小さい頃を思い出すと、つくづく自分がおばあちゃん子だなぁと感じる。
うちの実家は、親父が長男、いわゆる本家ということになる。
おじいちゃん、おばあちゃんは我々と一緒に住んでいるわけではないが、
うちの一本裏通りのすぐ近くの家に住んでいた。
そこを私は”おばあちゃんち”と呼んでいた。
うちの家の脇から人が一人だけ通れる細い抜け道があり、
そこを抜けるとブロックを遠回りしなくてもすぐに行けた。
小さい頃は何かといえばおばあちゃんちで過ごすことが多かったと思う。
学校から帰り、友達と遊び終わった後の夕方の時間、
休みの日、特に夏休みなど長期の休みの間は、
かなり多くの時間をおばあちゃんちで過ごした。
理由は大きく2つくらいあると思う。
一つは、食べ物、テレビしとお小遣い。
おばあちゃんちには、いつもお菓子がおいてあった。
といってもせんべいとか渋めのお菓子がメインですが。
でも食いしん坊の私は何かとお菓子をほうばっていた。
ときには食事も。
うちのおじいちゃんは市場への仕入のために、
朝3時くらいに起きて出掛けている。
そのため夕飯は5時過ぎくらいから食べ始めていた。
夕方おばあちゃんちに行くと、そのご飯のおこぼれをもらえたのだ。
うちの夕飯は7時、8時だったので、空腹に絶えられない私は
ときに自分の夕飯が食べれなくなるくらい食べていた。
だいたいその時間のテレビは水戸黄門、大岡越前などの時代劇か、
(SBS夕方5時。これは静岡ローカルかもしれません)
大相撲の時間帯。
テレビのチャンネル権限は無論おじいちゃんにあったので、
変えるわけにはいかず、私もよく一緒に見たものだ。
おかげで相撲には多少詳しくなれた。
その他の時間は、おばあちゃんちにはケーブルテレビが
導入されていたので、(うちにはそんなものなかった)
よく衛星放送、MTV、ESPNなんかを見てた。
テレビにかじりついて見てたなぁ。
あとはお小遣いをもらってました。
当時のお小遣いは500円とか1000円とか。
当たり前といいえば当たり前な金額だけど、
駄菓子屋に何回かいけばなくなっちゃう金額。
子供ながらにお付き合いってやつがあったかは
定かではないがよくお小遣いが尽きてた。
そんなときに頼りになるのがおばあちゃん。
なんだかんだ就職するまでは援助してもらってたなぁ。
あと意外にハイカラなおばあちゃん。
MOSバーガーが好きで、よく私にお使いを頼んでくれた。
そのときは私は好きなハンバーガーを頼めるので
すごく楽しみにしてた。うまかったなぁ。
2つ目はの理由は寂しいからかな。
私は、兄、姉、兄、私という今時は珍しい4人兄弟の末っ子。
実家は自営で、祖父、父はもちろん、私が小学校に入ってからは、
母も仕事の手伝いに行くことが多くなった。
いきおい帰宅しても我が家には誰もいないことが多かったし、
場合によってはおばあちゃんちで夕飯を食べることも少なくなかった。
おばぁちゃんちにはだいたいおばあちゃんがいて、
何話したか覚えてないけど話をしたりしてた。
覚えてないけど楽しかったんだと思う。
孫の中でもかなり一緒にいた時間が長いんだろうな。
優しくていつも笑顔のおばあちゃん。
心にぽっかり穴が開いたような感じってこんな感じなんだろうなぁ。