愛新覚羅氏後裔 ゆうはんの戯言
 
300年以上、満洲民族が統治した清朝(金朝、後金朝もふくむ)。枝分かれしながら、沢山の親族が世界各国にいます。
 
歴史的なことは、本やインターネットに掲載されていることだけが情報ではありません。
 
真実は、親族たちにしかわからないこともあります。インターネットだけの情報は氷山の一角にすぎません。
 
特に、日本では愛新覚羅といえば「ラストエンペラー」の愛新覚羅溥儀が大変有名ですね。そのため、この名前で公にでると「溥儀の子孫」や「ラストエンペラーの末裔?」「溥儀には子供がいないけれどなんで?」など、ラストエンペラーの映画しか見たことがないと、どうやら愛新覚羅=溥儀=その子供、とイメージされるようですが、溥儀にはそもそも子供はいません。
 
しかし、愛新覚羅一族・末裔と言われる方は世界中にたいへん多く存在しており、漢化後も姓名を変え、輩字でどこの流れの愛新覚羅の後裔かがわかるように名前に残しているので辿ることができます。
 
族譜やこういった漢化された流れは、、、
 
出典引用:民族生成の歴史人類学: 満洲・旗人・満族 著:劉正愛
 
このような資料などで辿ることができます。愛新覚羅氏が改革後に漢化(漢民族化)した際の戸籍上も漢姓のままでいる人が9割以上で、戸籍上「愛新覚羅」に姓を戻した人は1割以下です。この件については、過去にご質問がありましたので、愛新覚羅宗室の族譜や系図や情報を取りまとめている海青先生から色々と伺い「追記」しましたのでご参考まで龍 

愛新覚羅宗譜網を運営:愛新覚羅家の宗室族譜を掲載し、愛新覚羅氏や満洲族について世界的に見ても最も詳しく掲載しています→ http://www.axjlzp.com/
 
さて、わたくしの祖母方は愛新覚羅氏の末裔なのですが、家系図を正式に作るにあたり愛新覚羅宗譜網を運営されている海青先生には大変お世話になりました。これからお話することは海青先生から伺い教わったこと、わたくしが文献や現地取材から取材調査してきたことなどを皆様と共有できたらいいなと思っております。
 
まず「愛新覚羅」という姓を雅号や書家・画家名ではなく戸籍上名乗っている人が現代にもいらっしゃるのか?ということをよく聞かれるので、私なりにまとめてみました。
 
最初に知っていただきたいのは、全世界で満洲族は1000万人ほど、そのうち愛新覚羅氏の末裔は30万人~50万人と言われています。そのうち「愛新覚羅氏」に戸籍上戻している人は「400人ほど」と海青先生は言います。つまり、99%の末裔が戻さず、1%未満が戻している現状がなんなのか。これについて取材をしましたので書いていきます。
 
【 愛新覚羅氏には偽称もいる!? 】 以下、海青先生とのやり取りと中国国内の法律を解説しながらお話しましょう。
 
おおよそ2006年から、上記で述べた漢姓にした愛新覚羅の後裔たちは元の「愛新覚羅」という苗字に戻していいですよという法律が中国で実施されるようになったそうです。
 
しかし、ほとんどの愛新覚羅氏は、戸籍上でもとの「愛新覚羅氏」にもどすことはほぼない、とのことでした。それについて何故か?海青先生にWeChatにて音声交換などでやり取りをしました。それをまとめると以下になります。わたくしの翻訳が適当にコピペしてしまっているのであしからずアップアップアップ
 
(ゆうはん)質問:先生に以前教えて頂きました、末端まで数えると50万人ほど全世界にいる愛新覚羅氏の末裔のうち、愛新覚羅氏にわざわざ戸籍上も変えるというのはどういう意味があるのでしょうか?たとえば優遇が変わる措置など。
 
(海青)答え:こんにちは、身分証・戸籍上での愛新覚羅氏に戻した(変えた)苗字は全国で400人ぐらいいる(海青先生の調査による)。(かくしてあるところは個人的なこと)
 
 
(ゆうはん)質問:それは全てもともと本当の愛新覚羅氏の流れですか?
 
