「人は自分が見たいように見る」富士川碧砂先生の新刊!10月7日発売幸福の縁切り神社とお寺さん
富士川先生とももう10年以上のお付き合いとなりますねこの度は新刊おめでとうございますミサ先生がわたくしの陶器絵付けがお好きだということで、背景にいたしました
終わるべき御縁は、終わらせなさい!という言葉はなかなかできないことでもあり、皆が何度か通る道でもあるのではないでしょうか?
私の経験上、悪縁か良縁かは、すぐにわからないこともあります(わかっていても色んな関係性ですぐに切れないこともあるでしょう)。陰陽ですから、最初は良縁でも、後に悪縁となることもございます。その逆もしかり。どんな御縁でも何かしらの「学び」を与えてくれているとも言えます。
私も若い頃は「なんだよ!」みたいなことは多々ございましたあることないこと(いや、ないことないこと(笑))を言われることもありましたが、我慢し続け、実力を高めることに専念しました。自分を高めれば、自ずとステージが変わってくるので巡り合わなくなるのです。裏で悪口を言われようが、こそこそされていようが、◯◯ちゃんと付き合っちゃダメだよ!と言いふらし引き剥がす人(それってあなたの感想ですよね)などそれに引っ張られて去っていく人は、自分の今後にとって必要ないから去ってくださってありがとうと感謝でいっぱいになります(たまに素知らぬ態度でカマかけたり意地悪し暴露することありますが)。
後に(時間がかかっても)、それは陰陽はっきりとでます。罰のあたりかたは様々ですが、こちらから呪詛する必要も、呪詛返しをする必要もございません。やることやったら、流れに任せるのです。「呪詛返し」をするのは「呪詛をかける」のと同じ作用です。誰でもやられたらやり返したいもの(むきになります)ですが、それを引き寄せてしまうことにも繋がりかねません(その相手に知らぬ間に支配されてしまうのです)。
ちなみに私は、邪気を持ってむかってくる相手や何かしらの負の流れの動向がどうなるかといった経緯を監視 することもありますが(笑)。
やっぱり神仏は見ているということでしょうか。逆をいえば、自分もみられている、ということです。でも、振り返ると良き学びを与えてくれていたことにも気づけます。御縁は一度切れても再び何かしらのきっかけで結ばれることもございます。なので、私はできるだけその人の「幸せ」を願うように努めています。幸せであれば人をねたんだり、蔑んだり、自分本位な正義をふりかざしませんから。呪詛返しをするぐらいなら、感謝を伝えましょう。
しかし!!!絶対に関わってはいけない御縁というのもあるんだなというのも経験しましたこれは人だけではありませんね、その人を動かす目にみえないナニカだったりもします 相手の肩書や話術だけで判断せず、やっぱりおかしい人は直感どおり、付き合えば付き合うほどにおかしい(笑) 当時、助けてくださった皆様には感謝しかないです なんかおかしいな?と思っていても、人を信じて疑わないことでまた色んなことに巻き込んでしまうことも。大人になると色々と経験となるものですそんな時、やっぱり守ってくださる流れって、人を介して神仏って動くのだなとも思うのです。残る人たちは残るものです。これ以上、カルマ、因果を作らないようにしてくれるのです。
今、すべてを振り返ってみても、基軸(発端)は嫉妬なのかな?と思うことも。私の辞書に嫉妬がないので、周囲から言われて、そんなこと考えるか?時間の無駄じゃない?(そんな暇なの?)とよく言っていたものですミサ先生も、表にでる人、発信する人ですから、色んなことがあったのだなと本書を通して親近感がさらにわきました!あとがきでも、ミサ先生もこんな想いをしたことがあったんだ!と文章からさまざまな映像がうかびます、私たちも人間ですものね
実は、わたくしの11月発売の新刊も「手放す」がテーマとなっていますが、おすすめの神社がかぶっていてびっくりしましたうれしいです
御縁を手放したいけれど、切りたいけれど、なかなか難しい方にもぜひ読んでいただきたい一冊です (私なら、縁切りしたい相手に送りつけますが(笑)効果的かもしれませんよ(サイコ))
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