愛新覚羅氏後裔 ゆうはんの戯言
 
300年以上、満民族が統治した清朝。
 
枝分かれしながら、沢山の親族が世界各国にいます。
 
歴史的なことは、本やインターネットに掲載されていることだけが情報ではありません。
 
真実は、親族たちにしかわからないこともあります。インターネットだけの情報は氷山の一角にすぎません。
 
特に、日本では愛新覚羅といえば「ラストエンペラー」の愛新覚羅溥儀が大変有名ですね。
 
しかし、実は愛新覚羅一族・末裔と言われる方はたいへん多く存在しており、漢化後も姓名を変えて、輩字でどこの流れの愛新覚羅の後裔かがわかるように名前に刻まれます。
 
族譜やこういった漢化された流れは、
 
 
このような資料などで辿ることができます。
 
2006年から、漢姓にした愛新覚羅の後裔たちは元の「愛新覚羅」という苗字に変えていいですよという法律が中国で実施されるようになったそうです。
 
しかし、祖母たち親族は、もう80才を越えておりますし、生まれた遼寧省の瀋陽(当時は奉天盛京)を第二次国共内戦後に離れております。私のような孫なども日本で生活をしていますから、もうその必要はないと戻しておりません。戻しても特に何の得もないですしね。
 
そもそも祖母たちは革命後の被害者でもあり、本来生まれた遼寧省の瀋陽から、今は満州民族本拠地の黒龍江省ハルビンに親戚を訪ねて、新たな生活を始め今に至ります。
 
これはいつかタイミングが来たら、しっかりとストーリー仕立てにして世に出したいと思っています。
 
 
 
さて、この家系図は、出典:愛新覚羅宗譜 学苑出版社(丙一) に掲載されています。日本の国立国会図書館から調べて、祖母たちの兄弟、祖母の父、祖母の祖父たちの系図がはっきりと掲載されていました。
 
協力してくださった末裔のかたが、ヌルハチ直系はヌルハチから真っ直ぐ書かないとと言われて、さらに書き直しました( ^ω^ )
 
祖母たちは10人兄弟姉妹のうち数名死去しておりますが、まだ半分以上が黒龍江省ハルビンで生活をしております。
 
名前は古い漢字もあり一部変換できずですが、それと同じ現代の漢字が見つかり次第あてこみます。
 
愛新覚羅宗譜は、実際に1937年までの記録、主に「男性のみ」を掲載しており、女性は生まれていても書かれません。男尊女卑の時代ですから仕方ありません。また、1938年以降の記録は残しません。
 
でも、きちんと「妻」や「母」は記載があり、たどれますね!
 
当時は一夫多妻で、十人以上子供がいるのは当たり前。
 
15歳前後で結婚をして出産をするのも当たり前。
 
本当にすごいです。
 
blogですと画像が見にくいという方は、公式サイトに大きなものを掲載しておきます。
プロフィールに入れておきます!

 

実際の愛新覚羅宗譜は、国立国会図書館の関西館にあり、自ら足を運び複写̪していりました。何万という膨大な家系図でしたが、実はご縁があってこれを教えてくださった先生がいます。
 
それは、、、愛新覚羅宗譜網を運営主催していらっしゃる「愛新覚羅末裔の海青先生」とのやり取りからでした。

http://www.axjlzp.com/

 

先生には今回の愛新覚羅宗譜を調べるにあたって、すぐに索引してくださったおかげで、私は大変簡単に家系図を手に入れました。

 

海青先生に、大変感謝いたします。今、海青先生は、31冊にも及ぶ愛新覚羅宗譜を全てインターネットに系図や関係を掲載しようと頑張っていらっしゃいます。

 

私も瀋陽にうかがって、色んなお話を聞きました、まだ祖母たちの家までは登録に辿り着いていないとおっしゃってました。

 

宗室の族譜を全て入力するにはあと30年かかるそうで、海先生は今大学の学生さんや親族の人たちの手を借りてやっています。

 