(海青)答え:過去からずっと使い続けている人もいれば、(漢姓)の満族の一部もいるし、愛新覚羅じゃない人も「愛新覚羅氏」に戸籍上変えている。ほとんどが革命後の国からの解放によって戻している人もいる。
 
(ゆうはん)質問:では、満族じゃなくても愛新覚羅氏に変えちゃっている人がいるってことですか?
 
(海青)答え:あります
 
 
このあと、音声での通話になりますので(移動中だったよう)、それを分かる範囲で翻訳し文章まとめます。
 
ここ10年、20年でそのような法律のもと瀋陽でも元の「愛新覚羅姓」に変えた人もいるが、そこには満族もいれば、実は「偽称」もたくさんいる。現在中国でも戸籍上の管理がやっと近年明確になってきたけれど、2000年初頭はまだアバウトなところもあったので、瀋陽に住んでいる漢族(満族が漢民族化された漢族という意味ではない)でも「愛新覚羅氏」に変えた人もいるから、そこをあらためて政府が管理することは現状難しい。
 
BilliBilliにも、このように、愛新覚羅氏・満族と偽りの身分証(実際に国が発行したもの)を持っている人たちがいるようです。「毛牌(もうぱい)」と言って、偽称を意味します。そのため、中国や日本の国会図書館にも収蔵されています「宗室族譜」で辿れない場合は、本名が「愛新覚羅」でも疑ったほうが良いとのことでした。
 
確実なのは「宗室族譜」にその人の先祖の名前が載っているか載っていないかで本来は判断するのが正しいそうです。残念ながら愛新覚羅氏ではない人が、戸籍上愛新覚羅氏の末裔に戻す(変える)することで仕事になる、と考える人もいる。書家、画家、作家、などは雅号として「愛新覚羅氏」の末裔であることをもとにペンネームという形で名乗る、記す、ことはよくあることだけれど、戸籍上「愛新覚羅氏」に変えた人はいるが、400人ほどという数字を考えたら、戻さないほうが「普通」だ。という見解。
 
最後に「遠戚でも愛新覚羅氏なら、調べられる僕に連絡をしてくるだろうし、僕が「どこの流れなのか」を聞いて答えられるかどうかだろう。遠戚だろうが親族なのだから何も恥ずかしいことはない」とのこと。
 
この点をふまえて、歴史の背景を誤認されたり、偽称もあるために、こちらから発信する必要がある。とのことで、http://www.axjlzp.com/ こちらを運営し始めたそうです。
 
特に日本ではこのあたりの歴史を知らない方が多く(これは悪いことではなくこちらも発信していく必要があると私も感じている)、私のようにその家系の末裔でも、作家名として名乗るなら族譜を出したほうが良いパターン(公的な活動をしているため)もあり、海青先生に家系図を辿っていくのを手伝っていただいたのですが、今回のご質問にあった戸籍の件についてはインタビューをしてみたので参考にいただければと思います。
 
つまり、結果的に戸籍上「愛新覚羅氏」になっていても、日本の国立図書館にもある愛新覚羅宗譜 学苑出版社」で1937年前後までの祖父だったり、曽祖父、高祖父を辿れなければ、それは「偽称」の可能性が高いということでしょう。しかし、海青先生のいう400人の中には、きちんとした流れの愛新覚羅氏がいることは事実であり、族譜がなくなった、焼かれたとしても、中国でも日本でも管理している愛新覚羅宗譜 学苑出版社」に掲載されているかどうか、が鍵になるのでしょう。
 
