国会の会期末を迎え、与野党の攻防が頂点に達しています。連日、深夜(未明)まで本会議が開催されています。この時期になると、対決法案をめぐり「審議が尽くされていない」との主張が必ず聞かれます。議論の時間を十分に取っていないのに、多数を占める与党が審議を打ち切り、強行に法案を可決させようとしていると。


 では、いつになったら審議は尽くされるのでしょうか。法案の中身に賛成できない議員は100時間議論しても、1000時間議論しても、「納得いかない。まだまだ議論しなければいけない」と言うかもしれません。憲法論議で言えば、自由民主党は1955年の結党以来、憲法改正に向け活動していますが、60年近くたっても「拙速な改正には反対だ。慎重な議論が求められる」との論説が紙面を飾ります。理屈で言えば、期限を切らずにずっと議論して、反対する方にも納得してもらうべきなのでしょうが、賛成派・反対派が折り合えない場合は永遠に結論が出ないことになります。民主主義のルールは議論をして決めることです。


 物事はいつかは結論を出す必要がある。しかし、反対する人にとってはどれだけ議論しても十分でない。つまり「審議が尽くされていない」との主張は「私はこの法案の中身に反対です」という意味なのだと思います。審議を1時間で打ち切るような極端な場合を除いては議論の時間が問題ではないのです。野党の立場から言えば「政府・与党が強行に決めた」ではなく、「政府・与党に我々の主張が受け入れらなかった」との説明がより正確です。


 もし本当に「審議が尽くされていない」ことが問題なのだとするならば、審議時間をたくさん取れるように汗を流している野党議員がどれだけいるでしょうか。審議時間を確保しようと思えば、方法はいくらでもあります。国会の前例に捕らわれず、曜日や時間帯に関係なく委員会を開いて議論してもいいはずです。土日や深夜も働いている人は社会には大勢います。


 しかし、野党の国会戦略では、開催日を柔軟に決められる特別委員会の設置を反対したり、委員会を開催するために必要な大臣を別の案件で拘束して委員会を開かせないようにしたりと、できるだけ審議を行わせないようにします。賛成する法案の審議を引き延ばし、反対する法案の審議時間が確保できないようにすることもあります。そして国会の会期末が近づくと、「議論は尽くされていない」と声を上げる。「政府・与党が乱暴な国会運営をして、自分たちは数の力に押し切られた」という“見せ場”をつくるために四苦八苦しているように見えます。


 なにも今の野党のことだけを言っているわけではありません。自民党が野党の時もたびたび審議を遅らせ、「拙速な議論だ。もっと審議時間を取れ」と叫んでいました。政権交代を経て、自民党、民主党が与党、野党どちらも経験しました。手続き論に終始することなく、互いが歩み寄れるよう最大限努力した上で、「最後は賛否を超えて結論を出す」という文化を根付かせていかなければなりません。


 決まった政策は国民にとって諸手を挙げて賛成できるものばかりではないでしょう。税金、法律、予算―――。数多あるテーマに関して、支持する政党や投票した議員にすべて賛同できるというほうが稀かもしれません。最終的には、参議院なら6年間、衆議院なら4年間の議員の投票行動、言動を見て、国民が次の選挙で審判を下すことになるのだと思います。そして政権交代した場合は、野党時代に反対した案件に与党としてどう対応するかが問われるのでしょう。私個人についても、1つ1つの判断には反対する方がいらしたとしても、トータルでは信頼してもらえるように自分の信じる道を進んでいこうと思います。