もし、日本在住の血脈の方で、調べてほしい方は、わたくしにご連絡ください!海先生と出来る限り手伝います。

 

一番の衝撃は、太祖愛新覚羅ヌルハチ直系の宗室であり、てっきり傍系かと思い込んでおりましたが、まさかの直系の子孫でした。

 

当時の祖母たちは当時の戦乱や苦労で、皇族であること、清政府であったこと、満州帝国、つまり日本人と仕事をしていたこと、財産や土地が大変あったことに眼をつけられ、自分たちの族譜は全て燃やされ、家、土地、財産、ついには命まですべてを奪われました。高祖父のお墓も全て壊されました。

 

これは時代が時代ですから、仕方ありません。私は孫として様々な側面から歴史を勉強して、今の中国も受け入れていますし、嫌いではありません。

 

が、正直、苦労をしてきた祖母たちを考えると、心が傷みます。

 

実は、私が今回ここまで細密な個人情報を出すのは初めてです。

 

理由としましては、、、

 

①祖母たちの家であったこと、歴史上描かれていない隠された現実を日本でいつか本にするために家系図をハッキリと更にしないといけなかったことです。

 

②ウィキペディアで私のページが突然出来上がっており、出典が足りないと指摘されたこと。むしろ設立してくださった方、削除をどうかお願いします。

 

③公的な本を出版していること、メディア活動をしていることで、親族全員に迷惑はかけられませんが、皆様が疑問に思うであろう一部は公開することにしました。

 

④祖母の姉(長女)がちょうど2018年に来日されていたので話を伺うことが出来て、正式な宗室戸籍での曾祖父たちの名前を聞いたので、以前祖母(次女)から聞いていた内容と近いけどちょっと違うなという点があり、しっかりと正式なもので調べることにしました。

 

 
当時の中国というのは、満州民族皇族たちは漢民族化されますから、戸籍以外にも通り名?やいくつか名前を使い分けたり、漢字を簡単にしたり、ピンインの読み方が同じ漢字で当て字にしたりしていたから、不明瞭な個所がいくつもありました。
 
特に愛新覚羅家は、それが各自沢山ありましたので、、、本当に正式名を探し出すのに苦労をしました。
 

これは、私が失われた皇族、消された皇族たちの本当の流れをきちんと伝えていかなければ先祖供養にならないと思ったからです。

 

そして、私が思っている以上に、血族は強烈だったのです。

 

 
 
 
 
さて、話は変わりますが、私が本の出版が決まった時に、愛新覚羅というペンネームにしたのは、祖母の家系がその末裔でしたのでつけました。
 
私の両親は仕事が忙しく、ほぼ祖母が母がわりとして私を育てたといっても過言ではありません。
 
祖母への思い入れが強く、家系を聞かされた時に辿りたくなったのです。
 
革命後は、満州民族×満州民族の時代ではないため、現状は日本の直系傍系の見方から捉えれば、愛新覚羅の直系の子孫というのは溥儀も子供がいませんでしたから存在しないのが事実です。
 
しかし、我が家のように太祖ヌルハチの宗家正室直系の末裔たちはこのように存在しております。海青先生曰く、10万人は宗室に末裔としているが、その枝分かれは更に3倍~5倍みてもいいと言っていました。
 
わたくしも、満州民族の祖母の代からは漢民族化されていきますので、漢民族の血が入っていきますため、系図どおり、満州民族の血は半分以下であり、生粋ではないでしょう。
 
そう捉えたら、清朝を築いたホンダイジも母親は愛新覚羅家から出ていませんから、生粋とは言えないでしょう。
 
つまり、純血というのは人類の歴史から考えていっても100%はありえないのです。
 
様々な歴史を繰り返しながら、今があるわけです。
 
わたくしも親交のある、溥儀の弟ぎみ溥傑さんのお孫さんや、ハルビンにいる親族たち、日本にいる何名かの末裔たちは、日本の血が混ざったり、漢民族の血が混ざったりと様々な歴史の流れを経て生きていることは、素晴らしいことだと感じています。
 