これから海青先生のおかげで手に入れた我が家の族譜を掲載してお話をしていきたいと思います。
 
ちなみに我が家が「愛新覚羅」に戸籍上戻したか戻さなかったというと、、、祖母たち親族は、もう80才を越えておりますし、生まれた遼寧省の瀋陽(当時は奉天盛京)を第二次国共内戦後に離れております。私のような孫なども日本で生活をしていますから、もうその必要はないと戻しておりません。戻しても特に何の得もないですしね。海青先生いわく、直系の皆様は「愛新覚羅」に戻さない方がほとんどのようです(インタビューに書いてあるとおり、戻さないことが普通なようです)。そもそも祖母たちは当時の革命中の被害者でもあり、本来生まれた遼寧省の瀋陽から、今は満洲民族本拠地の黒龍江省ハルビンに親戚を訪ねて、新たな生活を始め今に至ります。今日はお金持ちでも、明日は貧乏になる、そんな激動の中国を乗り越えていったのでしょう。
 
これはいつかタイミングが来たら、しっかりとストーリー仕立てにして書籍なり世に出したいなと思っています。
 
また、直系かどうかは「宗室族譜」というものから辿ることができます。
 
 
この家系図は、出典:愛新覚羅宗譜 学苑出版社(丙一) に掲載されています。日本の国立国会図書館から調べて、祖母たちの兄弟、祖母の父、祖母の祖父たちの系図がきちんと掲載されていました。
 
※我が家では祖母たちの代が曽祖父(愛新覚羅氏)で日本でいう正統という意味では継承は終えている、という見方とはなりますが、愛新覚羅家は「血縁」を重視しますので、DNA上ではファミリーであることに間違いはありません。ちなみに私の父も祖父も医者でもとは満洲人(北方)です。
 
 
たとえば、ラストエンペラーで有名な愛新覚羅溥儀、弟である溥傑氏と由緒ある嵯峨家が婚姻。その後の家系の流れも、福永(愛新覚羅)嫮生の今現在!夫と子供は?子孫や慧生との関係も解説! | コモトピ (common-topics.com) を参考にいただければ、仮に愛新覚羅氏の男系と婚姻がなくとも、愛新覚羅氏の末裔であることに間違いはありません。このあたりはやはり日本と中国の思想の違いはあるかもしれませんねキョロキョロ (なぜかこのサイトにわたくしのブログが紹介されているのですが、、、恐縮です。家系的には醇親王家と我が家は遠戚と見立てるのが正しいかと思います)
 
話は戻しますが、協力してくださった海青先生が、愛新覚羅氏直系は初代ヌルハチから継承を真っ直ぐ書くことを教えて頂きました。
 
祖母たちは10人兄弟姉妹のうちほとんどが死去しておりますが、まだ黒龍江省ハルビンで生活をしております。名前は古い漢字もあり一部変換できずですが、それと同じ現代の漢字が見つかり次第あてこもうと思っております。
 
愛新覚羅宗譜は、実際に1937年までの記録、主に「男性のみ」を掲載しており、女性は生まれていても書かれません。男尊女卑の時代ですから仕方ありません。また、1938年以降の記録は残しません(歴史的なことなのでここまでにしておきます)。
 
でも、きちんと「妻」や「母」の記載があり、たどれますね!当時は一夫多妻で、十人以上子供がいるのは当たり前。15歳前後で結婚をして出産をするのも当たり前。すごいなキョロキョロと感慨深いです。
 
blogですと画像が見にくいという方は、公式サイトに大きなサイズのものを掲載しておきます。
公式サイトのプロフィールページに入れておきます。

 

実際の愛新覚羅宗譜は、国立国会図書館の関西館にあり、自ら足を運び複写̪してまいりました。何万という膨大な家系図でしたが、実はご縁があってこれを教えてくださった先生がいます。
 
それは、、、インタビューでもお答えいただいた! 愛新覚羅宗譜網を運営主催していらっしゃる「愛新覚羅末裔の海青先生」とのやり取りからでした。

http://www.axjlzp.com/

 

先生には今回の愛新覚羅宗譜を調べるにあたって、すぐに索引してくださったおかげで、私はスムーズに家系図を手に入れました。海青先生に感謝いたします。今、海青先生は、31冊にも及ぶ膨大な愛新覚羅宗譜を全てインターネットに系図や関係を掲載しようと頑張っていらっしゃいます。私も瀋陽にうかがって、色んなお話を聞きました。宗室の族譜を全て入力するにはあと30年以上はかかるそうで、海先生は今大学の学生さんや親族の人たちの手を借りてやっているようです。

