母と私 ① | 顎変形症手術後からの両顎再手術

顎変形症手術後からの両顎再手術

顎変形症の上下骨切からの
やっぱりフェイスラインは変わらず。。。
韓国で美容整形(再手術)を決意する

なぜ母があの様な言葉を言ったのか皆さん

理解に苦しみますよね。

私と母の関係をお話ししたいと思います。

このブログは私の知り合いや友達は一切おりません。

なので話しやすいです。


どこからお話ししていいのか…

まず、母の生い立ちから。

母は10歳で実母(私の祖母にありますね)

を脳出血で亡くしてしまいました。

当時の事をよく話してくれるのですが

母と祖母が話していたら突然祖母の呂律が回らなくなり

次の瞬間、頭が痛い!!と倒れてそのまま

帰らない人となったらしいです。

その時の光景を今でも鮮明に覚えているらしいです。

こうして母は幼くして実母を失いました。

その後すぐに祖父は再婚しました。

お互い連れ子同士の再婚でした。

この義母が本当に意地悪な人だったみたいです。

昼ドラみたいにイジメられたらそうです。

鍵をかけられて家に入れてもらえなかったり

真冬なのに(しかも東北)冬用の靴を買ってもらえず

サンダルで歩いて凍傷になったり

殴られたり、、

それは酷かったみたいです。

祖父は義母に逆らえず見て見ぬふりだったそう。

そして15歳になった母は高校にも行かせてもらえませんでした。

元々勉強が好きじゃなかった母は勉強より

早く働いて家を出たかったので高校に必要性を

感じず働きました。

早く家を出たい一心で。

建築現場でレンガ?を運ぶアルバイトをしている時

上からレンガが落下して母の頭に直撃しました。

何針も縫ったそうで

「お母さんのここ毛が生えないのよ」

と髪の毛をかき分けて

見せてもらったことがあります。

こんな大怪我を負っても誰も心配してくれる人は

いなかったと母は当時のことを言います。

それから18歳になった母はデパートに就職して

売り子さんになりました。

美人だった母は表に出る売り子さんに抜擢されたそうで

そこで同じデパートに勤めていた父と出会いました。

母20歳。父23歳で結婚。

その2年後に私が誕生しました。

母は今でもよく私に

「お母さんがいるというのはとても幸せなことなんだよ。
お母さんがいない子は道端の雑草みたいに誰にも大切にされず、見向きもされず惨めな思いをするんだよ」

と言います。

母はとてもとても私を愛してくれました。

それは愛情と憎しみが紙一重のように。


私は小学生までよく母に殴られていました。

ビンタ、ホウキ、1番痛かったのは布団たたきです。

あれは凄く痛くて暫くくっきり痣が残りました。

母は短気で一度スイッチが入るととても情緒不安定でした。

17時のチャイムが鳴る前に帰らなかったら

一度家に入れてから裸足で外に放り投げられ

鍵をかけられました。

夜、父が帰ってきて一緒に入れてもらえました。

小学生3年生の頃にちょっとウソをつきました。

宿題をまだやってないのにTV見たさにやったよと。

それがバレて憤慨した母が

宿題のプリントをビリビリに破いてしまいました。

そのプリントを泣きながら父とセロテープで

くっつけて問題を解きました。

翌日、先生には小さかった妹がイタズラで

破いてしまいました。とウソをつきました。

お母さんを悪く思われたくなかったんです。

だって私はお母さんが大好きだったし

世界一愛しているから。



つづく