何が凄くて何が凄くないも関係ありません。ただ、わたくしは自分のアイデンティティの探求が好きなだけなんです。
 


私の母方の祖母家系が愛新覚羅家の後裔であると知ったのは、2004年の北京に留学したときでした。
 
私の祖父はハルビン医科大学の名誉教授で産婦人科医の医者でした。
 
そのつてで、北京大学の医学部の本科留学をすることとなりました。
 
私以外、皆、医療従事者なのですが、私自身はあまり人の身体を治すことに興味がありませんでした。
 
むしろ法医学や人が辿ってきた人生の末路を見るほうが興味があり、法医学を目指せるならと期待をしていましたが、なんと卒業までに8年はかかると言われてしまいました。
 
卒業の頃には33歳ぐらいになってしまう!嫁にいけない!と当時はすぐにあきらめてしまいました笑。
 
結局は、神秘的な世界や宗教や歴史や民俗学、占いや風水といった分野、芸術、デザイン、音楽や文学が大変好きで学んでおりました。
 
その為、その先の医学部への本科継続はしませんでしたが、教養だけ学び、HSK6級を取得して帰国しました。
 
北京大学医学部に語学科は本当にあるの?をご参照ください↓
 
そういえば、、、

ラストエンペラーという映画や愛新覚羅家に関するドキュメンタリー番組が放送されると母がそれを見るや否や、うちは大変だったわとため息混じりによく見ていたのを覚えています。

以前から友人で、自分の親が満州で生まれた、また祖父が溥儀の日本語の通訳をしていたなど、満州やこの家系に携わったご縁のある方々と既に私は出会っていたことに気づき驚きました。

しかし私は、この日本で中国人でありながらも日本語を話し、日本という文化に染められてゆく。そこに好奇心というものも沢山ありましたが、一体自分は何者なのだろうかという疑問と孤独感に日々葛藤しながらも生きていればいつかわかるのだろうと思っていたのです。
 
そこでタイミングがくるわけです。
 
留学中に親族、従姉妹などが実はこういう背景が我が家にはあるんだよと更に教えて頂けるようになり、そこから様々な文献で家系のことを調べては勉強するようになりました。
 
 
 
自分の祖を知ることは自分を知ることとなります。
 
自分を知らなければ、自分の運命や人生をよりよく生きれません。
 
 運を開くには根を知ること。
 
私は、私のアイデンティティ構築のために、自分なりに努力はしてきましたし、今後も情報があり次第、どんどん自分を更新していこうと思っています。
 
それが一番の先祖供養だと思っています。
 

愛新覚羅氏後裔 ゆうはんの戯言

祖母は女4人男4人の兄弟たちですが、生まれる前に双子の男女も出生していたことがわかり、合計10名の兄弟姉妹です。
 
皆「恒」が名前についています。輩字というもので、その家柄が愛新覚羅家の何代目に位置し、その中の誰の子孫かを見極めるためのつけかたです。伝統ですね。
 
祖母たちは漢民族化された際の姓は「肇」で、その後同じピンイン読みである「趙」に変えています。
 
 
これは、族譜でたどれば、どこの親王、またはどこの兄弟の末裔なのかが辿れば必ずわかるシステムになっています。
 
 
 
 
これは実際の愛新覚羅宗譜を国立国会図書館で複写させていただいたものです。
 
中国国内でもこれは出版されており、ここから系図をたどって定めていきます。
 
こんな感じでまとめたのが、私の家系図となります。
 
また、皆様にお詫びを申し上げないといけないことがございます。
 
以前、祖母から曾祖父の父は「熙洽」と関係があると聞いていましたが、今年に入って、祖母が曖昧な情報を私に伝えていたことが発覚しました。。。
 
原因は下記のように、、、
 
①祖母たちは大変苦労をしましたから、子孫が愛新覚羅家の末裔なんということがバレたら、また殺されたり巻き込まれたりするのではないかという不安不信と警戒。
 
②家系のことはとうに過ぎたことで、おとなしく日本で生活をしてほしいという想いから。
 
でした。どれも理解しますが、愛新覚羅宗譜に紛れもなく残っていたため、問い詰めたところ、苦い顔をしておりました。


愛新覚羅氏後裔 ゆうはんの戯言  愛新覚羅氏後裔 ゆうはんの戯言

写真や顔は大変似ておりますが、熙洽はもちろん親族の一人ですが、私の曾祖父の父は愛新覚羅宗譜にもあるように「愛新覚羅熙禮」で、同じ「熙」ではありますが、ここで訂正とお詫び申し上げます。
 