 

 

系図を作成してみて最もな衝撃は、私は傍系かな~と思い込んでおりましたが、まさかの太祖愛新覚羅ヌルハチ直系の宗室であり、直系子孫ということを教えていただきました。

 

実は、当時の祖母たちは戦乱や苦労が重なり、当時の皇族貴族であること、高祖父、曾祖父が清政府、満洲国政府であったこと、満洲帝国、つまりかつては日本人と仕事をしていたこと、財産や土地がたいへんあったことに目をつけられ、族譜は全て燃やされ、家、土地、財産、ついには命まで狙われ奪われたようです。高祖父のお墓も全て壊されましたと長女から聞き、激動すぎる中国をよく生き抜いたなとも思うのです。これは我が家だけではなく、愛新覚羅氏でそこそこ地位があるお金持ちの家は、漢化や新しい政権に抵抗をすればこのように沢山の親族たちが粛清を受けているのです。当時はさけてはとおれませんが「中華王朝」というのはまさにこういう歴史の繰り返しなのです。

 

時代が時代ですから、これは仕方ありません。正直、苦労をしてきた祖母たちの経験や話を聞きますと心が傷みました。しかし、私は祖母の孫として様々な側面から歴史を勉強して、今の中国も受け入れていますし、嫌いではありません。政権の良い側面もあれば、歴史が切り替わる時というのは犠牲が出るのは致し方ないことでしょう。

 

【愛新覚羅氏は満洲族~女真族】
愛新覚羅氏は満洲族であり、中国大陸でいいますと東北部の北方系少数民族。満洲族以前は女真族です。女真族内でも様々な部分けがあり、愛新覚羅氏はその中からでました。女系ではじまった家系は、途中から男系を重視したとしても女系でしめくくられる(満洲族の神話はアブカハハ、途中から仙女と鵲からはじまるので女系発祥となります)と私は考えています。


愛新覚羅奴児哈赤(ヌルハチ)が女真統一した際に、シャーマンより『エホナラ族の女が王朝をおわらせる』という予言をされたことが残っています。中華最大の国土と最長の王朝であった『清朝』の末期に、西太后(エホナラ族)が愛新覚羅(皇族)家に嫁ぎ、太后として早くに亡くした皇帝と世継の皇帝の代わりに政権をとり、世継を指揮がとれる愛新覚羅直系の大人(若い青年など)にせず『まだ小さい皇帝』を望みました。愛新覚羅家は長子を優先に皇帝にはしない伝統があり、たくさん生まれた兄弟の中から有能な子を世継としてたてます。つまり、政権中にも候補は沢山いたはずなのです。

 

ちなみに、我が家は初代『愛新覚羅奴児哈赤』から直系を計算するため、直近の皇帝の直系が継承というありかたではないため、日本の皇室継承と大きく違うところがありますので、あしからず。


そこで、西太后の妹が嫁いだ親王の家に生まれた愛新覚羅溥儀をわずか3歳で皇帝に即位させ、その後の数奇な運命は映画ラストエンペラーでご覧頂けるかと思います。映画なので芸術として見て頂くのが宜しいのかなと思います。


つまり、愛新覚羅氏ではない女系が政権『女帝』をとったことで、実質清朝は崩壊していくのです。ただし、西太后は悪女として描かれるけれども、必ずしもそういう方ではないと私は様々な文献を読んでいて思います。今の中国に女性主権を生んだ母ともいえるでしょう。結果、わたしたち女性は政治権力的なこまとして使われることもなく、自由を得たといっても過言ではないでしょう。この功績は大いにたたえるべきです。

 

私が今回ここまで細密な個人情報を出すのは初めてです。

 

理由としましては、、、

 

①祖母たちの家であったこと、歴史上描かれていないリアルを日本でいつか本にするために家系図をハッキリと更にしないといけなかったことです。

 

②公的な本を出版していること、メディア活動をしていることで、親族全員に迷惑はかけられませんが、一部は思い切って公開することにしました。

 

