来年、私が住む町の中学校がなくなります。子どもの減少で近くの中学と合併します。私が通った小学校は去年、島の学校と一緒になり生徒数が増えましたが、いずれは1学年1クラスになるかもしれないとのことです。2005年からは国全体の人口が減少に転じ、地方からの人口流入に頼ってきた都市部も岐路に立たされています。このままでは日本が縮んでいってしまいます。地域に活力が溢れ、子どもが夢を持てる日本をつくらなければなりません。そのためには、今の中央集権的な国の仕組みを変え、地方分権を進める必要があると思っています。

 
政府の仕事は森羅万象にかかわり、幅広い。ですが、少子高齢化が進む日本では財源は枯渇していて、何でもかんでもはできません。少ないお金で、効率的に、ニーズにあった政策が求められます。現在、政策のほとんどは東京のど真ん中で練られ、全国津々浦々に降りてきます。では、東京で「政治主導」で決められた政策は我々の方を向いてくれているでしょうか。働き口を見つけられず卒業と同時に故郷を離れざるを得なかった若者の気持ち。町から若者がいなくなり、地域の祭りの存続を危ぶむお年寄りの想い。本当に届いていますか。

 
国は予算という手段で政策を主導します。自治体は財政が厳しいから、補助金のもらえる事業を優先的にやる。結果どうなるでしょうか。例えるなら、こうです。寒さで凍え、仕方なく「霞が関洋品店」のサイズの合わない服を着ているうちに、体形まで変わって霞が関の服しか着られなくなる。気付けば周りもみんな同じ格好をしている……。こんな背筋が寒くなる事態に近づいてはいないでしょうか。自分たちで考え、挑戦する機会すら奪われかねない。民主主義は、有権者が自分たちの未来を選択できるものであるはずです。私は国と地方の間に立ち、国の仕事を切り分け、地方分権を一歩ずつ進めたい。それは国会議員でないとできない仕事です

 
歴史を紐解けば、中央集権的な体制になったのは明治以降のこと。江戸時代は各藩が競い、色とりどりの政治・文化が花開いていました。私の地元、佐賀県でもそうです。佐賀藩では成富兵庫茂安が治水事業を進め、コメの収穫を伸ばしました。唐津藩は大枚をはたいて18
歳の高橋是清を藩校の教師に迎え、優秀な人材を育てました。

 
翻って今の日本はどうでしょう。ダム事業は方針が二転三転し、住民は今なお国に翻弄されています。地方のためと言って、学校教員の給与について国負担分の一部を移譲しましたが、教育の自由度は変わりませんでした。民主党政権は地域主権が一丁目一番地と喧伝。一括交付金で特色あるまちづくりができる、と謳われました。ですが、いざ蓋を開けてみればいくつかの交付金を束ねただけ。使途も公共事業などに限定され、実質は補助金に過ぎません。

 
私は国と地方の役割を見直し、財源、権限、人を地方に移譲するのが基本だと考えます。自民党は与党時代に三位一体の改革で補助金を廃止し、税源移譲を進めました。方向性は正しかったと思います。ただ、一定の税源移譲はなされたものの、急激な地方交付税の削減で地方いじめに映ってしまいました。三位一体改革の轍を踏まないよう、裁量のある補助金から優先して移譲していく必要があります。その際、国の財政再建に悪用されないよう国が重点的に取り組むべき範囲と、地方が主体的に実施できる範囲を十分に議論することが重要です。大都市だけが潤い、地方が困窮するのを防ぐため、財源調整と財政保障の仕組みを整備することも不可欠です。

 
「国会議員を目指しているくせに、分権などとスケールの小さい話ばかりするな」とお叱りを受けたことがあります。しかし、私はこの指摘には賛同できません。国家的な大きな視野の政策を取り組むためにこそ、分権が不可欠だと思うからです。

 
鳥取県で記者をしていた頃、地元選出の石破茂衆議院議員(現、自民党幹事長)について、こういう意見をしばしば耳にしました。「石破さんは外交や安全保障もいいけど、鳥取のことをもっと語ってかぁさればええのに」と。現在はどうかは分かりませんが、少なくとも私が鳥取にいた5年前までは、鳥取県民が石破氏に求めていたのは外交防衛よりも地域振興だったと感じました。

 
片や、先の自民党総裁選で石破氏が党員票で過半数を占めたのは、外交や安全保障政策に期待していたからだと思います。自民党総裁に選ばれた安倍晋三氏への期待は、その国家観や憲法論などによるところが大きいのではないでしょうか。ところが、今の国政は仕事をあまりにも抱え過ぎているため、政治家の外交姿勢やマクロ経済政策、国家観、憲法論などを基準に投票している人は多くないと思います。選ばれた国会議員の中で、たまたま外交や教育論にも精通していた人に日本の未来を委ねているという状態になっているのではないでしょうか。国家としての役割を明確化し、日本の国家像を見つめ直すためにも、分権に取り組まなければなりません。

 
一方で、仮に私が国会議員になれば一年ほどでたちどころに分権が完成するのかと問われれば、そんなに簡単でないのも事実です。理想の国家の形に近付けるためには息の長い取り組みが求められます。では、今の中央集権的な国の仕組みの中で、地元の国会議員が統治機構の話や国家的な大きな課題ばかりに執心し、地域振興に目を向けなければどうなるでしょうか。国の予算は他の地域に流れ、その議員の地元だけが廃れていくということになりかねないのではないでしょうか。私はまずは佐賀県のことを最もよく知る人間として、佐賀県民の目となり、耳となって、佐賀の声を国政に反映していくことから始めたいと思います。