同じことを言っていましたよ。」とよく言われます。今も昔も自分なりの強い信念があるからこそ、何年経とううが一切方針がブレないんでしょうね。先日も3年ぶりに鑑定にお越しになってくださったお客様がいらっしゃいましたがとても満足していただけました。
方針は常に一貫性がありながらも、占い業界でも最高峰・トップクラスのお店を渡り歩いてきたので10年前と比べ物にならないくらいに技術・実力は上がっていると思います。我ながら、超頑張った!!!!
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2002年/占い師になった年。(息子0才)
2003年〜2005年/霊感商法詐欺を横行していた同業者に私自身も騙されていた。
後ろの棚にある商品は、当時お客様に売り付けろと指示された印鑑セット。
お店では姓名判断を使った開運印鑑商法やパワーストーン、開運グッズなど
鑑定の技術ではなく商品を売ることが目的だった。営業を拒否すると解雇されたが、
当時、このお店が「霊能者集団」や「カルト団体」との関わりを持っていたために、
洗脳・マインドコントロールされ正常な判断ができず私の家族に迷惑をかけていた。
「結喜さん」になる前までは、私の周りには人を騙してもまったく罪悪感もなく平気な顔をしながらお金さえ儲ければ良いというインチキ占い師や詐欺占い師、デタラメな占いをしてこんなん出ました的な鑑定でお客様から膨大なお金を巻き上げる守銭奴占い師、ことあるごとになんでも霊のせいして「水子の祟りだ」「先祖の祟りだ」と対策法も言わずにお客様の不安を煽る霊感占い師といった同業者が数多くいました。
そのような低レベルの環境の中にいると、だんだん自分も低レベルになっていきます。私は自分がその悪意のある同業者の人たちに洗脳・マインドコントロールされていることに気づかず、マトモな判断ができない状態で肉体的・精神的・金銭的な多くの被害を被りました。
例えば同じ占い会社の5人の占い師さんにお金を総額300万貸してそのうちの4人が自己破産して泣き寝入りしたり、印鑑商法や霊感商法・開運グッズにひっかかり総額100万近く損したりとかなり痛い目をみてきました。母や周りの友人からは「騙されているよ。」と言われても、まったく聞く耳をもちませんでした。むしろ、その人たちを避難する母や周りの友達に苛立ちを覚えていましたが自分が同業者の占い師にまんまと騙されて馬鹿にされていることに気づいたのは、そのひどい環境を離れたあとでした。
2005年/ようやく「霊能者」と「カルト集団」との関わりから離れ、
洗脳とマインドコントロールが解けて、徐々に自分を取り戻していった。
このようなことがあり占いが嫌いになり人間不振になりましたが、今ではそれはそれで必要な経験だったのだと思っています。なぜならこのような本当に嫌な経験をしたことで、私は「自分がされて嫌だったことは、絶対に人にしない。」という確固たる信念と基本理念ができたからです。(姓名判断は幼少期より10年以上やっておりましたが、開運印鑑商法のせいでトラウマになってしまいました。以降はご依頼がない限りは姓名判断はしておりません。)
2006年/静岡県浜松市に息子と共に引っ越し。(息子4才)
2007年/「結喜」という名前を使わず、
依頼があった時にだけ鑑定をしていました。
2008年/「結喜」として鑑定開始。
2012年/個人事業主として「結喜」(屋号)を開業。
2013年/静岡県浜松市から離れ、東京へ。
東京で本格的に一流のプロ達の仲間入りをし、第一線に出る。
静岡県浜松市への引っ越しを機に私は『結喜』を名乗って独立して鑑定をし始めました。するとたくさんの良い占い師仲間や同業者の方々とのご縁がどんどん増えて人脈が広がっていきました。結喜を名乗って以降、自分の実力と技術を磨くためにいろんな店舗を渡り歩きましたがご縁があったお店を辞めて以降もそのお店の鑑定師さんたちとは交流があり、同業者のみんなが店舗という枠を離れて結喜個人として付き合ってくれています。本当に本当に感謝しています。ありがとうございます。
《占いのアリーナ館》では、浜松市野店(静岡県)/川口店(埼玉県)/船橋店・津田沼店(千葉県)の皆さん。
《ミクセリア》では、横浜サロンや東戸塚(神奈川県)/渋谷サロン(東京都)/名古屋サロン(愛知県)の皆さん。
《占い館 ハートフル》では新大久保サロンの皆さん。
東京都では《原宿 占い館塔里木(タリム)》や《池袋 占い館セレーネ》の皆さん。
神奈川県では《横浜 中華街 占い館 愛理》の皆さん。
そしてアプリやコンテンツでお世話になっている《レンサ》の皆さま。Ameba電話占いでお世話になっている《占い館SATORI》の皆さま。個人的な繋がりでとてもお世話になっている各先生方。
そして何よりも2008年から私「結喜」を支え、応援してくださっているお客様の皆様方、そして誰よりもお世話になっているチャイルドCANさんの店長さんの波多野さんとそのご家族、CANさんのお客様、関係者の皆さま。
私はこの10年間で想像もできないくらいの多くの素晴らしいご縁をいただきました。引きこもりでニート状態だった私を救ってくれたのはたくさんのお客様や同業者のみなさんの支えがあったからです。
10年前から使っていた『結喜の名の通りにあなた様と共に、幸せと豊かさと喜びを結びあえますように。』という言葉が実現したのです。まさに「言霊」ですね!!!
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《追記》
この10年間で特にご縁があった県が、静岡県/東京都/神奈川県/埼玉県/千葉県/愛知県です。
「結喜さん」になってから10年の間に私は、
1回目・静岡県浜松市(南区)→2回目・静岡県浜松市(中区)→3回目・静岡県浜松市(中区)→4回目・静岡県浜松市(中区)→5回目・東京都世田谷区→6回目・九州(※47都道府県全国行脚)→7回目・神奈川県横浜市→8回目・東京都杉並区→9回目・静岡県浜松市(中区)に引っ越ししています。
・・・あれ?今更気づいたけど、ほぼ1年ごとに引っ越してない??うわー、私、完全に引っ越し魔だわ。今回で引っ越し15回目だけど、10年で9回も引っ越しするって・・・。良いのです!私はきっと移動するたびに運が上がるのです!!
それにしても家では「お母ちゃん」、外では「結喜さん」で10年過ごしているので本名忘れつつあります。