③祖母の姉(長女)がちょうど2018年に来日されていたので話を伺うことが出来て、正式な宗室戸籍での曾祖父たちの名前を聞いたので、以前祖母(次女)から聞いていた内容と近いけどちょっと違うなという点があり、しっかりと正式なもので調べることにしました。

 

当時の中国というのは、満洲民族の愛新覚羅氏の皇族たちは漢民族化されますから、戸籍以外にも通り名?やいくつか名前を使い分けたり、漢字を簡単にしたり、ピンインの読み方が同じ漢字で当て字にしたりしていたから、不明瞭な個所がいくつもありました。
 
特に愛新覚羅家は、それが各自沢山ありましたので、、、本当に戸籍登録の正式名を探し出すのに苦労をしました。
 

これは、私が失われた皇族、消された皇族たちの本当の流れをきちんと伝えていかなければ先祖供養にならないと思ったからです。

 

そして、私が思っている以上に、血族は強烈だったのです。

 

 
 
さて、話は変わりますが、本の出版が決まった時に、愛新覚羅というペンネームにしたのは、祖母の家系がその末裔でしたのでつけました。もっと本来の「愛新覚羅家」や「歴史」をたくさんの人に知ってほしいという想いも当時はありました。
 
私の両親は仕事が忙しく、ほぼ祖母が母がわりとして私を育てたといっても過言ではありません。祖母への思い入れが強く、家系を聞かされた時に辿りたくなったのです。
 
革命後は、満洲民族×満洲民族の時代ではないため、現状は日本の直系傍系の見方から捉えれば、愛新覚羅の直系の子孫というのは溥儀も子供がいませんでしたから存在しないのが事実、ここは歴史的に間違ってはいけないところです。
 
しかし、我が家のように太祖ヌルハチの宗家正室直系の末裔たちはこのように世界に沢山存在しております。海青先生曰く、10万人は宗室に末裔としているが、その枝分かれは更に3倍~5倍みてもいいと言っていました。
 
満洲民族でも祖母たちの代からは漢民族化されていきますので、漢民族の血が入ってきたりもします。もちろん、満洲族同士、も同じ自治区やエリアにいれば婚姻は続きますが、基本的には「漢化」しないといけなかったりしたようです(ここの歴史は複雑なのでここまで)。満洲族で皇族貴族身分だとバレたら色々と危ないわけですから、漢民族化するのは階級上や近しい親族の方々が多かったようですね。つまり100%満洲民族、女真族、の純血はいないということです。康熙帝の時代に何かの文献で読みましたが、満洲族×満洲族の婚姻強化の政策がとられていた時代は7割近い満洲血統で保たれていたようですね。これらのデリケートなアイデンティティ部分は歴史的にも、満州族とは - コトバンク (kotobank.jp) こちらをご参照ください。
 
そう捉えたら、清朝を築いたホンダイジも母親(モンゴル)は愛新覚羅家から出ていませんから、生粋とは言えないでしょう。
 
つまり、純血というのは人類の歴史から考えていっても100%はありえないのです。様々な歴史を繰り返しながら、今があるわけです。
 
わたくしも親交のある、溥儀の弟:溥傑さんのお孫さんや、ハルビンにいる親族たち、日本にいる何名かの末裔たちは、日本の血が混ざったり、漢民族の血が混ざったりと様々な歴史の流れを経て「生きている」ということだけでも素晴らしいことだと感じています。
 
ただ、わたくしは自分のアイデンティティの探求や歴史が好きなだけなのです。
 

【私がルーツやアイデンティティを探求する理由】
私の母方の祖母家系が愛新覚羅家の後裔であると知ったのは、2004年の北京に留学したときでした。私の祖父はハルビン医科大学教授で産婦人科の医者でした。そのつてで、北京大学医学部を受験し本科留学をすることとなりました。私以外、皆、医療従事者なのですが、私自身はあまり人の身体を治すことに興味がありませんでした。どちらかといえば、法医学や人が辿ってきた人生の流れを見るほうが興味があり、法医学者や研究者を目指せるならと期待をしていましたが、なんと卒業までに8年はかかると言われてしまいましたキョロキョロ 卒業の頃には31歳ぐらいになってしまう!嫁にいけない!と当時は(若さゆえ)すぐにあきらめてしまいました(笑)。
 