左が熙洽で、右が愛新覚羅熙禮の二番目の息子で私の曾祖父である「愛新覚羅奎武」です。
 
 

愛新覚羅氏後裔 ゆうはんの戯言


そして、この本、アマゾンで検索すると多分でてくると思いますが、私の祖母の家系のことも少しかかれています。

愛新=金ということで、辛亥革命後、愛新覚羅という姓名を漢民化されます。

そこで、愛新覚羅家の後裔とわかるように、

「金」や「肇=趙」の主にはどちらかに分かれます。肇、趙を祖母たちは受け継いでいます。
 



愛新覚羅氏後裔 ゆうはんの戯言

そして私は、中国名、日本名(通称名)と戸籍上、二つの名前を所有しております。日本人と婚姻をしております。
 
中国は夫婦別姓で、子供は父親の姓を受け継がないといけませんため、祖母は女性にあたりますから、わたくしは父親の姓となっております。
 
家系図に書いてある通り、父親は百度などにも載る社会的に偉い人になられていたので、隠せないため掲載しております。
 
実際の愛新覚羅宗譜でたどると、私はヌルハチから15代目となります。
 
中国名であれば、今の名前の前に「燾」をつけて受けつぐ形になりますね。
 
凄い難しい漢字なので・・・意味を調べたら「照らす」という光の意味ではありませんか。。。びっくりです。

私の名前の「晗」の意味は「夜明け、あけぼの、暗闇から光る一点の光、明けの明星」という意味なのですが、輩字と合わせると意味がぴったりですね!
 
さて、、、、、
 
ネット等で、様々な憶測が飛んでいることを友人から耳にしましたが、本もだして、公的な仕事をしている人が、わざわざバレるようなことをするでしょうか?
 
また、違うということであれば、その違う証拠を持ってきて頂きたいのです。
 
愛新覚羅宗譜からの出典、そこからの系図づくり、もちろんこれは新しい情報がある限り肉付けしたり訂正していくつもりです。
 
そもそものことを考えたら、そんなリスクのでかいことを公的な立場でするわけがございません。
 
とても残念に思います。
 
また、なぜ占いや風水をしているのか?というところですが、満州民族はもともとシャーマニズムを原型にしたスピリチュアリティの高い民族です。
 
 
 
 
風水を古代から重要視していたこと、龍脈の指示も残っていること、清朝老家では未だに「占い」を仕事としている人たちもいるといいます。

愛新覚羅家は芸術や音楽にたけ、医療や占い・風水といったシャーマニズムを原型にしたDNAの派生があることは間違いないでしょう。
 
日本では映画の「ラストエンペラー」のイメージが定着していますが、本来の満州民族の原点をぜひしっかりと勉強して頂きたいとも思うのです。
 
家系の中でも女系が多く、現在でもサマンと呼ばれるシャーマンが満州民族自治区ではいます。
 
親族の一人、金さんのロストマンチュリア・サマンの記事をご参照ください↓
 
占いや風水は怪しいものではなく、古代から脈々続く学問、帝王学の一つです。
 

国も血も海も全てを越えると私は思っています。


悠久の中、残されたものたちにとってまた新しい歴史を紡いでゆけばいいなとも思っています。
 
そして、必ず、祖母の家であったこと、戦乱の最中で乗り切った我が家のお話をしっかりと物語にして本にしたいと思っております。
 
歴史では語られていないことばかり、生存している、経験をした生の人間の声が一番です。
 
 
 
読んでくださってありがとうございました。



YUHAN拝