母と私 ② | 顎変形症手術後からの両顎再手術

顎変形症手術後からの両顎再手術

顎変形症の上下骨切からの
やっぱりフェイスラインは変わらず。。。
韓国で美容整形(再手術)を決意する

母はよく私に

「お母さんは世界一あなたを愛しているよ。
もしもあなたに何かあったらお母さんは
気が狂って生きていけない」

と。

私の出産時、母はとても大変でした。

私は逆子でしかもくの字型にお尻から出てきたそうです。

それを自然分娩で産み、命懸けだったそうです。

苦労して産んでくれた母を私も愛しています。

逆子だったせいもあり、私は臼骨形成不全という

先天性の病気を伴って生まれました。

簡単に言うと片足が脱臼した状態で生まれました。

それに気が付かず1歳近くになり皆歩き始める頃

私は立っては転び立っては転びを繰り返していたので

これはおかしい!と言う事で大きい病院で診てもらった

ところ、

脚が骨盤と繋がってません。脱臼しています。


そこから父と母は病院に泊まり込みで私の脚を

健常者と同じように治療してくれました。

そのお陰で走る事も踊ることも大好きな

ヒールを履くことも出来ています。

あの時治してくれなかったら私は33年間ずっと

ビッコを引いて歩いていたことでしょう。

2年前にまた股関節の手術をしました。

やはり骨の形成不全は変わらないので

また脚の付け根が痛くなってしまって…

将来子供がほしいなら手術した方が賢明と

お医者さんに言われました。

このままだと臨月の重さに耐えられません。と

子供が大好きなので手術を決意しました!

二ヶ月入院して車椅子で、20センチの傷が残りました。

母は自分を責めました。

私がちゃんと元気に産んであげればこんなに苦労も
大きな傷もつかなかったのに…
お母さんのせいでごめんね。

私はそんなこと1ミリも思ったことはありません!

これは自分の問題だからお母さんは関係ないよ!
むしろ私がちゃんと育たなくてごめんなさい。

私と母はお互い自責の念にかられながら生きています


脚を治してもらい、私はすくすくと育ちました。

そして私が4歳の頃、ある事情でとても貧乏でした。
(借金とかじゃないですよw)

父は朝から晩まで3つ仕事を掛け持ちして

睡眠時間は4時間ほどでした。

母も幼い私を預けて働きました。

昼間はラーメン屋さん。夜はビル清掃。

私は凄く寂しくてヤダヤダと駄々をこねました。

そんな私に母は

「お母さんがいっぱいお金稼いでゆっこちゃんに沢山美味しい物も可愛いピンクのお洋服も買ってあげるからね」

母は自分が食べられなくても私にはひもじい

思いをさせたくないと必死に働きました。

私の為にはジュースを買うけど自分の為には

買わないみたいな。

今でも私がコレ美味しいと言った物は毎日のように

買ってきます。

一時期メロンパンにはまってると言ったら

これ好きでしょ!と毎日毎日買ってきて

お陰でメロンパンが嫌いになりました(笑)

そんな愛情をこれでもかと

ねじ込んでくるんですあの人は。


その反面、私が自分の思い通りにいかないと

物凄い勢いで言葉の暴力を浴びせてきます。

お前は普通じゃない
なんでこんな子を産んでしまったのか
生まれてこなければ良かった
役立たず
恥ずかしい
あの子は立派なのにお前はなんで
見てるだけでイライラする


などなど

これらの事を浴びせられた時は酷く落ち込みます。

だけど、命懸けで産んで脚も治してくれた母に

爆発はできません。

そんな時は心の中で自分を殺すんです。

何度も何度も自殺するんです。

存在を無にして心の中で母にこれでいい?

私が死んだら幸せ?と問うのです。

それで一晩寝ます。

翌朝には何事も無かったかのようなニコやかな

母がそこにいます。


こうして存在を否定されて育ったので

だから私は自己肯定ができなんですかね…


だけど、母は
「私の産んだ子を世界一愛してる
お母さんはあなたがいないと生きていけない」

ちょっとでも連絡なしで帰りが遅いと
不在着信が10件以上入ることもあります。

最近思うんです。
DVをする人ってこんな感じなのかな?

一度スイッチが入ると思いっきり酷いことをしてしまう
が、

その反面、過剰な程の愛情を注ぐ。

こんな状態で育っても私はお母さんが大好きだし

もしも両親や妹が病気で臓器移植が必要となら

私は喜んで自分のを差し出します。

自分が死んだとしても家族には生きてほしいです。





母は私に依存し、私もまた母に洗脳されて

いるのでしょうか



つづく