結果的に幼少期から好きだった神秘的な世界や宗教や歴史や民俗学、学問における占いや風水といった分野、芸術、デザイン、音楽や文学が大変好きで学んでおりました。その為、医学部への本科継続はしませんでしたが教養だけ学び、HSK6級を1年で取得して帰国しました。
 
そういえば、、、

ラストエンペラーという映画や愛新覚羅家に関するドキュメンタリー番組が放送されると母がそれを見るや否や、うちは大変だったわとため息混じりによく見ていたのを覚えています。以前から友人で、自分の親が満洲で生まれた、また祖父が溥儀の日本語の通訳をしていたなど、満洲やこの家系に携わったご縁のある方々と既に私は出会っていたことに気づき驚きました。

しかし私は、この日本で中国人(中国人とひとくくりにしては民族学的にはいけないが)でありながらも日本語を話し、日本という文化に染められてゆくのです。そこに好奇心というものも沢山ありましたが、一体自分は何者なのだろうかという疑問と孤独感に日々葛藤しながらも生きていればいつかわかるのだろうと思っていたのです。
 
そこでタイミングがくるわけです。 それについては拙著↓に面白く書かせていただいたのでご興味ある方は読んでみてください。
 
留学中に親族、従姉妹などが実はこういう背景が我が家にはあるんだよと更に教えて頂けるようになり、そこから様々な文献で家系のことを調べては勉強するようになりました。
 
自分の祖を知ることは自分を知ることとなります。
 
自分を知らなければ、自分の運命や人生をよりよく生きれません。
 
 運を開くには根を知ることから。
 
私は、私のアイデンティティ構築のために、自分なりに努力はしてきましたし、今後も情報があり次第、どんどん自分を更新していこうと思っています。
 
それが一番の先祖供養だと思っています。
 

愛新覚羅氏後裔 ゆうはんの戯言
【宗室族譜~満洲民族が漢化されていく流れや近代まで】
祖母は女4人男4人の兄弟たちですが、生まれる前に双子の男女も出生していましたがすぐに亡くなったため、合計10名の兄弟姉妹の構成です。
 
皆「恒」が名前についています。これは愛新覚羅家伝統の「輩字(字輩)」というもので、その家柄が愛新覚羅家の何代目に位置し、その中の誰の子孫かを見極めるためのつけかたです。
 
祖母たちは漢民族化された際の姓は「肇(zhao)」で、その後同じピンイン読みである「趙(zhao)」に変えています。この「肇」は愛新覚羅家の中でも初期の初期から「清皇室」であることを意味する漢化姓です。もともとは瀋陽が祖母たちの育ってきた場所です。
 
 
これは、族譜でたどれば、どこの親王、またはどこの兄弟の末裔なのかが辿れば必ずわかるシステムになっています。
 
 
 
このヌルハチの6番目の息子、タバイから我が家はずっと系図が高祖父、曽祖父と続いていきます。
 
 
これは実際に我が家の曽祖父まで書かれている愛新覚羅宗譜を国立国会図書館で複写させていただいたものです。
 
中国国内でもこれは出版されており、ここから系図をたどって定めていきます。
 
こんな感じでまとめたのが、我が家の家系図となります。

愛新覚羅氏後裔 ゆうはんの戯言

 

そして、この本、アマゾンで検索すると多分でてくると思いますが、私の祖母の家系「肇家」のことも少しかかれています。

愛新=金ということで、辛亥革命や文革後、愛新覚羅という姓名を漢民化されます。

そこで、愛新覚羅家の後裔とわかるように、

「金」や「肇=趙」の主にはどちらかに分かれます。肇、趙を祖母たちは受け継いでいます。
 


つまり、辛亥革命、その後の文化大革命、で合計二回変えていますね。それだけ身分を隠して、漢民族に溶け込んでいかないと生きていけないぐらいの苦労をしてきたということです。

愛新覚羅氏後裔 ゆうはんの戯言

そして私は、中国名、日本名(通称名)と戸籍上、二つの名前を。日本人と婚姻をしておりますので実質三つを所有しております。
 
中国は夫婦別姓で、子供は父親の姓を受け継がないといけませんため、祖母は女性にあたりますから、わたくしは父親の姓となっております。実際の愛新覚羅宗譜でたどると、私は愛新覚羅ヌルハチから継承「輩字」は15代目となります。
 
中国名であれば、今の名前の前に「燾」をつけて受けつぐ形になりますね。
 
凄い難しい漢字なので・・・意味を調べてみたところ「照らす」という光の意味ではありませんか、びっくりです。

私の名前の「晗」の意味は「夜明け、あけぼの、暗闇から光る一点の光、明けの明星」という意味なのですが、この継承輩字と合わせると意味がぴったりですね!
 
また、なぜ占いや風水を生業しているのか?というところですが、満洲民族はもともとシャーマニズムを原型にしたスピリチュアリティの高い民族です。占いや風水は怪しいものではなく、古代から脈々続く学問、帝王学の一つです。日本ではエンタメ性が強く、民間化したライトなものとなっておりますが、これはこれでアリだと私は思っています。それにそった書籍も書いておりますが、講義やスクールではもっと深くお伝えしてもいます。
 
 
2021年現在は主軸は作家業に移行し、本の執筆出版に専念し、陶器絵付け作家として作品を製作しております。
 
2019年東京都美術館での展示会用に作成した「龍華」という作品です。
ヨーロピアンポーセリンアートをベースに色々描いておりますが、、、数年前に九谷焼の陶器上絵付けもはじめました!
愛新覚羅家は、アートや書家が多く、手先が器用な方が多いといわれていますが、わたくしも幼少期からこのように「お筆ごと」が好きでした。書はもちろん、絵の世界に随分とはまりましたね。
 
最近は20代の頃から目指していた小説家を夢みて、、、初心に戻って小説講座に通っておりますラブラブ いつか家系を舞台にした作品が書けたらいいな~と日々勉強中でございます。
 
 
 
 
風水を古代から重要視していたこと、龍脈の指示も残っていること、清朝老家では未だに「占い」を仕事としている人たちもいるといいます。愛新覚羅家は芸術や音楽にたけ、医療や占い・風水といったシャーマニズムを原型にしたDNAの派生があることは間違いないでしょう。
 
日本では映画の「ラストエンペラー」のイメージが定着していますが、本来の満洲民族の原点をぜひしっかりと勉強して頂きたいとも思うのです。そのためにも私は発信していこうと思い、公にでて、今があります。
 
家系の中でも女系が多く、現在でもサマンと呼ばれるシャーマンが満洲民族自治区ではいます。満洲民族やシャーマニズムを原型にした民族であること、仏教が伝来してくる以前は、中華それぞれの少数民族に自然崇拝、精霊崇拝、アニミズム、シャーマニズムといった信仰があったことを知ってもらいたいとも思います。
 
親族の一人、金さんのロストマンチュリア・サマンの活動記事をご参照くださいね↓
 
こうやって、末裔のひとたちがそれぞれの得意分野やフィールドで活動しているのも知ってほしいなと思いますし、公に出なくても社会に溶け込んで活動・生活をしている親族たちが日本にも世界にもたくさん存在していることを知ってほしいと思います。
 
さて、お話は長くなりましたが、、、

私たちのこれからの世界は、国も血も海も全てを越えると私は思っています。

悠久の中、残されたものたちにとってまた新しい歴史を紡いでゆけばいいなとも思っています。
 
そして、必ず、祖母の家であったこと、戦乱の最中で乗り切った我が家のお話をしっかりと物語にして、いつか本にしたいな~と思っております。
 
歴史は語られていないことばかり、その時代の権力者の思うように「上書き」され続けていくものでもあるのです。今生存している、その時代をリアルに経験をした生の声が最もでしょう。
 
 
 
それでも先祖のために生きているわけではありません。私は私を生きています。
 




YUHAN拝